『銀蓮の強襲』
リゼリアは小さく扇子を広げ、口元を隠しながらセシリアに歩み寄った。
「ふふ、すっかり『姐さん』の貫禄ね、セシリア」
「もう、姉様までからかわないでください! でも、こういう荒仕事は私に任せてください。姉様は後方で安全になさっていてくださればいいのですから」
「いいえ、私も親王妃として、この目に焼き付けますわ。殿権が帝国の未来を背負って戦っていらっしゃるのですもの。妻である私たちが、その背中を護り、後顧の憂いを絶つのです」
リゼリアの瞳に宿る気高き光に、セシリアは思わず見とれ、それから嬉しそうに頷いた。
「はい、姉様! ……物見! 燕江の河口は見えたか!?」
マストの上の見張り台から、甲高いう叫び声が返ってきた。
「見えたぞーっ! 前方に燕江の河口! 新国水軍の警戒砦が見えます!」
「よし!」
セシリアは曲刀シミターを鞘から抜き放ち、前方の陸地を凛然と指し示した。
「全艦、突撃準備! 警備船なんぞ踏みつぶせ! 大河を遡上し、一気に王都・鳳山へ乗り込むよ!」
◇
その頃、新国の王都『鳳山ほうざん』の王宮では、豪勢な宴が催されていた。
燕王を弑逆し、自ら王位に就いて『新』を騙る崔厳さいげんは、黄金の杯を掲げて高笑いを上げていた。
「ハハハ! 見たか! 帝国の若造皇帝アラリックめ! 直属の精鋭を率いて息巻いておったが、我が将・張魁の策にかかり、血涙峡にて無残に散ったわ!」
「王様、誠にお見事におございます!」 「皇帝親征を退けたとなれば、もはや我が『新国』の威光を遮るものはございません!」
群臣たちが揉み手をしながら胡麻をすり、次々と酒を煽る。
崔厳はまさに有頂天であった。帝国軍はヘクスハイムの砦まで敗走し、わずか三千の残党を残すのみ。帝都ラーナでは敗戦の衝撃で内乱の兆しが見え始めているという情報も届いていた。
「陸の山道を抑えている限り、帝国軍は二度と立ち上がれん。よしんば南方のセレスティア親王イリアードと合流したとて、ヘクスハイムで足止めだ。……この新国の繁栄は約束されたのだ!」
崔厳が杯を飲み干そうとした、まさにその時であった。
――ドォォォォン……!
大地を揺るがすような重厚な不気味な轟音が、王宮の柱を大きく揺らした。
宴の場が一瞬にして静まり返る。
「な、なんだ……? 今の音は……雷か?」
崔厳が首を傾げた直後、殿舎の扉が激しく開かれ、血まみれの伝令兵が転がり込んできた。
「た、大変です! 崔厳様! 大変なことが起きましたーっ!」
「無礼者! 宴の最中になんだ! 落ち着け!」
「う、海から……! 燕江の河口から、おびただしい数の大艦隊が遡上してまいります!」
「何だと……!?」
崔厳の顔から一気に酒気が吹き飛んだ。
「水軍だと!? 帝国の水軍は南方のアシェロン川に固まっているはずだ! どこからそんなものが現れたというのだ!」
「く、黒地に銀の蓮の花の旗! そして見たこともない凶悪な海賊船の群れです! 河口の警備砦は一瞬で接舷攻撃によって壊滅! 敵の手先はすでに燕江を遡り、この鳳山の港へと肉薄しております!」
「な……なにぃぃぃぃっ!?」
崔厳は持っていた黄金の杯を床に落とした。カチャンと虚しい音が響き渡る。
「馬鹿な……! 陸の山岳地帯を完璧に封鎖していたのだぞ!? なぜ……なぜ海から、王都の真裏を突いてくるのだ!?」
「敵の先頭……! 女海賊の姿をした将が、黒地に銀の蓮の旗を掲げて叫んでおります! 『セレスティア親王イリアードの命により、逆賊・崔厳の首を貰いに来た』とーっ!」
「セレスティア……!? あの南方の不毛の地か!? なぜ……なぜそこまでの戦力が……!」
崔厳の悲鳴が、豪華絢爛な王宮の中にむなしくこだました。
◇
鳳山の港は、すでに地獄絵図と化していた。
『水龍』をはじめとする百余隻の海賊船団が、河港を埋め尽くす新国の船舟を蹴散らし、怒濤の勢いで接舷していく。
「野郎ども、突撃ーっ! 宝は早い者勝ちだぞーっ!」
セシリアが曲刀を振りかざして先陣を切り、船から港の石畳へと跳び移った。それに続いて、野獣のような海賊一万が、凄まじい歓声を上げながら雪崩れ込んでいく。
「ひぃぃっ! 敵だーっ!」 「港を防衛しろ! 迎撃……ぐわぁっ!?」
ろくな防備も敷かれていなかった新国の港湾警備隊は、海賊たちの圧倒的な暴力の前に一たまりもなく崩壊していった。彼らは陸からの襲撃しか想定しておらず、水際での大規模な戦闘など何一つ準備していなかったのだ。
港に降り立ったセシリアは、次々と襲い来る敵兵を軽やかな身のこなしで斬り倒していく。その姿は、まさに戦場に咲く一輪の悪の華であった。
「ふふ、案外もろいわね! 陸で皇帝陛下を相手に知恵を絞りすぎて、裏口の鍵をかけ忘れたのかしら!」
港の安全が確保されると、『水龍』のタラップが下ろされた。
そこから静かに降り立ってきたのは、日傘を挿したセレスティア親王妃リゼリアであった。焦土と化す港の石畳を、あたかも自分の庭園を散策するかのように優雅な足取りで歩んでくる。
「見事な鮮やかさですわね、セシリア」
「ええ、姉様! このまま一気に王宮へ雪崩れ込んで、崔厳の首を取って差し上げますわ!」
リゼリアは小さく頷き、扇子で西の空を指した。
「ええ。ヘクスハイムの砦では、殿下とアラリック陛下が反撃の準備を整えていらっしゃるはず。私たちがこの鳳山を落とし、新国の背後を完全に断ち切れば、敵は前後に挟まれ、完全に挟み撃ちとなりますわ」
リゼリアの言葉通りであった。
陸では、イリアードの救援によって復活を遂げた皇帝アラリックとセレスティアの精鋭が、ヘクスハイムから怒濤の反撃を開始しようとしている。そして海からは、リゼリアとセシリア率いる一万の海賊船団が、新国の心臓部である鳳山を直接急襲しているのだ。
これこそが、セレスティア親王イリアードと、彼を愛する二人の妻が仕掛けた、完璧なる「挟撃の網」であった。
「さあ、行きましょうセシリア。不義をもって国を乱した逆賊に、帝国の……いいえ、セレスティアの恐ろしさを教えて差し上げるのです」
「はい、リゼリア様! 全軍、私に続きなさい! 王宮へ突入するよーっ!」
女海賊の姿をした側室セシリアの叫びとともに、一万の海賊たちが王宮を目指してなだれ込んでいく。
その背後で、セレスティアの「黒地に銀糸の蓮の花」の軍旗が、鳳山の港の風を受けて力強く、美しくたなびいていた。




