『背中を預けし二人の覇者』
戦いは、ついに両軍の総大将が刃を交える最終局面に達した。
山谷の狭い平地で、アラリックの黒鉄の宝剣と、張魁の巨大な鉄槍が激しくぶつかり合う。
ガギィィィン!!
凄まじい火花が散り、周囲の兵たちがその風圧に気圧される。
「ガハハハ! 腕力はなかなかのものだが、戦場の経験が足りんわ、若き皇帝よ!」
張魁が嘲笑いながら、重い槍を凄まじい速度で繰り出す。一度は敗北の恐怖を知ったアラリックの心が、再び揺らぐのを期待しての言葉であった。
しかし、現在のアラリックの心は、かつてないほどに澄み渡っていた。
「経験だと? 確かに余は未熟であった。財政を焦るあまり、敵の執念を見誤り、一万の兵を死なせた。だが……その自責の念、その屈辱こそが、今の余の血肉となっているのだ!」
アラリックは張魁の猛攻を紙一重でかわし、鋭い一撃を返す。張魁の頬から血が吹き飛んだ。
「な、何ぃ……!?」
「余には、我が背中を預けるに足る、最高の弟がいる! 貴様らのような逆賊の策などに、我がアルストラーナ帝国の威信が二度も屈すると思うな!」
その時、張魁の後方から凄まじい地鳴りのような足音が響いた。
「張魁、貴様の退路はすでに断った」
朝靄の晴れ渡った戦場に、銀の鎧を血で染めたイリアードが、セレスティアの別働隊を率いて新国軍の本陣の真裏から出現したのである。
イリアードは、アラリックが張魁を引きつけている間に、峻険な崖の裏道を密かに走破し、新国軍の退路を完全に封鎖していたのだ。
「ば、馬鹿な!? あの険しい山道を、あの短時間で超えてきたというのか!?」
張魁の目に、初めて真の絶望の色が浮かんだ。
前後を挟撃され、完全に孤立した二万の新国軍は、総崩れとなった。数において勝っていようとも、指揮系統を完全に破壊され、退路を断たれれば、それはただの烏合の衆に過ぎない。
「終わりだ、張魁」
アラリックが宝剣を高く掲げ、全身の力を込めて振り下ろした。
「おおおああああっ!!」
張魁は咄嗟に鉄槍で受け止めようとしたが、復活した覇王の、帝国の誇りをかけた渾身の一撃は、その鉄槍を真っ二つに叩き斬った。
閃光が走り、次の瞬間、新国の猛将・張魁の巨躯が、どっと地面に崩れ落ちた。
「……将軍が討たれたぞ!!」
「退却だ! 逃げろ!」
総大将の戦死により、新国軍は完全に崩壊し、兵たちは武器を投げ捨てて山林へと逃げ惑った。数日前、帝国軍が味わった惨劇が、今度は新国軍の上に、何倍もの規模となって降りかかったのである。
◇
血涙峡に、再び静寂が戻ってきた。
谷底を埋め尽くすのは、今度は新国軍の屍と、捕虜となった数千の兵たちであった。
返り血で黒く染まったアラリックは、戦場の中央で、息を荒くしながら空を見上げた。雲一つない青天から、黄金の陽光が燦然と輝き、彼を照らしている。
その隣に、静かに馬を寄せ、下馬したイリアードが歩み寄る。
「兄上、見事な勝利です。張魁の軍勢二万を撃破しました。これで死していった同胞たちの無念も、少しは報われたことでしょう」
アラリックはゆっくりと振り返り、イリアードの顔を見つめた。そして、力強くその肩を掴んだ。
「イリアード。お前が言った通りだった。恥を拭う方法は、この手で敵を打ち砕くことしかなかった。お前がいなければ、余はヘクスハイムの砦で虚しく朽ち果てていたか、帝都の野心家どもに引きずり降ろされていたはずだ」
「僕は当然のことをしたまでです。兄上は、帝国を統べるべき誇り高き覇王なのですから」
イリアードは穏やかに微笑んだ。その瞳には、兄への絶対的な信頼と、共に苦難を乗り越えた者だけの深い絆が宿っていた。
そこへ、側臣が興奮した様子で駆け寄ってきた。
「陛下、親王殿下! 帝都ラーナの尚書令ジョヴァンニ様、ならびに後宮の太皇太后様方より早馬が届きました! 殿下が飛ばされた密使により、ヘクスハイムでの合流と、このたびの大勝利の報が朝廷に届き、ボルゲーゼ太尉ら野心家どもの蠢きは完全に鎮静化したとのことです!」
「ふん、ボルゲーゼの狸め、余が死んだと踏んで色めき立っていたようだが、首が繋がって冷や汗を流していることだろう」
アラリックは冷酷に笑ったが、その表情にはかつての独善的な傲慢さはなかった。一度の歴史的大敗と、そこからの這い上がりを経て、彼は真の「皇帝」へと脱皮を遂げたのだ。
「全軍に告ぐ!」
アラリックは、勝利に沸き立つ六千の帝国・セレスティア連合軍に向けて、高らかに宣言した。
「我らは失った誇りを取り戻した! しかし、戦いはまだ終わっていない。新国の首都『鳳山』に潜む逆賊・崔厳の首を取るまで、我が帝国の剣が止まることはない!」
「「「おおおおおっ!!!」」」
六千の兵たちの地鳴りのような歓声が、血涙峡の空を突き破り、遥か北東の地へと響き渡っていく。
イリアードは、その光景を満足そうに見つめながら、静かに自らの剣を鞘に収めた。
(さすがはアラリック兄上。一度挫けたからこそ、その刃はより鋭く、研ぎ澄まされた……。新国の崔厳よ、本当の地獄はこれからだ)
朝霧の完全に晴れ渡った山岳地帯を、復活した皇帝と、それを支える気高き親王の軍勢が、新たなる進軍へと向けて力強く動き出した。帝国の未来を懸けた戦いは、いま、本当の始まりを迎えたのである。




