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【完結済】「俺だけが全部覚えている~三年分の搾取を、事実だけで清算する~」  作者: 志喜  陽斗
第五章「清算と反撃の三週間」

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第62話「情報の要塞、あるいは最初の流出」

翌朝、インターネット回線が落ちた。

プロバイダに電話した。

「外部からの信号干渉が確認されています。原因調査中です」

それだけ言われて、切られた。

桐島がモバイルルーターを出した。

それも、速度が極端に落ちていた。

「ここは戦場か」桐島は苦笑した。

「戦場です」蓮は答えた。「デジタルは全部、彼らに掌握されています」

「では」

「アナログで動きます」

蓮はノートを開いた。

万年筆を取った。

「俺の記憶は、光ファイバーを通りません。シナプスで動いています。彼らは光ファイバーは切れても、俺のシナプスは切れない」

蓮は書き始めた。

数字と文字が、ノートに刻まれていった。

速かった。

桐島がその手元を見た。

「お前、その速度で正確なのか」

「記憶から出力しているだけです。速度と精度は関係ありません」

陽菜がスマホを操作していた。

「衛星通信に切り替えます。エドワードが地上の回線を押さえているなら、衛星は別のルートです。速度は落ちますが、使えます」

「準備できますか」

「今夜中に」陽菜は答えた。「設備は桐島さんのルートで手配済みです」

桐島が「いつ頼んだ」と陽菜を見た。

「昨夜、停電の前に」

「先読みしすぎだろ」

「計算です」陽菜は少し笑った。

蓮はノートに向かい続けた。

書きながら、頭の中で照合が走り続けていた。

十八年分のデータ。三年前の記録。高梨が持ってきた断片。

全部を、紙に変換していた。

昼前に、ドアがノックされた。

全員が止まった。

陽菜が立った。

「誰ですか」

「田辺です。田辺商事の田辺です。中村さんから連絡をもらいまして」

蓮は記憶を走らせた。

【照合:田辺商事。帝都物産の下請け企業リスト。搾取を受けていた企業の一社。蓮が三年前の資料から不正を特定し、告発に繋げた案件に含まれる。社長:田辺秀一、五十代】

「入ってください」蓮は言った。

ドアが開いた。

小柄な男性が入ってきた。

大きな紙袋を持っていた。

「差し入れです」田辺は言った。「サンドウィッチと、それからこれ」

紙袋の底に、小さな箱が入っていた。

「最新の暗号化通信デバイスです。うちの息子が、セキュリティ系の会社にいまして。監視されていても、内容が読めないやつです。使い方は箱の中に」

桐島が受け取った。

「なぜ、俺たちがここにいるとわかりましたか」

「中村さんから聞きました。それと」田辺は蓮を見た。「篠原さん、あんたが覚えていてくれたおかげで、うちは潰れずに済んだんだ」

蓮は田辺を見た。

「帝都物産との件ですか」

「そうです。長年、理不尽な単価引き下げと技術の不正転用をされていた。でも証拠がなかった。あんたが三年前に読んだ書類の中に、うちの名前があったと言ってくれた時、信じられなかった」田辺は続けた。「今、うちは正常な価格で取引できています。従業員も守れています。だから、今度は俺たちの番だと思いまして」

蓮は少し間を置いた。

「ありがとうございます」

「礼はいいです。それより」田辺は箱を指した。「これ、五台あります。一人一台、使ってください。外に連絡が必要な時は、それを使えば盗聴はできません」

桐島が箱を開けた。

小さなデバイスが五台、並んでいた。

「田辺さん、外の様子はどうですか」陽菜が聞いた。

「事務所の周りに車が三台いました。中に人がいました。でも俺みたいな配達の格好をした人間は、素通りさせてくれました。プロっぽかったですが、一般人を力で止めるわけにはいかないようです」

