セントラ(4)
二人の魔女が炎を纏った――正確に言うなら炎を生み出す為の魔力を顕現し臨戦態勢に入った。シエラとキレスが自らの腕に宿したその炎は、言うなれば開戦前のデモンストレーションに過ぎない。
「あなたの炎からは美学を感じません。道を究めるのに必要なのは優れた技倆でも並外れた才能でも超人的な忍耐力でもなく、正しいと信じた道を突き進む為の道標。すなわち美学なのです」
キレスが白色の炎の弾を撃ち出した。部屋全体を焦がすほどの圧倒的な熱量を含み、オルマは悲鳴を上げながら退散したが、シエラはそれを悠々と迎え入れた。
「進むべき道が見えないというのならそれは視野が狭いというだけのこと。私は普通の人より、物事がくっきり見えるタチなの」
シエラはその炎弾を素手で受け止めた。そして拳より大きいその弾を強引に握り潰す。キレスが目を見開いた。
シエラは煙を払いながらキレスへと接近する。
「どうしたの。もう終わり?」
「そんなわけないでしょうが!」
キレスが更に強力な炎の魔術を発動せんと詠唱を始める。シエラはわざわざ立ち止まって詠唱が終わるのを待っていた。力でねじ伏せるというのか。大した自信である。
オルマは、どちらを応援すべきか分からなかった。英雄シエラが勝てば、この国を悩ませ続けてきた擬似太陽が破壊されることとなる。だがそうなると氷狼とやらが地上に出現することになる。かつてこの地に栄華を誇った古代国家。それを滅ぼした凶悪な魔物を、疲弊し切ったセントラの軍が撃退できるだろうか……?
かなり厳しい話だ。しかしかといって、このまま太陽を拝み続けていても、この国はいずれ滅ぶことになる。セントラの魔術師が水不足や猛暑、感染症などの問題に対処して回っているが、そろそろ限界がくる。太陽を破壊するとしたら、今このときが潮時。そういう判断もできる。
いちかばちか、太陽を破壊し、氷狼と戦うべきではないか……。古代の魔物の実力は未知数で、案外あっさり倒せるかも知れない。そういう可能性もある。
「オルマさん、言っとくけど、あなたがあれこれ悩んでも無意味よ。私は任務を遂行するだけ。契約に従いこの魔女を倒す!」
シエラが黒色の炎を両腕から噴き出した。キレスが放つ白色の炎と激突し、混ざり合い、奇妙な色彩を放つ。異様な臭気がオルマのところまで届き、一瞬意識が飛びかけた。首をぶんぶん振って何とか踏みとどまる。
戦いはシエラが優勢だったが、圧倒しているというほどではないようだった。二人の魔女はいよいよ接近し、取っ組み合いができるほどの距離にまでなっていたが、依然二人は炎を纏い、その炎をときに鞭のようにぶつけ合い、ときに盾のように展開し、壮絶な戦いを繰り広げていた。
「やれやれ」
背後で声がした。ぎょっとして振り返るとヒュードがそこに立っていた。
「茶番だな……。シエラ、任務を忘れるな。太陽の異変を解決することが今回の目的。そこにある装置を破壊すれば全て解決するはずだ」
ヒュードの言葉に、シエラは叫び返す。
「その装置を破壊するのが簡単じゃないのよ! 魔術のマの字も知らない門外漢は黙ってて!」
シエラの言葉を継ぐように、キレスが言及する。
「その装置で擬似太陽を形成しているのは確かにその通りですが、その装置の原動力は私の命と連結しています。人智の範囲の中では最も強力とされている魔術の一つで、私の命を絶たねばその装置を破壊することができなくなっています」
「そういうこと。装置を破壊するには、この魔女を殺さなくちゃならないのよ」
ヒュードはしかし、二人の魔女を冷然と見返した。
「確かに俺は魔術を知らん。だが、シエラ、お前は俺を見くびり過ぎじゃないか?」
ヒュードが抜剣した。
それは刃を持たない剣だった。柄だけの得物。まるで武器とは言えない代物だったが、オルマは直感的にそれがおぞましいものであることを悟った。
シエラが息を呑む。
「ち、ちょっとヒュード! まさかそれをこの場所でぶん回すつもりじゃないでしょうね!」
「コントロールはする」
「できるの!? この前なんか街一つ吹き飛ばしたじゃないの!」
「あのときは剣の調子が悪かった。それにあの街の住民は全て避難済みだった。思うに、良い仕事をするにはある程度の緊張感が必要だな」
一瞬、眩い篝火の明かりがくすんだように見えた。そしてヒュードの剣が現出する。それは不定形の移ろう刃だった。シエラの光の魔術は、光源が定かではないためか、影というものを生み出さない。しかしなぜかこのとき、ヒュードの周囲には影のような闇が現れていた。
シエラが頭を抱える。
「ああっ、もう! 今回こそは私一人で解決まで漕ぎつけようと思ってたのに! 」
ヒュードが柄を振るう。オルマは自分が今存在する空間が歪んだ心地がした。もしかするとその感覚は正しかったのかもしれない。まともに立っていることができずによろめいた。
次の瞬間、部屋の中央で白い炎を上げていた篝火が、ふっと息を吹きかけられた蝋燭の火のように、あっさりと消えた。次いで、装置全体に皹が入り、砕け、瓦解する。
