第093話 何も欲しくない
九月十二日が、僕の誕生日になる。
その年で十九になった。日曜だった。
予備校は休みで、朝は九時に起きている。いつもより四十分遅い。
四十分遅く起きたのは、その年で三日目だった。
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九月十二日のことを、こちらは曜日で覚えている。
九歳の誕生日が水曜で、十歳が木曜、十一歳が土曜だった。
十二歳が日曜、十三歳が月曜、十四歳が水曜になる。
十五歳が木曜で、十六歳が土曜、十七歳が日曜、十八歳が月曜だ。
十一年ぶん、曜日が全部出る。何をしたかは、三年ぶんしか出てこない。
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夕飯のときに、ケーキが出た。
駅前の店の、六号のものになる。九年間、同じ店の同じ大きさだ。
六号は直径が十八センチある。八つに切ると、一切れの幅が七センチほどになる。
三人だと二切れずつで、二切れ余る。余ったぶんは次の日に回った。
切るのは母で、切る前に定規は使わない。使わないのに、幅がそろっている。
ろうそくは立てない。小学四年でやめている。
やめた理由は、こちらが言ったのではない。母が立てなくなった。
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千尋がいて、父はいなかった。
父が誕生日にいたのは、九年で三回になる。三回とも小学生のときだ。
いない年のほうが多いことを、家では誰も言わない。
言わないのが、この家では普通になっている。
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立派な誕生日ではない。ケーキと、もらうものが一つあるだけになる。
それでも、母はきちんと同じ日にやる。九年で一度もずれていない。
ずれないようにするために、前の週から準備しているのだと思う。
準備しているところを、こちらは一度も見ていない。
せっかく用意されたものに、礼を言った覚えもない。
情けないとも、恥ずかしいとも思っていなかった。
思わないでいられるように、家のほうができている。
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ケーキを切ったあとで、母が言った。
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「何か欲しいものある?」
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箸が止まった。止まったのは、こちらの手になる。
九年間、この質問をされたことが一度も無い。
誕生日に何かがもらえるのは知っている。もらってきた。
もらってきたが、訊かれたことは無い。
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なんで、今年は訊いたんですか、と訊こうとした。
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母は、こちらが黙っているあいだ、皿を片づけていた。
急かさない。もう一度言い直しもしない。
いつでもいいから、とだけ言って、そのあと千尋のほうへ向いた。
千尋は、文化祭の話をしている。母はそちらを聞いていた。
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その夜、机の前で考えた。
欲しいもの、と紙に書いて、下に線を引く。
線の下に、番号を打った。一から十まで打ってある。
打ってから、一の横で手が止まった。
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止まったまま、二十分たった。
二十分というのは、机の上の時計で測った数になる。
九年間、二十分あれば問題が十四問解ける。
十四問ぶんの時間で、一行も出ていない。
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やり方を変えて、先にもらったものを並べてみた。
九年ぶんある。日付も、たいてい言える。
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小学三年の誕生日に、腕時計をもらった。
小学四年で、地球儀になる。五年が電子辞書だ。
六年が学習机の照明で、中学一年が英和辞典になる。
中学二年が鞄で、三年が置き時計だ。
高校一年が電気スタンド、二年が椅子、三年が電気毛布になる。
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十一個ある。十一個とも、いまも実家にある。
値段は、どれも知らない。訊いたことがないし、言われたこともない。
十一個とも、使うためのものだった。
使わなかったものが一つも無い。捨てたものも無い。
これは、たぶんいい話になる。世間ではそう扱われると思う。
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十一個のうち、こちらが欲しいと言ったものは零になる。
言っていないのに、全部が必要なものだった。
必要なものを、母は間違えない。九年で一度も外していない。
外していないことに、その夜まで気づいていなかった。
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ストップウォッチのことも思い出した。
あれは誕生日ではない。小学五年の秋に、母が買ってきた。
はかってみたら、と言って渡された。走るために使うのだと思った。
実際には、家で公文の紙の時間を測るのに使っている。
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陸上の靴も、母が店で選んだ。
紐の結び方を店員に訊いて、覚えて帰って、家で一度やってみせた。
あの結び方だけは、こちらの手にいまも残っている。
残っているものを、欲しいと言ったわけではない。
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千尋は、言う人だった。
小学四年の誕生日に、自転車が欲しいと言っている。
二〇一二年の十一月十七日で、赤い自転車になった。
母は、その日のうちに買いに行っている。父もついていった。
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千尋が言うところを、こちらは台所から見ていた。
言い方は、頼む言い方ではない。ただ言っただけになる。
母は、そう、と答えて、それで決まった。
決まるまでの時間は、たぶん三秒くらいだったと思う。
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三秒で決まるものを、こちらは二十分かけて出せない。
差がどこにあるのかは、いまも出てこない。
千尋のほうは言えた。こちらは、そこで止まる。
同じ家で、同じ人に育てられて、片方だけが言える。
育て方が違ったのだと思う。思うだけで、そこも確かめようが無い。