「今後も、連絡の中継をお願いできますか」

「もちろんです」田辺は立ち上がった。「他にも篠原さんに助けてもらった会社が、何社かあります。みんな、動く準備はできています」

田辺が出ていった。

事務所が少し、明るくなった気がした。

桐島が「お前は本当に」と蓮を見た。

「三年前の恩返しが、今日来た」

「覚えていたから来てくれました」蓮は答えた。「覚えているということは、消えないということです。悪い記録だけじゃなく、いい記録も」

陽菜はデバイスを一台手に取った。

「次に進みましょう」

夕方、蓮はノートを一冊書き終えた。

次のノートを開いた。

「次の段階に移ります」蓮は陽菜に言った。「今日作った資料の一部を、外に流します」

「公開するんですか」

「全部ではありません。一点だけ」蓮はノートのある部分を指した。「オムニ・データの十二年前のデータ転売の痕跡です。相手先企業の名前と金額だけを、匿名で特定のニュースサイトに投下します」

「なぜ一点だけ」

「全部出せば、彼らは証拠隠滅に動きます。一点だけ出すと、どこまで漏れているかを調査しようとします。その調査の動きが、彼らのリソースを分散させます」

陽菜は少し考えた。

「煙幕ですね。注意を引いて、こちらの作業時間を稼ぐ」

「はい。加えて」蓮は続けた。「投下されたデータが本物だと確認できれば、メディアは続報を追います。彼らは俺たちだけでなく、メディアへの対応にも追われる」

桐島が「なるほど」と言った。「戦線を広げて、向こうの力を薄くする」

「三年前、帝都物産に使ったのと同じやり方です」

陽菜はパソコンを開いた。

衛星通信経由のネット接続だった。

蓮がデータを示した。

陽菜が匿名投稿の準備をした。

「準備できました」陽菜は言った。「いつでも」

蓮は少し考えた。

「今日の株式市場が閉まる三分前に投下します。取引時間外に広がれば、明日の朝一で反応が出ます」

「時間は」

「あと四分です」

四人が、パソコンの画面を見た。

株価チャートが動いていた。

オムニ・データの親会社の株価。

時計が動いた。

三分前。

「陽菜さん」蓮は言った。

「はい」

「エンターキーを押してください」

陽菜は画面を見た。

指をキーボードに置いた。

「押します」

エンターキーが、静かに押された。

データが、外の世界に出た。

五分後、ニュースサイトに投稿が現れた。

十分後、それを引用した別の投稿が出た。

三十分後、ソーシャルメディアのトレンドに関連ワードが入り始めた。

一時間後、オムニ・データの親会社の株価が、時間外取引でわずかに動いた。

マイナス〇・三パーセント。

小さな数字だった。

でも動いた。

【記録:202X年〇月〇日 17:22】

第一段階、完了。情報投下。反応確認。

炎上:微弱だが確認。

予測モデルへの影響:調査中。

「最初の一手が通りました」蓮は言った。

桐島がコーヒーを持ってきた。

「よくやった」

陽菜は画面を見た。

「彼らは今、どう動いていると思いますか」

「調査と対応で、社内が動いています」蓮は答えた。「誰がリークしたか、どこまで知っているか、次に何を出してくるか。三つを同時に調べようとしている」

「分散できましたか」

「しばらくは。ただ」蓮は続けた。「エドワードはすぐに気づきます。これが本命ではないと」

「どのくらいで」

「明日の朝には」

「じゃあ今夜」陽菜は立ち上がった。「使える時間がある」

「はい」

「続けましょう」

蓮はノートを開いた。

万年筆を取った。

残り二十日と数時間。

まだ書くことがあった。

その頃、都内のオフィスビルで。

エドワードはタブレットを見ていた。

流出した情報の内容を確認していた。

「……本物だ」

隣の部下が言った。

「どこまで持っている」

「わかりません。ただ」

「ただ」

「これは、最小単位の情報です。もっと大きなものが手元にある可能性があります」

エドワードはタブレットを置いた。

テーブルの上に、静かに置いた。

画面が暗くなった。

部下が「指示を」と言った。

エドワードは少し間を置いた。

「予測モデルを更新しなさい」エドワードは言った。「あの男は、今日アナログで動いた。デジタルを捨てた。その上でこのリークを出した」

「対応は」

「全部、想定外だ」エドワードは窓の外を向いた。「あの男の行動を、俺たちのモデルは予測できていない」

「ならば」

「力を使います」エドワードは言った。「データで勝てないなら、次の手は別にある」

タブレットの画面が消えたまま、テーブルに置かれていた。

オムニ・データの株価チャートが、わずかに傾いていた。


第62話 了 


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