キレスが唖然としていた。
「なっ……!? そんな、ありえない……!」
キレスが愕然としている横で、シエラは嘆息する。
「まったく、短気なんだから。衝撃でこの洞窟が崩れるとか、この一帯全て吹き飛ぶとか、それくらいの予測はつかないの? あなたはそれくらい野蛮な方法でこの装置を破壊したのよ?」
「知らんな」
ヒュードは他人事のように言い、剣を鞘に収めた。そして背を向ける。
「装置は破壊した。そこの魔女に再び装置を建てる余力は残っていないだろう。外に出て太陽が没するかどうか確認したら引き上げだ。次の仕事が待っている」
「はいはい」
ヒュードが歩み去った。オルマはその場で倒れ込んだままだったが、シエラが立たせてくれた。
「ほら、行くわよ、オルマさん。帰りも馬車に乗せてあげるから」
「え? し、しかし、シエラ殿」
「あ、ヒュードの剣の秘密が気になる? あれはこの世界に存在する影をそのまま刃に変える魔剣なのよ。夜だったら無敵なんだけど、太陽が支配する世界っていうのは、あの男にとってもやりにくい環境だったみたい。口数が少なかったのもそのせいね、きっと」
オルマはかぶりを振った。
「そ、そんなことではなく……!」
「私が洞窟に入って光の魔術を使ったのも、あの男が暴走しないように配慮した結果なんだけど。ついキレスとの交戦で、そっちがおろそかになっちゃったみたいね。最後の最後でしくじったわ」
「そうではなく!」
オルマは叫んだ。
「今、外の世界はどうなっているのですか! 氷狼が覚醒したのではないですか?」
「さあ。今から確認しに行くんでしょ」
オルマは恐ろしかった。外に出て夜の世界が広がっているのだろうか。今頃、王都の人々は喜びで両手を突きだしているだろうか。いや、今の時刻だと、ちょうど日没前くらいだったか……。
オルマはシエラに支えられながらも洞窟の外を目指した。氷狼が復活したのなら一大事だ。せめてこうなることを事前に報せることができたなら、色々と対処法を考えられたかもしれないのに。
苦労しながら外に出た。ちょうど太陽が地平線の向こうに没するところであった。それ以外に特に異変は見られない。
「氷狼は……」
オルマが呟く。やはりキレスの言葉は全て妄想の類だったのだろうか。そう思いかけたそのとき、地震が起こった。
最初は弱々しい揺れだったが、徐々に大きくなっていく。やがて経験したことのない巨大な地震となった。オルマはその場に這いつくばったが、シエラとヒュードは平然と立っていた。
「あれがそうね……」
シエラが指差す。揺れが収まり、オルマは何とか立ち上がった。地平線の向こう、地の果てに隠れかかった太陽に覆い被さるように起き上がる影があった。
最初はそれが近くにいるのだと思った――しかしそうではなかった。王都方面に現れたその魔物の頭が雲を突き破り巨大な咆哮を上げたそのとき、オルマは絶望した。なんと巨大な魔物か。
オルマたちのいる地面が、早くも冷え始めていた。この大地全体を凍り付かせる勢いだった。
「あれが氷狼……」
「綺麗な白い毛皮ね」
シエラは暢気に言い、近くに停めていた馬車に乗り込んだ。
「さて、そろそろ退散といきましょうか。あんまり長居すると風邪ひきそうだし」
オルマはもちろん馬車に乗り込む気になれなかった。シエラは肩を竦めると、荷台に乗り込んだヒュードと共に、その場を走り去ってしまった。
オルマはその場に立ち尽くすしかない。いつの間にか背後に立っていたキレスが呟いた。
「この国の終わりですね。誰もあの氷狼には敵わないでしょう」
「キレス殿……。申し訳ない。私はあなたが人知れず戦っているとも知らず……」
「それは別にいいのです。信用を得られなかった私の人徳のなさが招いた結果です」
キレスは歩き始める。オルマはそんな彼女を呼び止めた。
「どこに行くつもりか」
「駄目元で、あの氷狼と戦ってきます。一応、準備はしてきています」
「か、勝てる見込みは……?」
「何万回やろうと勝てないでしょう。私と同程度の実力の魔術師が何百人といて、やっと互角といったところですかね」
キレスは寂しげな笑みを浮かべた。
「オルマさん。私はあなたがたの追及から逃れる為に、全く関係のない一人の女魔術師を拷問にかけさせ、死なせました。直接手を下したわけではありませんが、私が殺したようなもの。紛れもない犯罪人です」
「キレス殿……。しかしあれは」
「私はあの瞬間から、もう後戻りできなくなりました。罪を償うだとか、国家に貢献するだとか、そういった概念を捨て去り、狂気の道に走るしか、氷狼に対抗する術を見出せなくなったのです」
「だから、なお戦うと?」
「はい。この命を燃やし尽くすことになろうとも、戦い続ける。そういう道を選んだのです、このキレスという女は」
オルマはもう何も言えなかった。戦いに赴く一人の魔女の後姿をただ見つめていることしかできない。この国は一夜にして滅び去るかもしれない。そんな想像をして、オルマは寒さのせいではなく、躰の震えが止まらなかった。




