雨宿りの廃駅
仕事の都合で、田舎に引っ越して半月が経つ。未だ慣れない。
帰りのバスを降りて、歩いていくが、それでも道はまだ遠い。
梅雨とはいえ、六月に入ったばかりなのに、この大雨だ。
伊集院は、息をつく。
「あっ」
何年も使っていた藍色の傘が、とうとう壊れてしまった。
風に揺さぶられ、骨が機能しなくなっている。
家に帰る頃には、ずぶ濡れネズミになってしまう。そうしたら、風邪をひくかもしれない。
雨が少し止んだ頃に家に帰ろうと思い、雨宿りをしようとする。
何かないかと走っていると、遠目に廃駅を見つけた。
「…」
古びて、しけった木造の駅。
簡単な木材で作られた椅子のようなものに、一人の少女が座っていた。
セーラー服の少女は、流し目でこちらを見ている。
可愛らしい、というよりも、美しい、という印象が強かった。
その少女は、赤色の丈夫な傘を隣に立てかけていたが、片方の靴を履いていなかった。
どうやら、足を痛めているらしい。
「お兄さん」
「な、何?」
唐突に話しかけられて、伊集院は驚いた。
隣の椅子に座るのもおかしな話なので、できるだけ離れた向かいの席に座ったが、それでも気に入らないのだろうか。
伊集院の心配も気にせず、その少女は赤色の傘を差しだした。
「傘、壊れているんでしょう。私のあげるから」
「そんな…いいよ。君が困るでしょ」
「別に…」
傘を差しだし続ける少女。
慈悲の表情ではなく、一貫してつまらなそうな表情だ。
「…君、名前は?」
聞かずにはいられなかった。
「…」
やはり、初対面の人間に答えるのは、拒否感があるのか。
それが正常な判断だと思う。
「化野」
しかし、少女は答えてくれた。
一貫して、凛とした声で。
「…化野さん。俺は伊集院」
「伊集院君」
「な、何かな」
君付けに伊集院は驚きながらも、返事をした。
化野は傘を隣に置き、代わりに履いていない靴を拾った。
そして、それを差し出す。
思わず、伊集院は受け取った。
それを確認すると、片足で化野は立ち上がる。
「行こっか」
化野はボンッ、と赤色の傘を開く。
傘を差してくれるが、身長が足りないので、傘も伊集院が受け取る。
化野は伊集院の肩に掴まりながら、片足で跳ぶように歩く。
「…どこの病院に行くの」
「病院じゃないわ」
「え」
それじゃあ、どこ、という質問は、出てこなかった。
なぜなら、廃駅から出たはずなのに、『出れなかった』のだ。
廃駅を出たと思い、歩み続けてみたら、まったく同じ廃駅が見えた、ということだ。
木の形も、どこかで見たような同じもの。
「わかったかしら」
雨と風が強くなり、横殴りの雨になる。
化野は髪をかきあげる。
「私がいる限り、あなたはここから出られない。私が存在する限り、私もここから出られない。だから、傘があったところで意味はないのよ」
化野は伊集院の手から、靴を取り、また跳ぶようにして、廃駅の椅子に戻って行った。
「…」
伊集院も、廃駅の椅子に戻ると、化野は怪訝そうな顔をした。
「大丈夫よ、私が外に出なければ、元通り帰れるから。傘もあげる。気にしなくていいから」
伊集院の頬に、冷たい水滴が流れる。
冷や汗なのか、横殴りの雨があたったのか。
「化野さんは、いつから…」
「聞く必要、ある?」
「ないかもしれない」
化野は目を細めた。
「さあ。ここの時計は壊れているから、わからないわ。わかっていることといえば、ずっと雨が降っているということ。雨が降る時に私が起きるのか、それとも、ここは雨しか降らないのか。どちらにせよ、私は体感、もう人間とは呼べないほど時間が経っている。そんな中、ここに人間が訪れたことは一度もない」
化野は伊集院を見据えた。
「今日までは」
大雨が、ノイズのように伊集院の耳を振動させた。
「だから、ほら」
化野は、赤色の傘を指を指す。
「柄にもなく、人に物を貸したりした。本当に久しぶりだから、はしゃいでいるのかもしれないわね」
はしゃいだ、という割には、無表情で化野は言う。
「始まりは簡単で、学校からの帰り、雨が降って、滑って転んで、足を挫いた。ここで雨宿りをしていても、一向に天候が変わらないものだから、帰ろうとした」
それで、ダメだった、という。
突然、怪異現象というものは起こる。
「今更、私が元の世界に戻ったとしても、干乾びたミイラになるかもしれないわ。だから、これでいい」
化野は目を閉じた。
「早くおうちに帰りなさい」
優しい声色で、静かに、そう告げた。
その時ばかりは、雨も彼女の声を、遮ることなく。
「…伊集院君、どうして、泣いてるの」
「…雨だよ」
困ったように、化野は視線を動かし、そう、と呟いた。
化野は伊集院を抱きしめる。
「…少し、落ち着きなさい」
雨に濡れた服が、人間の温度を下げて、冷たくなっている。
雨にいる人間なら、誰でもそうなる、普通の感触だった。
抱きしめられる感覚も、普通の人間にされているようだった。
恐らく、実年齢は伊集院のほうが上と言えど、この化野という少女は、勘がよく、一から、どうしてこの廃駅に囚われ続けているのかを、考えたのだ。
ここのことと、自分のことについて、誰よりも知っているのは、化野本人に他ならない。
伊集院がいくら頭を使ったとて、どうにもならないのだろう。
自分の無気力さを伊集院は知った。
だから、初めて出会った少女のために、涙を流すのだ。
「例外のように、あなたが来たものだから、何か変わったのだと思ったのだけれど、ほんの偶然だったみたいね。私が怪異になったのと、同じように、偶然」
運命なんてものはないのだ。
「綺麗な声だ」
伊集院は目を閉じて言った。
「ありがとう」
「言葉は忘れなかったのかい」
「そうね、歌を歌うのは好きだから」
「ぜひ、聞きたい。今度来た時、聞いていいかい」
化野は目を見張る。
一度来たからといっても、もう一度来れるかどうかなんて、わからない。
「…ええ」
それでも、嬉しそうに化野は言った。
今度は、包帯でも持ってこようと、伊集院は決めた。
終




