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自慢の息子  作者: 智珠
第六部 空欄

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第093話 何も欲しくない

 九月十二日が、僕の誕生日になる。


 その年で十九になった。日曜だった。


 予備校は休みで、朝は九時に起きている。いつもより四十分遅い。


 四十分遅く起きたのは、その年で三日目だった。


            *


 九月十二日のことを、こちらは曜日で覚えている。


 九歳の誕生日が水曜で、十歳が木曜、十一歳が土曜だった。


 十二歳が日曜、十三歳が月曜、十四歳が水曜になる。


 十五歳が木曜で、十六歳が土曜、十七歳が日曜、十八歳が月曜だ。


 十一年ぶん、曜日が全部出る。何をしたかは、三年ぶんしか出てこない。


            *


 夕飯のときに、ケーキが出た。


 駅前の店の、六号のものになる。九年間、同じ店の同じ大きさだ。


 六号は直径が十八センチある。八つに切ると、一切れの幅が七センチほどになる。


 三人だと二切れずつで、二切れ余る。余ったぶんは次の日に回った。


 切るのは母で、切る前に定規は使わない。使わないのに、幅がそろっている。


 ろうそくは立てない。小学四年でやめている。


 やめた理由は、こちらが言ったのではない。母が立てなくなった。


            *


 千尋がいて、父はいなかった。


 父が誕生日にいたのは、九年で三回になる。三回とも小学生のときだ。


 いない年のほうが多いことを、家では誰も言わない。


 言わないのが、この家では普通になっている。


            *


 立派な誕生日ではない。ケーキと、もらうものが一つあるだけになる。


 それでも、母はきちんと同じ日にやる。九年で一度もずれていない。


 ずれないようにするために、前の週から準備しているのだと思う。


 準備しているところを、こちらは一度も見ていない。


 せっかく用意されたものに、礼を言った覚えもない。


 情けないとも、恥ずかしいとも思っていなかった。


 思わないでいられるように、家のほうができている。


            *


 ケーキを切ったあとで、母が言った。


            *


 「何か欲しいものある?」


            *


 箸が止まった。止まったのは、こちらの手になる。


 九年間、この質問をされたことが一度も無い。


 誕生日に何かがもらえるのは知っている。もらってきた。


 もらってきたが、訊かれたことは無い。


            *


 なんで、今年は訊いたんですか、と訊こうとした。


            *


 母は、こちらが黙っているあいだ、皿を片づけていた。


 急かさない。もう一度言い直しもしない。


 いつでもいいから、とだけ言って、そのあと千尋のほうへ向いた。


 千尋は、文化祭の話をしている。母はそちらを聞いていた。


            *


 その夜、机の前で考えた。


 欲しいもの、と紙に書いて、下に線を引く。


 線の下に、番号を打った。一から十まで打ってある。


 打ってから、一の横で手が止まった。


            *


 止まったまま、二十分たった。


 二十分というのは、机の上の時計で測った数になる。


 九年間、二十分あれば問題が十四問解ける。


 十四問ぶんの時間で、一行も出ていない。


            *


 やり方を変えて、先にもらったものを並べてみた。


 九年ぶんある。日付も、たいてい言える。


            *


 小学三年の誕生日に、腕時計をもらった。


 小学四年で、地球儀になる。五年が電子辞書だ。


 六年が学習机の照明で、中学一年が英和辞典になる。


 中学二年が鞄で、三年が置き時計だ。


 高校一年が電気スタンド、二年が椅子、三年が電気毛布になる。


            *


 十一個ある。十一個とも、いまも実家にある。


 値段は、どれも知らない。訊いたことがないし、言われたこともない。


 十一個とも、使うためのものだった。


 使わなかったものが一つも無い。捨てたものも無い。


 これは、たぶんいい話になる。世間ではそう扱われると思う。


            *


 十一個のうち、こちらが欲しいと言ったものは零になる。


 言っていないのに、全部が必要なものだった。


 必要なものを、母は間違えない。九年で一度も外していない。


 外していないことに、その夜まで気づいていなかった。


            *


 ストップウォッチのことも思い出した。


 あれは誕生日ではない。小学五年の秋に、母が買ってきた。


 はかってみたら、と言って渡された。走るために使うのだと思った。


 実際には、家で公文の紙の時間を測るのに使っている。


            *


 陸上の靴も、母が店で選んだ。


 紐の結び方を店員に訊いて、覚えて帰って、家で一度やってみせた。


 あの結び方だけは、こちらの手にいまも残っている。


 残っているものを、欲しいと言ったわけではない。


            *


 千尋は、言う人だった。


 小学四年の誕生日に、自転車が欲しいと言っている。


 二〇一二年の十一月十七日で、赤い自転車になった。


 母は、その日のうちに買いに行っている。父もついていった。


            *


 千尋が言うところを、こちらは台所から見ていた。


 言い方は、頼む言い方ではない。ただ言っただけになる。


 母は、そう、と答えて、それで決まった。


 決まるまでの時間は、たぶん三秒くらいだったと思う。


            *


 三秒で決まるものを、こちらは二十分かけて出せない。


 差がどこにあるのかは、いまも出てこない。


 千尋のほうは言えた。こちらは、そこで止まる。


 同じ家で、同じ人に育てられて、片方だけが言える。


