燃ゆる沼
脳に映像が流れ込む。ザザッ、とノイズ音が混じりこみながら。
と言っても明確な映像ではない。どこか歪んでいて、途切れ途切れ。
その映像のカットにあるのは、男だった。高身長で、筋肉のつきかたは、常人と同じくらいの、平凡な男。顔は、口元くらいしか見えないのだが、それでも色男だとわかる。
外套服に身を包み、刺し傷だらけの赤黒い手で、何かを持っている。
縄だ。
言うまでもなく、自殺用の…。
目が覚めた。
白一色の統一された部屋で、木材に黒いペンキを塗った椅子に座っていた。椅子の背もたれに腕をやり、偉そうに寝ていたのだ。
この部屋には、執務机と本棚以外ないので、仕事以外しようがない。
扉がノックされる。
眼前にある扉は、白を基調としており、黒の部分は、ドアノブや、ラインとしてあしらわれている。
「どうぞ」
自分が声を上げた。
「どうも。こんばんは、ですかね」
その男は、二十代前半くらいで、高身長で、筋肉があまりついていない。
顔は色男で、目元の黒子が色気を増長させている。
白色のシャツに、外套服。黒色のズボンと革靴。
そして、腕は、外套服の袖により、隠されている。
「何の用だ」
「いえ、何。いい酒が入りましたので。今晩一緒にどうかと」
酒瓶を顔の近くにやり、恍惚としたような表情で奴は言った。
恍惚としたような、と言ったものの、その実、何を考えているかはわからない。
奴は表情管理が得意だから。
「…おや?」
「なんだ?」
まだ返事もしていないのに、奴は自分の荷物からグラスを取り出し始めた。
今に始まった話ではないが。
「眠ってしまわれていましたか」
「よくわかったな」
「そういう顔をしています。相変わらず、わかりやすい人だ。…いえ、侮辱ではないのですよ」
グラスに注がれる酒。
その赤は、鮮烈ではなく、どこか、仄暗く、赤黒いという表現が適切だろう。
「…お前が来る前に起きた」
「私が来る前に、ですか」
奴はフフッ、と笑い声を漏らした。
「何がおかしいんだ?」
「いえ…。それは、私が来るのが、わかっていたような出来事ですね。あなたが眠っていたら私は、何をしていたか…」
「…お前が何かしようとするのなら、さすがに僕でも、起きるんじゃないか」
「断定できますか」
「…」
自分の作る静寂が憎らしい。
腕を組み、窓の外を眺めた。奴の顔を見るよりずっと有意義だ。
窓の外は、木々で覆われており、時折、白い鮮明な月光が漏れている。
「フフッ、機嫌が悪そうなところ、訪ねてきてすみませんね」
「お前のせいで機嫌が悪くなったんだ」
「それはそれは」
奴の差し出したグラス。
躊躇いもせず、口に含んで、喉に通す。
「おや、私が毒見する前に飲んでよかったので?」
「お前の相手をしてやるのも面倒だと思っただけだ」
「つれないお方だ」
そう言って、奴も酒を飲み始める。
奴は執務机に座り、酒を煽る。白い月光が、奴を照らした。
色男は絵になる。だが、その色男が此奴なので、腹が立つ。
「…机の上に座るなんて、行儀が悪いな」
「育ちが良いのですね、あなたは」
「なんでもいいが——」
グイ、と奴の胸ぐらを掴む。
余裕綽々な奴が、ぐえ、という声を漏らしたのが面白かった。
「僕の目を見て話をしろよ」
椅子に座っているのと、机に座っているのじゃ、目線が合わない。
「…」
奴は視線を動かした。
「それ、他の人に言わないほうがいいですよ。みんなあなたに惚れてしまいます」
奴は机から降り、目線を合わせてそう言った。
「お前にしか言わないさ」
「…あなたはいつもそうだ。どうして、自信しかない笑顔なんです?」
腕で顔を覆い、奴は言った。
その時に袖から見えた腕は、包帯が巻かれていた。
「自信しかないからだ。当然だろう」
「あなたには敵いません」
「敵わない?」
「いつまで経っても、対等になれない」
言ってやろうかと思った。
『僕は距離を取っているつもりはないのだけれど』
ということと、
『今日、お前の夢を見た』
ということ。
でも、言ってしまったら此奴は調子に乗るのだろうなと思い、口を噤んだ。
沼からいつまでも抜け出せない哀れな此奴に、追い打ちのように、未来に向かって燃える自分は——僕は、彼奴の目に、どう映ったのだろう。
終




