↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自慢の息子  作者: 智珠
第六部 空欄

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
99/105

第092話 全部数える

 浪人には、順位が無い。


 学校の順位が無くなって、掲示も無い。予備校の模試は年に六回ある。


 六回のあいだは、七週間から九週間あく。そのあいだ、位置を示す紙が一枚も出ない。


 九年で初めて、こういう期間ができた。


            *


 自習室が開くのは九時で、閉まるのは二十一時三十分になる。


 授業が九時十分から入る日と、入らない日がある。入らない日は、開いてすぐに座った。


 こちらは、たいてい最後まで残る。電気を消しに来る人がいた。


 いつも同じ人で、声はかけられない。かけられないので、こちらも何も言わずに出る。


 その人が来る前に、椅子をきちんと入れて、机の上を空にしておく。


 空にしておくのは、九年やってきた形になる。誰にも言われていない。


            *


 五月の一週目に、自習室の蛍光灯を数えた。


 天井に、二本組のものが十二列ある。合わせて二十四本になる。


 そのうち、二本が切れかけていて、五秒に一度ちらつく。


 ちらつくほうは、こちらの席から三列目と七列目だ。


            *


 数えたのは、数える理由があったからではない。


 問題集を開いて、最初の一問に入る前に目が上を向いた。


 向いて、そのまま数えている。終わってから、数えたと分かった。


 分かったあとで、もう一度確かめた。二回目も二十四本だった。


            *


 立派な理由があるわけではない。


 数えていると、そのあいだ、ほかのことが入ってこない。


 入ってこないほうが、こちらには都合がよかった。


 都合がよかった、と書くと、選んだように見える。選んだ覚えはない。


 数えるのが当たり前になっていて、始めた日が特定できない。


            *


 その日から、目に入るものを数えるようになった。


 五月に数えたものを、順に書いておく。


 自習室の席が八十二。机の脚が三百二十八本になる。


 窓が九枚で、そのうち開くのが四枚だ。


            *


 床のタイルは、縦に四十六、横に二十九ある。


 掛けると千三百三十四になる。柱の周りで欠けているところが六か所あった。


 欠けているぶんを引くと、千三百二十八になる。


 この数は、五月のうちに三回数え直している。三回とも同じだった。


            *


 駅の階段は、上りが二十八段で、下りが二十八段になる。


 途中の踊り場で、向きが一度変わる。変わるところに段が無い。


 家から駅までの歩数は、千四百二十歩だった。


 歩幅が七十五センチとして、千六十五メートルになる。


            *


 歩数は、日によって二十歩ほど変わる。


 変わるのは、信号のところで足踏みが入るからだ。


 足踏みを外すと、千四百歩でだいたい合う。


 合うと、そこで数え終わりになる。終わると、次を探した。


            *


 六月に数えたものを、順に書く。


 電車の一両に、座席が五十四ある。吊り革が七十二本になる。


 朝の乗客は、こちらの車両で百二十人から百四十人だ。


 立っている人の数は、駅ごとに変わる。変わるので、途中でやめた。


            *


 やめるのは、数が動くときになる。


 動くものは数えられない。数えられないものは、途中で置く。


 置いたものが、六月で四つあった。


 四つとも、いまでも何を置いたか言える。


            *


 自分の身体も数えた。


 一日に飲む水が、五百ミリのボトルで三本から四本になる。


 夏は五本になった。八月で、六本の日が九日ある。


 汗のぶんだと思う。思うだけで、量ったわけではない。


            *


 まばたきの回数を、一分だけ数えたことがある。


 十七回だった。もう一度やると二十二回になる。


 数えていると増えるのだと思う。増えるものは、数える意味が薄い。


 薄いと分かっていて、その週にもう三回やった。


            *


 母の足音は、前から数えてある。


 台所から玄関まで七歩。台所から階段の下まで五歩になる。


 階段は十三段で、上まで来ると十八歩だ。


 十八歩が鳴った日は、その夏に二回しか無い。


            *


 二回とも、こちらが夜中に台所へ下りたあとだった。


 下りて、水を飲んで、部屋へ戻る。そのあとで十八歩が来る。


 来て、扉の前で止まる。ノックはしない。


 しばらくして、また十八歩ぶんが下りていった。


 扉の前で母が何をしていたのかは、こちらには分からない。


 分からないまま、その二回を数に入れていない。


            *


 止まっていた長さを、僕は数えていない。


 数えられるはずだった。数えている最中だったからだ。


 その二回だけ、数が出なかった。出なかった理由は書けない。


 書けないので、そこは空けたままにしてある。


            *


 七月に、予備校の模試が二回あった。