 育て方が違ったのだと思う。思うだけで、そこも確かめようが無い。


 確かめる相手は、この家に二人いる。二人とも、こちらは訊いていない。


            *


 二日目も、紙は一行も埋まらなかった。


 埋めようとして、書いては消している。書いたのは二つある。


 一つが本で、一つが服だ。どちらも消した。


 消したのは、本当に欲しいのかが確かめられないからになる。


            *


 確かめ方が、こちらには無い。


 欲しいかどうかは、点でも順位でも出ない。量でも出ない。


 量で出ないものを、僕は九年間扱っていなかった。


 扱っていないものが、そこにあると気づいたのが二日目になる。


            *


 欲しくない、というのとも違う。


 欲しくないなら、要らないと言えばいい。それで済む話だ。


 済まないのは、欲しいかどうかを判定する場所が無いからになる。


 場所が無いので、判定そのものが始まらない。


            *


 世間では、こういうときに好きなものを思い出せと言うらしい。


 子どものころ好きだったものを書き出せ、と予備校の紙にも書いてあった。


 あの紙は進路のためのもので、四月に配られている。


 書けなかったので、そのまま鞄に入れた。八月に捨てている。


            *


 好きだったものを、いま並べると三つ出る。


 走ること。ピアノの二番目の子の音。航の家のカレー。


 三つとも、こちらのものではない。走ることだけが少し違う。


 少し違うが、あれもやめてから四年たっている。


            *


 九月の予備校は、二学期の時間割になった。


 授業が九時十分から始まって、最後が二十時四十分に終わる。


 一日に四本の日が三日、三本の日が二日ある。土曜は二本だ。


 週で十七本になる。四月より二本減った。


 減ったぶんは、自習室に入る。入る時間が一日に百二十分増えている。


            *


 九月の模試は、二十四日にあった。


 偏差値が五十四・一になる。七月より一・三上がっている。


 判定は、第一志望でCになった。Eが六回続いたあとで、初めてCが出る。


 その紙を、こちらは封を切って見た。切ったのは去年の五月以来になる。


 見て、机の引き出しに入れた。台所へは持って行っていない。


 ちゃんと上がっているのに、出す形がやはり作れなかった。


            *


 三日目の夜に、母がもう一度訊いた。


 訊き方は、二日前と同じだった。何か欲しいものある、になる。


 声の高さも同じで、急いでいるところが一つも無い。


 三日待つのが、この人には当たり前なのだと思う。


 急ぎなさい、とも、決めなさい、とも言われていない。


 普通は、そのあたりで一度は急かすものになるらしい。


            *


 三日目の夜も、紙は空欄のままだった。


 空欄のままにしておくと、四日目が来る。四日目に何が起きるのかは分からない。


 分からないので、何か言うことにした。


 言うことにした、というのが、そのときのやり方になる。


            *


 「問題集を、もう一冊」


            *


 言ってから、これは欲しいものではないと分かった。


 分かったが、言い直していない。言い直す形も持っていない。


 母は、どの、と訊いた。こちらは書名を言った。


 書名だけは、すぐ出た。九年間、そういうものだけが出る。


 しっかり覚えているのは、九月の模試の解説で三回名前が出たからになる。


 三回目に出たところで、書名がこちらの中に入った。入った日は特定できる。


            *


 母は、次の日にそれを買ってきた。


 駅前の書店の袋に入っている。レシートは入っていなかった。


 値段は、こちらが後で調べて二千二百円だと分かった。


 二千二百円という数を、母は言っていない。


 九年で、金額が家の中で出たことは一度も無い。そこも変わっていなかった。


            *


 渡すときに、母はがっかりした顔をしなかった。


 こちらは、人の顔が変わる速さが分かる。九年やってきた。


 母の顔は、その日、変わっていない。眉も、目のあたりも動かない。


 動かないのを見て、こちらは何も読めなかった。


            *


 読めなかったのは、その日が初めてになる。


 台所からの足音も、その日は速くも遅くもない。


 判別の材料が一つも出ないというのは、九年で初めてだった。


 初めてなのに、そこを数えていない。数えるものが無かったからになる。


            *


 母は一度も、それでいいのと訊かなかった。


            *


 問題集は、その週から使った。


 二百四十二ページあって、一日に八ページやると三十日で終わる。


 実際には二十六日で終わっている。四日早い。


 早く終わったので、同じ本をもう一周した。


            *


 二周目は、十九日で終わった。


 一周目より七日短い。二周やって、一冊で四百八十四ページになる。


 九月から十一月までで、問題集は四冊終わった。合わせて千八百ページを超える。


 母は、二周したことを知らない。言っていないので、知りようがない。


 短くなったぶんを、こちらはまた数えている。


 数えているあいだ、あの紙のことは考えていない。


 欲しいもの、と書いて線を引いた紙は、机の引き出しに入れた。


            *


 紙には、番号だけが一から十まで並んでいる。


 十個とも空欄になっている。九年間、空欄を作らずにやってきた紙で、それだけが埋まらない。


 だらしないから埋まらないのではない。だらしないなら、埋め方が決まる。


 決まらないものを、こちらはそこで初めて紙の上に置いた。


 置いたまま、引き出しを閉めた。


            *


 欲しいものを訊かれて、僕はまた量で答えた。

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