天使の庭(2)
エステルは必死だった。戦いのときになると頭の中が様々な感情でいっぱいになる。ふとするとパニックに陥りそうになるが、そもそも男性と会話するときだって錯乱状態に近くなる。もしかすると、引っ込み思案のエステルがまともに戦闘に参加できるのも、普段から男性相手に緊張を強いられているからなのかもしれない。日常が修練の場となり果てているのだ。
エステルは抜き放った小剣を払った。突進してきた人型の魔物の首筋を精確に捌く。どす黒い血液が噴出し、通路の天井や壁を汚した。魔物はしかし勢いを失わず、エステルの小柄な体を薙ぎ倒そうと腕を振り回した。
エステルには全て見えていた。常人ならまともな反応すらできずに魔物の攻撃を受けていただろう。せいぜいガードするのが関の山。しかしエステルは魔物の攻撃を寸前で躱し、ほとんど体勢を崩さずに二撃目を放った。
背中に突き立てた小剣を素早く捩じりながら引き抜く。肉の塊がごとりと床に落ち、ドッポドッポと大量の血液が流れ落ちる。
普通なら致命傷。しかし魔物は平気そうだった。背骨が剥き出しになった状態で、なおもエステルにその凶悪な牙と爪を向けている。
「しぶといですね……、すみません、アラディンさん」
エステルは応援を要請した。アラディンは頷き、二丁の銃を取り出した。それぞれの銃から一発ずつ撃ち放つ。
それらは拳銃のように見えたが、威力は桁違いだった。頭部と右足をそれぞれ吹き飛ばした銃弾は、肉と骨を貫通してなお施設の壁にめり込み、皹を入れた。
頭と足を失った魔物は、驚くべきことに、まだ息があった。片足でバランスを取ろうとして失敗し、倒れた。腕を振り回してまだエステルたちを攻撃しようと奮闘している。吹き飛んだ頭部が何か言いたげに床を転がっている。エステルはそれを見てぞっとした。生命力の強い魔物とは何度か遭遇したことがあるが、ここまでしぶといのは初めて見る。
首の断面で気泡が生まれては潰れる。頭部を失ってなお呼吸をしているのか。エステルは魔物の胸に剣を突き立て、肺を潰した。それでようやく動きが鈍くなった。ただし、完全に動きが止まるのに数分を要した。臓器や器官を損傷して死亡したというよりは、体内の血液を出し尽くして干からびて死んだ、というほうが正しい気がする。
アラディンが銃を仕舞い込みながら魔物の死骸を蹴飛ばす。
「これは……。普通の魔物じゃないな。幾ら何でもタフ過ぎる。エステルさん、怪我はなかったかな?」
「ええ……。だ、大丈夫です。でも、大挙して押し寄せてきたら厄介そうですね……」
「まあ、ここは屋内だから、上手く地形を利用すれば、複数を相手にしても余裕を持って立ち回れるだろう」
アラディンは言い、小さく溜め息をつく。
「確かにこれは英雄派遣会社に依頼を出して正解だったかもしれないね。普通の軍隊じゃ太刀打ちできないかもしれない」
「そ、そうですね……」
「じゃ、先を急ごうか。討ち漏らしがないように、全ての部屋を廻る必要があるね。本当は手分けして進んだほうが効率的なんだけど……」
「そうですね……」
「エステルさんはどう思う? 僕は万全を期して、二人で行動するのがいいと思うんだけど」
エステルは一瞬、返答に窮した。戦力的には、二手に分かれても問題はなさそうだった。いつもの彼女なら、男性と一緒に行動するくらいなら、多少危険でも単独行動を希望したことだろう。
ただ、アラディンとは普通に会話できそうだし、ここの魔物は異様な耐久力を誇る。戦士としての勘とでも言うべきか、胸騒ぎがしていた。
「単独行動は危険だと思います……。アラディンさんと同じく、二人で行動するのがいいかと」
「やっぱり? エステルさんも胸騒ぎがするのかな」
エステルはこくこくと頷いた。アラディンは白い歯を見せる。
「ふふふ。そうだよね。きな臭いよね、ここ。何もなければいいんだけど」
