天使の庭(3)
通路の天井には太いダクトが張り巡らされている。それは天井上部に隠れることもあれば、壁を伝い床まで伸びている箇所もある。一部を取り外して中を覗いてみたところ、泥がこびりついていたり、擦り傷が無数についていたり、中を何かが通過している跡があった。
それは昨日今日にできたものではなく、少なくともここ数か月の間、誰かが頻繁にここを通って移動していたことを示すものだった。
それと共に、ダクトの中は異臭が激しく、エステルとアラディンは顔を顰めた。生ごみの臭いを更に激しくしたような。血の臭いも混じっている。
ダクトを通ってその異臭の原因を確かめるのも一つの手だったが、主に鼻が耐えられないという理由でこの方針は却下した。これしか手掛かりがないというのなら別だが、まだ培養施設全体を調べたわけではない。ダクトの中を気に掛けるのはその後でも遅くはない、そういう判断だった。
「しかし、仲間の死体の臭いにつられて、わんさか魔物が集まってくるかと思ったけど、そうでもないね」
アラディンがぼやきながら進む。天使の庭は電源が生きていて、照明に不足はないが、防火設備や展示物が通路の幅を制限し、死角が多かった。どこかに魔物が隠れている可能性もあり、二人は慎重に進んでいく。
「普通の魔物ではありませんでしたから。人型でしたし、異様にタフでしたし……。あの、アラディンさん」
「うん?」
「臓器培養技術を応用して魔物を産み出したというのなら。先ほど私たちが戦った魔物は、元々、人間だったんでしょうか?」
「いや、うーん……、どうだろうね。さすがにそこまで非道な行為は行われていないと信じたいよ。臓器培養というのはつまり、細胞分裂を促したり、その方向性を制御するということだろう? そして人間の臓器の培養を研究していたのなら、その技術を魔物開発に転用したとき、完成品が人間の姿に似るのは必然とも言える」
「そうでしょうか……? 一から魔物を作るなら、わざわざ人間の姿に似せる必要はないと思いますけど……」
「ええと……。話によるとここは、内臓の他にも、骨や血管、肌の移植も行っていたらしいから」
「骨も、ですか。なら骨格が人間と似るのも仕方ない……、のかな?」
「もちろん意図的に人間の姿に似せようと思わない限り、人型の魔物にはならないかもしれない。けど、元々ここは軍事施設ではないわけで、そのドゥリトルとかいう今回の事件の首謀者が、いざ臓器培養技術を使って魔物を産み出そうというとき、どのような骨格で、どこにどれだけの分厚さの筋力があり、循環器系はどのように機能させるのか、といったことは、彼にとって未知の領域だったに違いない。ならば普段研究している人体に、プラスアルファの要素を与えた魔物を生み出すのが無難と言える」
「それなら、生きている人間に改造を施している可能性があるってことでもありますよね?」
「素体が大量にあるなら、そうだろう。でもここは人体実験施設ではなく、あくまでも臓器培養の施設なんだよ」
アラディンがあくまで否定を続けるので、エステルは今まで思っていたことを口にした。
「そのドゥリトルという人が、かつての同僚たちを魔物に改造しているとしたら……」
「もし、そうなら、魔物の数を概算できるね」
アラディンは少し記憶を辿るような表情を見せ、
「確か、施設内に取り残された職員は、8人か9人くらいだったはずだ。魔物に殺されたと報告された人数と合わせて、だけど」
「じゃあ、魔物の数は多くて10体程度なんですね」
「ここの職員が魔物に改造されたとしたら、だよ。でもね、エステルさん、僕はその線はないと思っている」
「どうして、ですか?」
アラディンは微笑む。
「人間がそこまでできると思えないんだ。どうしてもね」
「そ、そうですか……?」
見解の相違だった。エステルは、人間はときにそういった常軌を逸したことに手を染める生き物だと考えている。
エステルはC級英雄であり、それなりに苛酷な現場に派遣されることもあった。そんなときに目の当たりにするのは、魔物の強さや災厄の巨大さではなく、窮地に立たされた人間の醜い部分だった。
