契約者〈おきゃくさま〉
悪魔は安楽椅子に腰をかけ、揺れていた。
悪魔の視線の先にいるのは、病状に伏した契約者〈おきゃくさま〉。
「お客様、医者を呼んで参りましょうか」
「…」
お客様は表情を変えた。
悪魔は無機質な笑みを浮かべたまま、それを眺める。
「いや…いらない。悪魔だって、早くに魂が入るのは、嬉しいだろ」
「…」
悪魔は視線を動かした。
「そうですね」
契約した日のことを思い返す。
やつれたお客様が、悪魔を呼び出した。
「一目見ただけでわかります。ずいぶん、苦労してきたようですね」
「それほどじゃないさ」
「わたくしを呼んで、何を望みますか?富ですか、女ですか、それとも復讐…」
「嫌だったら断ってもいい」
「…はい?」
お客様の言葉に、悪魔は小首を傾げた。
「わたくしは悪魔ですよ。魂を頂けるのであれば、必ず三つ、願いを叶えます」
「そうか…」
少し嬉しそうにお客様は頷いた。
「一つ、僕が寿命で死ぬまで、僕から離れないで」
指を一本立てる。
「二つ、どれだけ嫌いになってもいいから、話し相手になって」
指を二本立てる。
「三つ…人間を寄せ付けない、場所が欲しいなぁ…」
指を三本立て終えた。
これで、お客様の望みは以上である。
「…お客様、もしや、悪魔で孤独を埋めようとしていらっしゃる?それは、あまりにも…」
「わかってる」
「…まあ、契約内容にとやかくは言いません。お代を頂ければ」
「本当に…いいのか?」
「何がです?」
「僕から離れないで、っていうのは、君の行動の制限だし、嫌いな人間と話すの、嫌じゃない?それに、人間を寄せ付けない場所とか、結構無茶言ったと思うけど」
「お客様は少々悪魔を舐められていると思います」
お客様の言葉を受け、不服そうに悪魔が言った。
「悪魔は人間ではないのです。あなたがたの上位存在と言ってもいいのです」
「つまり?」
「そのくらい余裕、という意味ですよ」
あの出会った日。
お客様は、左手の薬指に指輪はしていなかった。
「悪いね、悪魔。契約内容じゃないのに、いろいろやってもらって…」
「もう少し、長く生きられると思っていたのですが。心労が身体に祟ってか、お客様は短命のようなので、このくらいは…」
「…本当、ごめんね。仕事もできないから、自分のごはん代も、まともに稼げない」
「ですから、それもついでのようなものです。お気になさらずに」
お客様の左手薬指にある、銀色の指輪が目に入る。
「…お客様は」
「何?」
「お客様は、意中の相手はいらっしゃらないのですか」
「…君はひどいよ」
悪魔ですから、と心の中で悪魔は思った。
「君が好きだよ」
悪魔は、足の指をギュッ、と動かした。
「ありがとうございます」
依然変わらない、無機質な笑みとともに、悪魔は言う。
「ですが、あなたはやはりどこかおかしい。人間が、悪魔を好きになるだなんて…」
「おかしくていいよ。君に出逢えたのだから」
「わたくしと出遭ったことは、間違いだったと思います。人をもう一度だけ、信じさえすれば、あなたならいくらでも成功できたはず…」
「そんなのいらない‼」
お客様は大声を出す。
「…ゴホッ、ゴホッ…はぁー…はあー…あ…」
大声を出した後、お客様は咳き込んだ。
悪魔はお客様の背中をさすろうとして、手を止めた。
「申し訳ありません」
代わりに出てきたのは謝罪の言葉だった。
「…いいんだ。話し相手になってくれたのに、大声出しちゃってごめん」
「…あなたが謝る必要なんて、何もないんですよ」
「…ごめん」
その様を、切なげに悪魔は見た。
「君は優しいよ」
悪魔なのに…?と悪魔は思った。
「お客様、復讐をしたいと思ったことはないのですか」
過去について聞いたことはなかったけれども、人間関係が拗れてこうなったことは、今まで話してみて、なんとなくわかっている。
「やられたらさ、やり返さなきゃダメなんだよ」
「…意外です。あなたが、そう仰るなんて」
「醜い感情は誰にだってあるものだよ。僕はこれを醜いとは思わないけれど」
「わたくしも、必ずあるものだと思います。人間である限り」
「まあ、やり返したとて、やりすぎはいけないんだ。何においても、過剰なことはしちゃいけない…。でも、その匙加減って、結局自分でしょ」
「そうですね」
「争いはね、何も生まないんだよ。だから、『もう』僕はやり返さない。でも、それじゃ僕が壊れるから、干渉されたくない」
悪魔は視線を落とす。
「お客様、死にたいと思ったことはないのですか」
「…怖いし、痛いし、嫌だ」
「悪魔の力なら、怖い思いも、痛い思いもさせずに逝かせることはできますよ」
「…それでもやっぱり、生きてたいかなぁ。だって、世界はこんなにも綺麗だから…」
悪魔は思う。
このお客様の目には、世界がどう見えているのだろう、と。
「まあ、孤独に生きる勇気もないから、君を呼んで、ここに縛りつけた」
「…」
「悪いと思ってる。好意を持たれることも、君は嫌かもしれないけれど…」
「そんなことないですよ」
「…ありがとう、君は優しい。その言葉が、嘘でも、本当でも」
お客様は目を閉じた。
「お客様…?」
悪魔はお客様に、やっと触れた。
死を感知した。
「…わたくしも、お慕い申しております」
魂に触れ、悪魔は微笑みかける。
「お疲れさまでした」
終