 三日と、三十日になる。偏差値が五十一・二と五十二・八だった。


 現役のときの最高が四十九・一なので、二・一上がっている。


 上がったことを、家では言っていない。訊かれてもいない。


            *


 上がったのは、量を戻したからだと思う。


 一日にやる問題が、五月で四十二、六月で五十八、七月で六十六になる。


 現役の九月が六十で、いちばん多かった夏が八十だ。


 八十には届いていない。届かないまま、数だけは上を向いた。


            *


 数が上を向いても、置く場所は無いままだった。


 誰にも言わないので、上がったことは家の中で起きていない。


 起きていないものについて、こちらは何も感じない。


 感じないというのは、そう書くしかないからそう書いている。


            *


 八月の予備校は、朝から夜まであった。


 夏期講習が十講座で、八十一回になる。去年より九回多い。


 弁当は二つになった。細長い箱が、八月一日から出ている。


 今年は、こちらが要ると言う前に出ていた。三年続けて同じになる。


            *


 八月の身体のことを書いておく。


 背中に汗が出て、シャツが椅子に貼りつく。剥がすときに音がした。


 手のひらは冷たいままになる。冷たいのと汗が同時に出た。


 同時に出るのを、こちらは前の年から知っている。医者には言っていない。


 言っていないので、あの紙にも書いていない。


            *


 教室のクーラーは、去年より強い。


 既卒の教室は四階で、屋上に近いぶん暑いのだと思う。


 設定は二十四度になっていて、実際は二十六度あたりだ。


 温度計を見て、差を出す癖が、その夏についた。


            *


 差を出しても、使い道が無い。


 使い道の無い数を、こちらは八月だけで三十七個出している。


 三十七個ぶんを、ノートの裏に書いた。書くのに二日かかった。


 書いたものを、そのあと一度も見返していない。


 せっかく数えても、書き留めるほかにやることが無い。


 情けないとも思っていない。思う形を持っていないからになる。


 ちゃんと数え切ったものだけを、ノートの裏に並べていた。


            *


 千尋が、夏に一度だけ訊いた。


 台所で、こちらが冷蔵庫の音を数えているときになる。


 あの音は、鳴って、止まって、また鳴る。鳴っているほうが長い。


            *


 「お兄ちゃん、いま何か数えてたでしょ」


            *


 何も、と答えた。


 答えるまでに、間はほとんど無かったと思う。


 千尋は、そう、と言って、そのまま自分の部屋へ上がった。


 階段は、上から三段目が鳴る。その日も鳴った。


            *


 何を数えていたのかは、いまも言える。


 冷蔵庫が鳴っていた長さで、そのときは四十一秒目だった。


 言えるのに、言わなかった。言う形が出てこないほうが先に来る。


 九年、その順番でやってきた。


            *


 なんで訊いたの、と訊こうとした。


            *


 世間では、こういうのは癖だと言うらしい。


 気にしなくていい、とも書いてある。普通は、そのうち収まるものになるらしい。


 収まらなかった。収まらないのを、だらしないとは思っていない。


 だらしないなら、やめ方が決まる。決まっているものは、九年やってきた手で扱える。


            *


 母は、こちらが数えているのを見ている。


 見ていることは分かる。台所から出てくる速さで分かった。


 早く出てくる日と、そうでない日がある。早い日は、たいてい何か言う。


 言うのは、明日の持ち物のことだ。数のことは一度も出ない。


            *


 母は、夏のあいだに冷たい麦茶をよく出した。


 出すときに、こちらの手をしっかり見ている。見て、何も言わない。


 休みなさい、とも言われていない。世間では、そこで言うものらしい。


 普通は、体のほうを先に心配するものになる。


 言わないかわりに、麦茶の量が増えた。増えた日を、こちらは数えていない。


 数えられたはずだ。数えなかったのは、そこだけになる。


            *


 母は一度も、何を数えているのと訊かなかった。


            *


 訊かれていたら、答えられたと思う。


 冷蔵庫のことでも、蛍光灯のことでも、その場で言える。


 言えるものを、こちらは九年ぶん抱えている。


 抱えているだけで、渡す先が一つも無い。


            *


 八月の終わりに、数えたものの数を数えた。


 五月から八月までで、六十四種類ある。


 六十四のうち、最後まで数え切ったのが四十九になる。


 途中でやめたのが十五だ。やめたのは、全部が動くものだった。


            *


 動かないものは、きちんと数え切れる。


 きちんと数え切ると、そこで終わる。終わったあとに残るものが無い。


 残らないので、また次を探すことになる。


 探すのに時間がかからないのは、目に入るものが多いからだ。


            *


 数えているあいだは、時間が減っていくのが分かる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。