自分が助かる為なら女子供でも平気で押し退ける。そんな人間ばかりではないと知ってはいるが、いざというとき優先されるのは本能であり、倫理や正義に殉じる覚悟をもつ人間は限られる。
ドゥリトルが研究者としての自分に絶望し、自棄になったというのなら、これくらいの悪行は働きそうなものだ。アラディンはお人好し過ぎるのではないか。エステルに対して優しい振る舞いをしたように、悪人に対しても非情に徹することができないのではないか……。
「エステルさん、不満そうだね? ふふふ、まるっきり同じ意見とはいかないのが人と人だよ」
アラディンの言葉にエステルは赤面した。
「いっ、いえ、そんなことは……」
「エステルさんの言いたいことも分かるんだよ。と、言うか、エステルさんの考えている通りだったらいいのにな、とも思ってる」
「えっ?」
「僕が考えているのは別のシナリオだ。悪人が一人で済めばいいんだけどね、ってこと」
「ええ……?」
エステルにはよく分からなかった。詳しく問いただそうとしたとき、前方の通路で誰かが動いた気配があった。
「――楽しい雑談の時間は終わりだね。行こうか、エステルさん」
「は、はいっ」
二人は慎重に進んでいく。通路天井に設置された照明が切られていた。よく見ると発光体が収められた管が叩き割られている。
罠か。窓も何もない所内において、照明を叩き割られると、そこに広がるのは真なる暗闇。エステルたちの行く手には闇が広がっている。
「エステルさん、電燈を二つ持ってきたから、それを使おうか」
「え。あ、はい」
「手に持つと武器を遣えないから、頭にでもつけようか。バンドも持って来たんだ」
二人は坑夫よろしく頭に電燈を装着した。エステルはおでこの位置に電燈をつけたが、それを見たアラディンが笑っている。
「あっはははは、エステルさん、なんか可愛いね」
「か、かわっ!? そ、そんなことないです……」
「頼りにしてるよ。じゃ、行こうか」
「はい」
二人は闇の中を進む。強力な電燈のおかげで前方の視界は確保されている。通路の奥に一つの部屋があった。二人は視線を交わし、まずはエステルが扉に触れ、一気に中に踏み込んだ。
その部屋には物が何もなかった。かつては会議室にでも使っていたのか、床のカーペットに机や椅子が置かれていた形跡が残っている。
部屋には一人だけ人間がいた。魔物ではない。普通の初老の男性だ。白衣を着て、ポケットに手を突っ込んでいる。
「来てしまったか」
男性は沈痛な面持ちでそう言った。エステルはその男性を睨みつける。
「ド、ドゥリトル……、ですね?」
「そうだ。私がドゥリトル。私も有名になったのかな」
「今回の騒動の首謀者ということで名前が挙げられていたんです。その……、大人しくするなら捕まえることもできますが、つまり……」
「殺す、というのだろう? やってみるがいい」
部屋上部に伸びていたダクトの鉄板が一部破れ、そこから魔物が降ってきた。エステルはここで抜剣した。その勢いで魔物が繰り出した腕を切断、血を浴びた。電燈の一部を汚し、光が弱くなる。
しかし魔物は全く動揺することなくエステルに攻撃を繰り出してくる。やはりこの魔物も相当にタフだ。エステルは舌打ちした。
「アラディンさん!」
銃声が聞こえた。しかしそれはかなり遠くからだった。エステルは瞬間的に悟った。敵が通路のほうからも迫っている。挟み撃ちだ。間もなくして、アラディンが部屋に転がり込んできた。
「十体や二十体どころじゃない。とんでもない数がいるぞ」
「厄介ですね」
「狭い入口を利用して、部屋に入れさせないように少しずつ倒していくしかないだろう。その為には」
エステルに腕を切られた魔物が威嚇している。アラディンが部屋の入口に銃を撃ちまくりながら怒鳴る。
「そいつは頼んだ、エステルさん。僕はここで何とか踏ん張る!」
「分かりました」
エステルは小剣を構えた。のんびり戦っている暇はない。本気を出さなければならないようだ。エステルは深呼吸し、己の躰の延長たるその小剣に意識を集中させた。




