セントラ(5)
オルマが王都付近まで辿り着いたとき、既に戦いは始まっていた。
完全に夜の闇が辺りを覆い、太陽は星の裏側に隠れてしまっている。しかし氷狼の白き毛皮が燐光を放ち王都全体を冷たく照らしている。氷狼の巨躯は都市全体よりも大きく、そこを横切っただけで全てを壊しかねない荒々しい動きをしていたが、王都に常駐する宮廷魔術師たちが障壁を張り何とか損害を食い止めているところだった。もしこの決死の抗戦がなければ、とっくに王都は潰滅していたことだろう。
オルマは氷狼が放つ冷気が大地を凍らせているのを見た。大粒の雪も降り始め、強風に弄ばれて視界を埋め尽くしている。じっとしているとあっという間に雪の中に埋もれてしまいそうだった。
氷狼がその鋭利な爪を突出し、王都を守護する結界に衝撃を与える。そのたびに王宮の尖塔に陣取り魔術を駆使している魔術師たちの何人かが血を吐きながら倒れた。氷狼の攻撃は、単に物理的な破壊をもたらすばかりでなく、魔術的な干渉もしているらしい。
「なんとおぞましい……。こんな化け物に、本当に勝てるのか……」
氷狼は爛々と光る眼を王都に向け、執拗にその破壊を狙っている。やがて相手の魔術師の力量を見極めたか、大きく跳躍した。
王宮の真上に狙いをつけたその攻撃で、結界が砕け散った。尖塔の上に立っていた魔術師たちが逃げ惑うのが見える。
オルマは覚悟した。王都が壊滅する最悪の事態を。
しかし、そうはならなかった。突如王宮付近から白い炎の柱が出現し、氷狼の躰を押し上げ、撥ね飛ばした。氷狼はおぞましい叫び声を上げながら近くの干上がった河の辺りに落下した。
オルマは何が起こったのか分からなかった。ふと気配がしたので振り返ると、そこにはキレスが立っていた。
「キレス殿……! 今のは、あなたが?」
「宮廷魔術師たちが下手に結界を張っていたので、あらかじめ王都に仕込んでいた魔術を発動することができなかったのです」
キレスは早くも疲れ果てているようだった。そして氷狼がむっくりと躰を起こすのを見る。
「……やはりほぼ無傷ですか。今のは考え得る限りの最大火力の魔術だったのですが……」
「き、キレス殿。氷狼を倒す術はあるのだろうか?」
「王宮の真下に眠っていたはずの氷狼が、こうして王宮の外に弾き出されている以上、魔術師の力を結集すれば、対抗することができないわけではないと思います。ただ、それは万全の状態で挑んだときの話」
キレスはオルマを正面から見据えた。
「オルマ様。王都の住民を速やかに避難させてください。私がこの命を賭して時間を稼ぎます」
「キレス殿……。なぜそこまでして、自分を見限った王国に尽くすのか……」
「確か、有名でしたよね。私って変わり者なんです」
キレスはふふっと笑う。そして魔導衣を翻して氷狼のほうへと駆けて行った。白い炎が彼女の周囲に噴き上がり、それが無数の球体となって氷狼に向かって飛んでいく。オルマは一瞬だけ彼女のほうに注意を向けたが、すぐに王都に向かって走り出した。
王国民の避難が数分で完了するわけがない。キレスはそれを分かっているのか? しかも王都からどこへ逃げるというのか。逃避行の先には絶望しかない。オルマはがみしゃらに走った。王都の門には既に逃げ惑う民の姿が見えた。
「東門を開放しろ! 何をしている!」
オルマは叫びながら王都の中に入った。外壁の巡視路で右往左往していた兵士がオルマを茫然と見る。
「避難を誘導するんだ! 私の指示に従え! 西門以外の門を開放してさっさとここから逃がすんだ! 敵は待ってくれないぞ!」
「政務官様! しかし東門は王族の通行しか……」
「私が許可する! もし文句を言ってくる奴がいたら私の名前を出せ! この政務官オルマの名を!」
