天使の庭(4)
エステルは英雄派遣会社に入るまで、自分が格別強いと思ったことはなかった。初めて自分の剣術に自信が持てたのは、最初の依頼をこなし、依頼人からその腕前を絶賛されてからだ。
神速の剣技――そのような言葉で褒められた。引っ込み思案で、謙虚が過ぎて卑屈に見えることさえあるエステルは、他の英雄たちからそのことでさんざんからかわれた。当時彼女はE級英雄で、多くの同僚からは「何かの間違いで入社してきた可愛い女の子」くらいにしか思われていなかった。
ただ、エステルは自分の力が十分世界の脅威に対抗し得ると知ってから、もっと自分の力を伸ばしてみたいと思うようになった。剣術だけならE級英雄止まりかもしれない。しかし自分にはもっと才能がある。エステルはそう信じるようになった。戦いはどうしても好きになれないし、その中に身を置くのが怖いときもある。ただ、好き嫌いは別にして、自分にはまだ可能性が眠っている。その信念は、彼女の力を伸ばすのに大いに役立った。
「ごめんなさい……!」
エステルの小剣が紫電を纏った。恐るべき速度で閃いたその剣先は、魔物を十字に斬り飛ばし、四つの肉片へと変貌させた。そしてその断面から発火し、部屋に炎と煙をもたらした。
すぐに炎は消え、後には白い煙だけが残った。ドゥリトルが咳き込んでいる。そんな彼の前に立ったエステルに、かの研究者は驚愕の眼を見開いた。
「その恐るべき実力――半端な傭兵ではないな。まさか英雄派遣会社の英雄……!」
「ご、ご明察です。大人しく捕まっていただけますか。その……。もしそうしてくれるなら嬉しいんですけど……」
ドゥリトルはふんと鼻を鳴らした。
「ここで降参するくらいなら、最初からこんな騒動は起こしていない……! 殺せ」
「で、でも……」
エステルは躊躇した。人を殺したことは何度もあった。しかしいずれも人の命を何とも思っていないモンスターのような人間で、エステルは義憤と共に彼らを斬り飛ばしたものだ。しかし目の前のドゥリトルという男は抵抗さえしない。
「……もし、あなたを殺して、魔物たちが動きを止めるというのなら、そうするかもしれません……。でもあなたは見たところ、闘う力を持たない。殺しはしません。捕まえます」
ドゥリトルはふっと笑った。そして懐から短刀を取り出す。一切の躊躇なく、それを自分の胸に突き立てた。
エステルにはその動作の全てが見えていた。一歩踏み込み、小剣を跳ね上げるように振り払う。ドゥリトルの短刀が宙を飛び、天井に突き刺さった。
「……さすがだな、英雄は」
「自害なんて許しません。罪を償ってもらいます」
「罪、か……。ふん、私も確かに罪人には違いない。だが、本当の巨悪は……」
入口に向かって銃を撃ちまくっていたアラディンが後退を始めた。再装填なしで無限に弾を撃つアラディンが圧されている。
「まずいな、エステルさん、そっちを片付けたのなら加勢を頼む。僕の銃では抑え切れないようだ」
「はい!」
エステルが入口に向かい、血だらけになりつつもなお襲いかかろうとして来る怪物の両足を切断した。壁を走り突進してきたもう一体の頭部を撥ね飛ばし、更に胴に刃を食い込ませる。
大量の血を浴びたエステルは歯を食い縛り、膝を曲げて踏ん張りながら魔物の巨体を脇の壁に叩きつけた。頭を失い、胴に致命傷を負ったその魔物は、なおもぴくぴく動いていた。そこにアラディンの銃火が襲いかかりとどめを刺す。
エステルはふう、と息を吐いた。魔物どもの攻勢が一旦止んだ。ずりずりと傷を負いながらも後退していく。彼らの巨体には、この培養施設の通路は狭過ぎるようだ。
「退いたみたいですね……」
「悔しいな。僕の銃は押し切れると判断してじりじり進んできたが、エステルさんの剣術には敵わないと判断して撤退したってところかな」
「いえ、そんな……」
エステルは慌てて首を振った。アラディンは微笑を浮かべ、銃を構えたままドゥリトルに近付いた。
「今の感じだと、魔物が無軌道に暴れ回っているわけではなさそうだね。ドゥリトルさん、あなたが指示を出しているのかな?」
「ふん、答えると思うのか」
「じゃ、僕が勝手に推測を述べるけど。あなたは魔物の味方をしているだけであって、魔物たちを先導する立場にない」
ドゥリトルは無反応だった。エステルは首を傾げたが、アラディンは続ける。
「あの魔物たちのリーダー格は別にいる。あなたは、そう、魔物たちの産みの親ではあるが、協力者に過ぎない。つまりあの魔物たちは、自らの意志であの凶悪な肉体を手にすることになった……」
ドゥリトルは目を見開いた。
「貴様、知っているのか、真相を……」
「だから推測だよ。僕だって知っているわけじゃない。でも、その様子だと良い線行っているみたいだね」
エステルはアラディンとドゥリトルの表情を見比べた。自分だけ取り残されている感覚がして少々焦る。
「あ、あの……?」
「エステルさん。もったいぶるつもりはないが、間違ったことを教えても仕方ないからね。今から首謀者と会いに行こう」
「えっ……? 首謀者ですか」
「ドゥリトルさんと一緒なら、彼らも応じてくれると思う。話ができるくらいの理性は残っていると信じたいね。ドゥリトルさんがこうして生きているくらいだから、十分望みはあると思うけど」
「よく分からないんですけど……」
「僕だってよくは分からない。話を聞いてみないことには」
エステル、アラディン、そしてドゥリトルの三人は部屋を出た。壁や床、天井には無数の弾痕があり、魔物の死体が幾つか転がっていた。それらを見たドゥリトルの表情は悲しげだった。
三人が通路を進んでいると、天井の照明が復活した。暗闇に包まれていたのはごく一部の区画のみだったようだ。歩いていると曲がり角にちらりと魔物の影が見えるときがあるが、すぐに消えた。まるでエステルたちをいざなっているかのようだ。
「ドゥリトル……、さん。あの、魔物のリーダー格というのはまともに話せる相手なんですか」
「答える義理はない」
「私たちは魔物を殲滅すべく乗り込んできました。けど……、もし彼らが元々人間で、魔物に変えられた存在だというのなら、当然彼らにも人権がありますし、その……」
そのときドゥリトルの表情が変わった。顔が赤黒く変色し、目が血走る。
「……人権……、人権か。確かにそんなものがあれば……」
ドゥリトルはそれきり黙り込んだ。エステルは自分がいけないことを言ってしまったのかと少々気になったが、臨戦態勢に入っていたおかげでそれほど悩まずに済んだ。もしこれが平時ならドゥリトルの気分を害してしまったことを気に病んで塞ぎ込んだに違いない。
「エステルさん、こっちから人の気配がする。魔物たちもこちらに向かったようだ」
通路に生々しい血の跡が残っている。三人はそれを辿って進んだ。エステルは嫌な予感を抱きながらも先頭に立った。敵が襲ってくるだけならいい、だがどうにもそれだけでは収まりそうにない。
「いったい英雄どもを派遣させて、どういうつもりなのか。奴らは事実を全て隠し通せるとでも思っているのか」
ドゥリトルが呟く。エステルは通路の先にあった扉を蹴破った。鞘に収めた小剣の柄に掌を載せ、部屋の中の思わぬ熱気に目を眇めた。




