罪の圧
宇宙船が沈没しそうだった。
重い荷物を捨てることにより、この宇宙船は滞りなく、進み続けることができる。
ある男と少女は、手を組み、人を騙し、生き残った。
おかげで、宇宙船は安全に元の星に帰れそうだ。
男は、眠りから覚めるたび、心臓がうるさいほど鳴るようになった。
未だに、あの日々のことを夢に見る。少女以外の人間と手を組み、人を宇宙外に追放したこともあったし、少女を裏切ったこともあった。
だが、結局生き残っているのは、男と少女だけであった。
二人で、仲良くやっていかなければならない。
リビングルームに行くと、朝食を配膳し終えた少女がいた。
「…悪いね」
「部屋に運んであげてもいいのよ。あなた、なんだか疲れているみたいだから」
「当然だろ。僕は人を殺したんだ」
「直接は手にかけてはないわよ」
「同義だよ」
「そう。私はそうは思わないけれど、あなたからするとそうなのね」
少女は、まだ十代前半だったはずだ。
それが、この落ち着きようである。
「…唯一、いいと言えるのは、君が生き残ったことかな」
「どうして、そう言えるの」
「だって、まだ若いし…」
「私くらい、とまでは言わないけれど、十分若い人間だっていたわ」
「それに、君は成熟しているし、才能もある。天才だと、称されるだけのことはあるよ」
「…」
少女は視線を動かす。
「私は、今の年齢だから評価されているだけに過ぎないのよ。もう、私は限界を感じた。大人になったところで、凡人になるしかないの」
「…君が言うのなら、そうなんだろう」
少女は、それはそうと、と区切る。
「誰が生き残ってよかった、なんてのは、罪を逃がすような言葉だし、特定の誰かを選択するのは、傲慢な行為なのよ」
「…」
男は、とっくの昔に舌に馴染んだ、宇宙食を飲み込んだ。
「…僕は誰が生き残っても、『君が生き残っていてよかった』と、その人に言っていたと思う」
「それに同意しない人間が残ったわ。残念だったわね」
「いいさ。それでもこの世界線では、僕は君が生き残って本当によかったと言い続けるし、誰か一人でも助かったことが嬉しいのだから」
「…その感情は、確かに揺るぎないものでしょうけど」
「何か、違和感でも?」
違和感、と口に出すが、少女は首を振った。
「いえ、納得はしているのよ。あなたは、自己犠牲精神は一切ない。自分は絶対に生き残りたいという、そういう人。だから、この場に立っている。けれど、他者の生存を喜ぶ。相反する感情が同時に存在するなんて、人間って複雑よね」
「そうかな。単調だと思うけどな」
「どうして」
「条件によって、感情の出力が制限されるわけでもなく、全部放出されているからさ」
「…全員が全員、そうではないと思うけれど」
「君は全部制限されてるのかな」
「まさか。感情しかないわ」
依然変わらない無表情で少女は言った。
「罪の意識があるのなら、忘れることね。やってしまったことは覆らないのだから」
「君は厳しいから、忘れるなと言うと思ったよ」
「ずっと覚えていたら苦しいだけじゃない。私は苦しいことが嫌いなの」
少女は宇宙を眺めた。
「生身で宇宙に放出される時、どんな痛みがあるのか。それを感じることは嫌。それだけで私は、今の今まで生きている」
「…」
「いっそのこと、一瞬で殺してくれたのなら、宇宙に放出されることもやぶさかではないけれど、実際に手にかけたら、それはそれで、他の人の精神が削られそうだし」
ああ、と少女は言った。
「一人、問題ないと公言していた人がいたわね」
「ああ」
「人を宇宙に放出するにあたって、道徳心及び精神が削られるから、その案は却下しようという話になっていたけれど、今道徳心と言っている場合じゃないし、自分は精神を犯されないから大丈夫だ、と」
「実に合理的な人だった。自分が死ぬのも、怖くなさそうな感じだった」
「バカね」
少女は短く言った。
「あの人は、本当はすごく怖かったのよ。あなたの次に、生に執着していた。それでも、自分の思想を曲げない高潔な人だったわ」
「君に高評されるなんて。やっぱり死人は美化されるものなのかな」
「あなた、あの人のこと嫌いなの?私は生きていた間も、彼のこと結構好きだったのだけれど」
男は肩を竦めた。
そいつが男の幼馴染だと言うことは、少女に言わなかった。
どれだけ否定しても、少女はしっかりとわかっていた。
あいつは、自分の死を恐ろしいと公言しないように努めていたのに。
やはり、彼女は賢かった。
だから、旧友の想いを隠すことはできなかった。
旧友、というのも、なんだか。
友人というのも違うし、でも、お互い飲みには言っていたし、友愛も必ずあった。
だけど何か違う。
腐れ縁——やはり、幼馴染という言葉が一番しっくりくる。
あいつが枕元に立ったら、と思うとゾッとする、と男は思った。
彼が枕元に立ったら、生に執着していた男でさえ、首をかけてしまうかもしれないから。
今までの犠牲が無駄になってしまうかもしれないから。
「…」
「…何?」
ジ、と見られていることに気が付き、男が言った。
「死人に口なし」
「え」
「人は、死んでも化けて出たりはしないわよ」
この少女は。
二十歳にも満たない、自分よりもかけ離れた年齢の少女は、どこまで見据えているのだろう。
少女のその一言は、特段意味のないことかもしれない。偶然、タイミング悪く、言った一言が男の考えていたことに当たったのかもしれない。
けれど、男にとっては偶然に思えなくて。
全てを見通すような感覚の、氷のような冷たい目で見られると、腹の底が、唸り上げた。
「僕も、そう思うよ」
ポツリと男は言った。
身体が熱くなる感覚と、足が震える感覚があった。
「幽霊とか、死後の世界とか、ないと思う」
彼も、そう言っていたと思う。
見たものしか信じない人だったから。
「でも、可能性はゼロではないから、やっぱり、どうしても考えてしまうんだ」
「考えることは美徳とも悪徳とも取れる」
「違いない」
肩を竦める。
まだ肩の荷は下りない。
まるで誰かが憑りついているようだ。
彼というよりも、今、眼前で生きているはずの彼女が。
この少女が、憑りついているような感じだ。
「…もうすぐ、この宇宙旅も終わりそうね」
レーダーを見て、少女は言った。
「そうだね。星についたら、僕は裁かれるのだろうか」
「緊急事態だから不問な気がするけれど」
少女は瞬きをする。
その間にも、宇宙船は動いている。
目的地へと。
瞬く宇宙を駆け抜ける。
「裁かれたいの?」
「まあね。そっちのほうが、スッキリする気がするし、そっちのほうが、罪が少し軽くなる気がする」
「罰を与えられた程度で、罪自体は不変よ。だから、私は罰を受けたくはないわね」
一幕置いて、
「君が言うのなら、そうなんだろう」
「あなたが言うのなら、そうなんでしょう」
重なるようにそう言った。
「…帰ったら何がしたい?」
「眠りたいわ」
「…」
「眠って、起きるの」
「永眠じゃないんだね」
「そうね。あなたは何がしたいの」
「カフェでも開こうかな」
「どういう心境の変化?」
「いや、別になんとなくさ」
「気分でするにしてははっちゃけてるわね。あなたって、そういう感じの人だったのね」
普通なら、「今更知ったの?」とでも言うべきなのだろうが、言ったのが少女だったので驚いた。
彼女も知らないことがあるのだと。
やはり彼女は、単なる十代前半の少女。
全知全能ではないのだ。
彼女自身が言っていたように。
終




