第20話 合コンの真実
食事を終えて吉岡研に行くと、朝にいた本間くんと飛田くんのほか、もう二人人が増えていた。
「ああ杏さん、津久田くんと早見くんだよ。この4人が今年のうちの4年生だよ」
挨拶をして、ちょっと気になったので聞いてみる。
「みなさん、来年はどうする希望ですか」
すると皆、どこかの院に行きたいと言う。すると吉岡先生は、
「そうなんだよ。ある意味吉岡研は予備校なんだよ」
と笑った。
「先生、ご謙遜を。人が動けば学問が動きます。他大学への進学はいいことですよ」
と言ったら、先生は真顔になった。
「そうなんだよ。若い人には特定の場所にこだわらず、必要だったら世界中どこへでも行って活躍してほしいんだよな」
「世界ですか」
「そうだよ。ま、理論のいいところは、どこにいても世界に勝負できるところだけどね」
すると本間くんがおどろいたように言った。
「あの、僕たち世界と勝負できるんでしょうか」
吉岡先生は私に視線を送り、私に答えろと指示してきた。
「そうだよ。もちろん今は無理。だけど1年とか2年とかしたら、本当の研究に加われる。本当の研究は、日本だけに通用するんじゃなくてさ、世界に発信するものじゃないと意味ないんだよ」
「そうだ杏さん、君、論文何本出してるの?」
「すみません、まだ2本です」
「両方英文、査読ありだよね」
「はい、もちろんです」
「わかったかい君たち。この人は君たちより3つ歳上なだけだよ。だけどもう、世界と勝負してるんだ」
「先生、私は世界と勝負とか思ってません。ただ誰よりも早く、高温超伝導を本当に理解したいだけです」
「まあそれはいいさ、それと論文の1本は、実験だよね」
のぞみがサンプルをつくり、修二くんが測定し、私が解析したあの実験だ。
「はい、ファーストオーサーは、修二くんにとられましたが」
ファーストオーサーとは、論文を連名で投稿するときの第一著者のことである。
「あの実験は、事実上きみがコーディネートしたときいているけど」
「まあそうかもしれないですが、導入部分と結論部分を私、修二くん、あと緒方のぞみの3人で別々に書いたんです。その中で修二くんの書いたのが一番優れていたので、第一著者は修二くんになりました」
「ふ~ん、おもしろいことするね。池田くんとか榊原くんとかはなんて言ってたの」
「黙ってやりました。黙ってやって出来上がったものを先生たちに見せました」
「ほう」
「さすがにいろいろ直されましたけど」
「それ、やったの修士の1年だよね」
「書き上がったのは修士2年の春ですね」
修二くんはあの引っ越し騒動、結婚騒動のなかでちゃんと論文を書いていた。思い出すといまだに悔やまれるのは、正直に言ってあのとき私は浮ついていたと思われることだ。口では学問と家庭の両立とか、女性の自立とか言っていたのに。それなのに私はベストのものを書き上げることができなかった。のぞみは私がバタバタしているのをみていたけれど、のぞみ自身はそのとき安定した生活をしていたから論文を書くには一番有利だった。しかし一番忙しくて一番不利な修二くんが一番良いものを書いた。
そんな修二くんを好きになり、一生のパートナーにできたことを誇らしく思うと同時に自分の不甲斐なさを悔しく感じる。私はまだまだ修行が足りない。
「杏、どうしたの? 顔が怖いよ」
修二くんがいつの間にか吉岡研に来ていた。さすがにファーストオーサーをとれずに悔しがっていたとは言えない。でも吉岡先生には私の心情はおわかりのようで、
「君たちはいい仲間にめぐまれているね」
と言ってくれた。そして、
「とにかく4年生のきみたち、まずは大学院進学だ!」
とまとめた。
ゼミは吉岡先生と研究室の4年生4名、3年生の女子二人、そして私達2人でやることになった。教科書は吉岡先生の恩師にあたる大大先生の書かれた「金属の電子論」というものだ。幸い私は持っていた。今日は本間くんの日だ。
時間になり、本間くんが黒板の前で説明を始めた。
「今日からバンド理論に入ります」
それから教科書の式を書き、それを計算して次の式につなげていく。私は計算の甘いところをつっつき、修二くんは一つ一つの式の物理的意味にこだわった。計算は正確にしなくてはならない。こうなってほしいというのはいいとして、厳密にそうなることを示さなければならない。近似をするときは、その近似が計算しやすいという理由だけでなく、正当な物理的妥当性がなければならない。二人がかりでそのあたりを追求していたら、本間くんは肩で息をしていた。
吉岡先生が本間くんに言った。
「本間くん、理論物理も体力がいるってわかったかい?」
「はい、よくわかりました」
「今日はまだ早いけど、これくらいにしておこう。唐沢くん、本間くんたちの復習につきあってもらえるかな」
「はい、わかりました」
「聖女様、佐藤さん、池谷さんに今までのところ、教えてあげてくれないかな」
「いいですけど、聖女様って、どうにかなりませんか」
「もう、しょうがないんじゃない?」
「はあ」
とにかく修二くんは4年生四人、私は女子二人を相手に勉強した。
少し疲れてきた頃、吉岡先生はコーヒーを人数分淹れてくれた。女の子二人がカバンからおかしを出し、休憩になり雑談になった。
津久田くんが興味津々といった感じで修二くんに質問した。
「先輩、どうやって聖女様に出会ったんですか」
「え、あ、まあ合コンだよ」
「マジですか、聖女様、唐沢先輩の何がよかったんですか」
「黙秘!」
泥酔していたので何も覚えていない。
「聖女様、じゃあ扶桑女子大の後輩と合コン組めないですかね」
「きみたちさ、ここにかわいい後輩がいるよ。失礼なんじゃない?」
「かわいいのは認めますけど、後輩に手を出したなんてことになったら、やばいですよ」
「瑠夏ちゃん、明里ちゃん、かわいいって、よかったね」
「聖女様、何言ってるんすか、聖女様、マジでかわいいですよ」
「よし、よく言った。合コン、考えておこう」
「ありがとうございます、よろしくお願いいたします」
「しかしみなさん、私は聖女として一つの真理を告げなければなりません」
「な、なんですか」
「合コンは、始まるまでが合コン」
「家に帰るまでじゃないんですか」
「ちがう、始まるまでが合コン」
「そ、その、その心は?」
「始まって相手の顔を見た瞬間に終わる」
先生を含め全員のテンションがどーんと下がったのがわかった。おそらく全員が同じ経験があるのだろう。ちょっとかわいそうだったのか、修二くんは少しは希望をもたせることにしたのだろう。
「ま、ここに例外もいるからね」
と、発言した。
そう、私達は合コンで出会い、結婚したのだ。その合コンで私は泥酔した上、男子に物理のすばらしさを説教していたなんてことは知らせるわけにはいかない。