アラディンとエステルは先を急いだ。魔物との遭遇を警戒したが、先ほどの一体だけで、他はいたって静かなものだった。もしかするとこの施設にいる魔物はあれだけかもしれない。そんなことを言い合いながら部屋を見て回った。
電源は確保されており、照明が行く手を照らしてくれる。また、空調も機能しており、少し気を抜くと、ここが血腥い戦場ではなく、閑散としたオフィスの一角なのではないかと錯覚してしまう。
「魔物がいないことは結構なんですが、ここって本当に培養施設なんでしょうか……」
エステルが言うと、アラディンは頷く。
「僕もそれが気になっていた。それらしい設備がないんだよねー。万単位の患者の臓器を培養しているのなら、そろそろそういうのに行き当たっても不思議じゃないし……」
エステルたちが部屋で見つけるものといったら、書類だのベッドだの食べかすだの、そういったものばかり。生活感は感じられるのだが、最先端の培養技術をにおわせるようなものがない。これでは普通の宿舎を巡っているような気さえする。
見取図を確認する。意図的に削られた区画に近付いている。その先に決定的なものがあるのではないかと期待したが、あまり野次馬根性を出すのは褒められたことではないだろう。
ただ、そういう好奇心がどこから発生しているのかと言えば、任務の可否に関わる部分と言えなくもない。つまり魔物が臓器培養技術によって生み出されているという事前の説明を信じるなら、その臓器培養技術の存在を気にするのは当然のことであって、設備が全く見当たらない現状はやはりどう考えてもおかしい。
「見取図にないということは、あまり見られたくはない場所ということなんでしょうね?」
エステルが言うと、アラディンはふっと笑った。
「まあ、隠蔽するにしてもあまり上手い方法ではないと思うけどねー。たぶんそれとなく見逃してくれることを期待しているんだろう。その意向を汲んで、あまり詮索するのはやめておこうか」
「そ、そうですね」
エステルは同意した。そう、面倒事は御免だ。報告書に書けないようなことを体験すべきではない。そういったストレスとは無縁でいたい。
通路を歩いていると、向かいの角を猛烈な勢いで走り去る影が見えた。エステルとアラディンは緊張し、視線を交わした。
「見ました?」
「ああ……、第二号だね」
二人は魔物の影を追う。行きついた先は一つの部屋だった。エステルの頭の中には既に見取図が叩き込まれていたが、それによればここは空白地点。依頼人が隠したがっていた区画の一部。
「アラディンさん」
「うん、分かってる。でも、魔物の討伐を優先すべきだよ……」
部屋の中に踏み込む。そこは書類を収める棚が所狭しと並べられていた。部屋を見渡すがそこに魔物の姿はない。確かにここに逃げ込んだはずなのに。
「どこ行ったんだ、魔物は……」
アラディンが頭を掻いでぼやく。エステルはふと天井を見た。
「通気口……、がありますね」
エステルが指差したほうには、通気口があり、その太いダクトは部屋の外へと伸びていた。アラディンは首を振る。
「いや、これ、入口が狭すぎるよ。小さな子供なら通れるかもしれないが、さっき見た魔物の影は、少なくとも僕くらいの身長はあった」
とはいえ、他に出入り口はありそうにない。魔物はダクトを通って逃げたとしか思えなかった。
エステルはそう結論し、アラディンも渋々それで納得した。ふとエステルが部屋に視線を戻すと、一部の書類が棚からこぼれ、散乱していた。そこに書かれている文字が目に飛び込む。
『再生速度に難あり。臓器提供後類型を処分のこと』
わけの分からない数字や記号が羅列された書類の中で、それだけは読み取れた。エステルはすぐに視線を逸らしたが、この施設への不信感は、彼女の中でどうしようもなく肥大化していた。そしてそれはアラディンも同じだろう、彼女はそう感じていた。




