第18話 演習授業
修二くんは樋口先生と学生実験室の方へ行った。私は吉岡先生の研究室に残り、今日の演習授業の内容を見せてもらう。今日の内容は、水素原子の電子の状態をシュレディンガー方程式から求めることだった。量子力学の教科書にはその問題が触れられているのが普通だから、ぶっちゃけ丸写しでもなんとかなる。だが教科書というものは紙面の都合で微妙に計算が省かれていたりするから、ノートとかをチェックするればその学生がちゃんと勉強しているかどうかすぐにわかる。
「学生のひとりにパワポで発表するように指示してあるから、聖女様は学生の間をまわって面倒見てあげてよ」
と先生はおっしゃる。すなわち発表中の学生の指導は先生、それ以外の学生については私が担当するということだ。この形式の授業だと、あらかじめ当てられていた学生はちゃんとやってくるだろうがその他の学生は手を抜ける。それを私にチェックさせようという作戦と見た。時間が来たので教室へ移動する。さっき吉岡研にいた4年生の本間くんも飛田くんもついてきて、教室の後ろの方に座った。
「みなさん、今日からこの授業でアシスタントとしてきてくれた、唐沢杏さんだ。杏さんは扶桑女子大を卒業したあと札幌国立大学で修士号をとり、今は大学院大学博士課程の1年目で、東海村で研究している。専門は、なんだっけ」
「超伝導です」
「そう、高温超伝導の理論だ。その他重い電子系とか低次元反強磁性体の研究もしている。なんでも質問していいぞ」
「唐沢杏です。よろしくお願いします」
授業が始まった。一人の学生がスクリーンに水素様原子の条件をシュレディンガー方程式にあてはめた数式を映し、式展開を汗をかきながら説明している。ときおり吉岡先生がコメントだったり、計算の不明瞭な部分を指摘して黒板に計算させたりしている。
私は学生たちの間をまわって、ノートをチェックしていた。ちゃんとやってきている学生、全然やってなくて真っ白なノートに書き写している学生予想通り両方存在した。とりあえずやっていない学生の名前を聞いて、メモをとるふりをする。さらに途中計算がいい加減な学生のノートのその箇所を指さして、小声でちゃんとやっておくように言う。女子学生が2人いたが、一人が質問してきた。
「私も解いてみたんですけど、途中で答えが合わなくなるんです」
ノートを見せてもらうと、参考書では省略されていただろう箇所で計算ミスをしていた。
「多分この式から次へ行くところでミスしてるよ」
と指摘してあげたら、必死に計算しなおそうとした。私は、
「そこのやり直しはあとでやって、今は先生が解説してるところ、むずかしいから聞いといたほうがいいよ」
と言っておいた。
演習の授業が終わり、昼食は吉岡先生と学食へ傘をさして食べに行った。修二くんは学生実験だから終わりが見えないので、最初から別々に食べる約束にしていた。
物理学校の学食は巨大だった。巨大になってしまった理由は聞かなくてもわかる。近所に飲食店がないからである。札幌の場合はキャンパスを十分弱歩いて外に出れば一応学生相手の店があるのだが、ここにはまったくない。そして物理学校の野田キャンパスには学食が一つしか無い。
その巨大な学食で、どうしても女子学生は少数派だ。薬学部があるといっても女子は全体の十分の一くらいに感じられ、若い男子の強烈なパワーを感じる。また、札幌国立大学では学食が何箇所かにあり、私達がよく使っていた学食は3年生以上がほとんどだった。だが、ここでは1・2年生もいる。若い分やっぱり元気があるように思う。
とりあえず日替わりランチをとって、席についた。吉岡先生とよもやま話をしながら食事する。
「なかなか的確にアドバイスしていたようだね」
「いや、わかりませんけど、計算でつまずくところは大体わかりますから」
「それは札幌で後輩たちの勉強みてたってこと?」
「みてたっていうか、院試の勉強につきあってあげたことはあります」
「厳しく教えたんでしょう」
「時間がなかったので、ちょっと厳しかったかもしれません。泣いてましたから」
私に泣かされたのはもちろんカサドンだ。
「まあ泣くのは君が厳しくて泣いてたんじゃなくて、自分の不勉強に泣いてたんだろうけどね」
「そう思います」
「そういったところは宮崎くんに鍛えられたのかな? それとも池田くん?」
私の恩師達を「くん」呼びするのだから、吉岡先生はとてもとても偉い先生なのである。そのえらい先生のゼミに呼ばれたのは光栄だ。それはそうと、本当に私を鍛えてくれた方の名前を出さないわけにはいかない。
「実は私、4年のときに扶桑の澤田克子先生にしごかれたんです」
そんな話をしていると、さっきの演習に出席していた2人の女子学生が通りかかった。
「先程はありがとうございました」
質問してきた学生がお礼を言ってきた。