「は、はい!」
兵士たちがやっと機敏に動き始める。オルマは街中を走った。結界が破壊された衝撃で家屋が倒壊していたり、小規模な火事が起こっていたりした。久しぶりの夜の到来に歓喜している連中もいて、オルマは近くを歩いていた兵士たちに、力ずくでも王都の外に逃がせと命令した。
「忙しそうね」
暗がりから声がした。オルマは目を疑った。そこにいるのはシエラとヒュードだった。
「し、シエラ殿! やはり力を貸してくださるのですか!」
「越境門が氷狼のせいで凍り付いちゃってね。帰りたくても帰れないのよ」
気軽な星間旅行を可能にする越境門。遠く離れた地点を結ぶ魔術と科学の結晶たる代物である。この星にも複数あるが、ちょっとした環境の変化で利用できなくなる不安定なものでもある。氷狼の出現で影響を受けてしまったか。
「そ、そうですか。では……」
「かと言って、氷狼を倒すわけにはいかないけどね。特別な事情がない限り、任務以外の交戦は禁じられてるんだわ」
オルマは落胆した。シエラは少し困っているようだった。
「別に、イジワルしてるわけじゃないんだけどね……。ま、王都の人間の避難が完了するまで、結界を張るのをお手伝いするくらいはできるかな」
「本当ですか!」
「言っとくけど非公式のお手伝いだからね。これ、本社には内緒よ」
シエラが手を翳す。すると半透明の結界が王都全域を覆った。
間もなくして、結界に氷狼が体当たりをしてきて、王都全体に衝撃が走った。シエラがその場でよろめく。
「うわ……。これ、私が本気で戦っても勝てるかどうか分からないわね。こいつを退治するとなったら、B級以上の仕事よ」
「氷狼が攻撃してきたということは……。キレス殿は」
「やばいかもね……。でも氷狼のやつ、むかつくなあ。非公式の手伝いじゃなかったら、正当防衛が成立するんだけど」
「正当防衛ですか」
「任務以外でも、正当防衛が成立するなら、戦っても良い。ただし相手を殺すこと勿れ。そういう社内の細則があるの。契約書にも書かれてたはずだけど」
オルマは頷いた。
「なるほど……」
「それよりオルマさん。さっさと避難を完了させて。あと何発かもらったら私の結界も破られるかも」
「はい!」
オルマはその場を走り去った。しかし避難を誘導することは他の人間に任せ、王都から飛び出した。
氷狼が結界に喰らい突き、それを破ろうと躍起になっている。そのたびに結界が揺らぎ、震えている。オルマは目を凝らして人影を探した。間もなく、近くの岩陰にキレスが倒れているのが見えた。
「キレス殿!」
オルマはキレスに駆け寄った。死んでいるのかとヒヤヒヤしたが、キレスはうっすらと瞼を開けて、微笑んだ。
「……あ、オルマ様……。申し訳ありません、大して時間を稼げませんでしたね……」
「大丈夫。シエラ殿が援軍に来てくれた。もう少し結界がもつはず……。それより、私に策がある」
「策?」
「あなたの力が必要だ。まだ立てるか?」
「ふふふ……。オルマ様は無茶を言う……。でも、忌々しいことに、誰かが手を貸してくれればまだ何とか立てそうですかね……」
「英雄殿には、責任を取ってもらう」
オルマは決然と言った。
「ただ太陽を破壊して終わり、というのでは収まらない。全ての問題を解決してこそ助っ人。そうは思わないか、キレス殿」
「よく分かりませんが……。ふふ、いいでしょう。あなたの考えに乗ります」
オルマはキレスを背負い、やっとの思いで歩き出した。氷狼が王都の結界を攻撃し続け、轟音が鳴り響いている。逃げ惑う人々の悲鳴が雪の王都の空気を切り裂き、オルマに焦燥を与え続ける。力を振り絞り、再び王都の中へと入っていった。