確かめる相手は、この家に二人いる。二人とも、こちらは訊いていない。
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二日目も、紙は一行も埋まらなかった。
埋めようとして、書いては消している。書いたのは二つある。
一つが本で、一つが服だ。どちらも消した。
消したのは、本当に欲しいのかが確かめられないからになる。
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確かめ方が、こちらには無い。
欲しいかどうかは、点でも順位でも出ない。量でも出ない。
量で出ないものを、僕は九年間扱っていなかった。
扱っていないものが、そこにあると気づいたのが二日目になる。
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欲しくない、というのとも違う。
欲しくないなら、要らないと言えばいい。それで済む話だ。
済まないのは、欲しいかどうかを判定する場所が無いからになる。
場所が無いので、判定そのものが始まらない。
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世間では、こういうときに好きなものを思い出せと言うらしい。
子どものころ好きだったものを書き出せ、と予備校の紙にも書いてあった。
あの紙は進路のためのもので、四月に配られている。
書けなかったので、そのまま鞄に入れた。八月に捨てている。
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好きだったものを、いま並べると三つ出る。
走ること。ピアノの二番目の子の音。航の家のカレー。
三つとも、こちらのものではない。走ることだけが少し違う。
少し違うが、あれもやめてから四年たっている。
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九月の予備校は、二学期の時間割になった。
授業が九時十分から始まって、最後が二十時四十分に終わる。
一日に四本の日が三日、三本の日が二日ある。土曜は二本だ。
週で十七本になる。四月より二本減った。
減ったぶんは、自習室に入る。入る時間が一日に百二十分増えている。
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九月の模試は、二十四日にあった。
偏差値が五十四・一になる。七月より一・三上がっている。
判定は、第一志望でCになった。Eが六回続いたあとで、初めてCが出る。
その紙を、こちらは封を切って見た。切ったのは去年の五月以来になる。
見て、机の引き出しに入れた。台所へは持って行っていない。
ちゃんと上がっているのに、出す形がやはり作れなかった。
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三日目の夜に、母がもう一度訊いた。
訊き方は、二日前と同じだった。何か欲しいものある、になる。
声の高さも同じで、急いでいるところが一つも無い。
三日待つのが、この人には当たり前なのだと思う。
急ぎなさい、とも、決めなさい、とも言われていない。
普通は、そのあたりで一度は急かすものになるらしい。
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三日目の夜も、紙は空欄のままだった。
空欄のままにしておくと、四日目が来る。四日目に何が起きるのかは分からない。
分からないので、何か言うことにした。
言うことにした、というのが、そのときのやり方になる。
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「問題集を、もう一冊」
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言ってから、これは欲しいものではないと分かった。
分かったが、言い直していない。言い直す形も持っていない。
母は、どの、と訊いた。こちらは書名を言った。
書名だけは、すぐ出た。九年間、そういうものだけが出る。
しっかり覚えているのは、九月の模試の解説で三回名前が出たからになる。
三回目に出たところで、書名がこちらの中に入った。入った日は特定できる。
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母は、次の日にそれを買ってきた。
駅前の書店の袋に入っている。レシートは入っていなかった。
値段は、こちらが後で調べて二千二百円だと分かった。
二千二百円という数を、母は言っていない。
九年で、金額が家の中で出たことは一度も無い。そこも変わっていなかった。
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渡すときに、母はがっかりした顔をしなかった。
こちらは、人の顔が変わる速さが分かる。九年やってきた。
母の顔は、その日、変わっていない。眉も、目のあたりも動かない。
動かないのを見て、こちらは何も読めなかった。
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読めなかったのは、その日が初めてになる。
台所からの足音も、その日は速くも遅くもない。
判別の材料が一つも出ないというのは、九年で初めてだった。
初めてなのに、そこを数えていない。数えるものが無かったからになる。
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母は一度も、それでいいのと訊かなかった。
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問題集は、その週から使った。
二百四十二ページあって、一日に八ページやると三十日で終わる。
実際には二十六日で終わっている。四日早い。
早く終わったので、同じ本をもう一周した。
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二周目は、十九日で終わった。
一周目より七日短い。二周やって、一冊で四百八十四ページになる。
九月から十一月までで、問題集は四冊終わった。合わせて千八百ページを超える。
母は、二周したことを知らない。言っていないので、知りようがない。
短くなったぶんを、こちらはまた数えている。
数えているあいだ、あの紙のことは考えていない。
欲しいもの、と書いて線を引いた紙は、机の引き出しに入れた。
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紙には、番号だけが一から十まで並んでいる。
十個とも空欄になっている。九年間、空欄を作らずにやってきた紙で、それだけが埋まらない。
だらしないから埋まらないのではない。だらしないなら、埋め方が決まる。
決まらないものを、こちらはそこで初めて紙の上に置いた。
置いたまま、引き出しを閉めた。
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欲しいものを訊かれて、僕はまた量で答えた。




