潤い
エンジンをかけたい
「はー、いやいや酷い目にあったよ。犯人と疑われても困るからね、監視カメラやら教授を回避してたら随分と時間がかかってしまった」
漫画のように黒焦げになった袈裟と煤だらけの顔、爆発したかのような髪形になったままで先輩が返ってきた。髪の毛は数回の手櫛で直していたので、おそらくわざと演出としてぼさぼさにしていたのだろう。煤のほうも本物ではなく、インクのように見える。
「メイクしている時間はあるみたいだけれどね? あと煙いからちょっと外で払ってきてくれないか」
先輩はは刺々しい態度で部長をあしらい、部長は仕方ないと言わんばかりの態度でにやにやしながら再び外に向かった。
「さて、授業はたぶんなくなるだろうけど。どうする? 私の実家に招待しようか? 面白い話とかいろいろできると思うけれど」
「お気持ちだけはありがたく受け取っておきますけど、ちょっとしばらくの間は遠慮しておこうかと思います。今日はもうしばらくはここにいておきますよ。マツリ、ちょっとこっち来てくれるかい」
部長に聞いておきたいこともいくらかあるのだし、すぐに帰るという選択肢は今のところない。窓の外を眺めて警戒していたマツリを呼びかける。
「マツリ、ここ2.3日……もっとかな? ずっと気を張ったままだし、少し休憩をさせられたらいいんだけども。あるいは何かしらやりたい事はあるかな?」
「うーん、私は大丈夫ですよ?」
「そうでもないだろ、うちに来てくれたばかりの時はもっと……なんというかジョークみたいなことを言ってくれるくらいには余裕があったと思う。でも今はそうでもない、と思う。わざわざ俺のために腹に穴をあけたり、朝早くから夜遅くまで家事だとか、周囲の警戒だって。大変じゃないか?」
「……いや、思い過ごしですよ。大丈夫です。『あなた』の体力が尽きなければ問題ないです」
先輩の目や部長の耳もあるからだろうか。ご主人とは呼ばずあなた、と呼んでくる。そっちのほうがなんだか擽ったいような感覚がする。けども、周りにご主人呼びを気付かれるよりは……いや、先輩の前では一応言っていただろうか? あまり覚えてない。
「とにかく、無理はしないようにかな。俺のために無理をさせてる状況でこういうことを言うのは良くないとは思うけれども」
そう、それこそマツリとイノリに守られているだけという状態は良くないのだ。皆で平穏に過ごすために、2人のことも守れるような何かしらが……力でも道具でも、手に入れておいたほうが良いのだろう。
「僕は……俺は、守れるようになりたい。守られるだけじゃなくて、お互いに守れるように。……少しわがままを言ってもいいかな」
「しょーがないですね。じゃあだいたい同じようなことを言っておきます。無理はしないように。私のために無理をするという状況にならないでくださいね」
マツリはため息を吐き、そのまま笑顔をこちらに向けてくれる。その表情を独り占めしたくなってしまったので、額に軽くキスをしてあげた。
「部長、そういうことなんでさっき断ったところ申し訳ないんですが、部長のところでバイトさせてくれませんか?」
「どういうことなのかは分からないふりをしておいてあげよう。学校はしばらく通信か休校だろうし、1週間くらい時間をかけて持てる技術を叩き込んであげるから覚悟してくれ」
「労災案件になるようなことはやめてくださいね」
先輩は物凄い目つきで部長を睨んでいる。
「私も行く」
そして小さな声で、そう部長に告げた。その表情は苦虫を噛み潰したような、というのがまさに相応しい表情だった。それだけ部長のことが苦手なのだろうか。
「いいよ、しっかり教え込んであげる。なんならそっちのお嬢さんも来るかい?」
「え、私のほうもですか?」
ということで、全員纏めて部長のところでバイトをすることになったのだった。
イノリは……どうしようか。
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