第007話 月曜から日曜まで
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しゅうま よていひょう 4年生
(10月13日〜19日)
月
スイミング 17:00〜18:00
※バスは16:40 角
(ゴミ・もえる)
火
くもん 16:30〜18:00
(かえりに 牛乳)
水
ピアノ 16:00〜16:30
※れんしゅう 30分 わすれずに
木
(ゴミ・びん かん)
金
くもん 16:30〜18:00
英会話 18:30〜19:30
※おにぎり もたせる
土
しょどう 9:00〜10:30
(ゴミ・もえる)
日
プリント 2日ぶん
※つめ きる
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表は冷蔵庫の横に貼ってある。
磁石は使わない。透明のテープで四隅を留めてある。テープは何度も貼り替えられていて、壁紙のその部分だけ、まわりより白い。
書くのは母だ。日曜の夜に、次の一週間ぶんを書く。
字はきれいだ。習ったわけではないと本人は言っていた。曜日のところだけ少し大きく書いて、時刻は右に寄せる。数字の1は上のはねをつけない。
前の年に使っていた表が、母の机の引き出しに何枚か残っていたことがある。並べて見たわけではない。ただ、その年の表のほうが線が濃かった。裏から触ると、字の形に紙が凹んでいる。ペンの先が紙を通っていた。
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月曜。
学校から帰ると三時半になる。ランドセルを置いて、おやつを食べて、四時十分に家を出る。
角のところにスイミングのバスが来る。白と青の車体で、側面に大きい魚の絵がついている。乗るのは八人で、席は決まっていないのに、みんな同じところに座った。僕はいちばん後ろの右だ。
プールの水は塩素のにおいがする。上がったあと、髪から一日そのにおいが取れない。
更衣室は混んでいて、いつも誰かの濡れたタオルが床に落ちている。着替えるのが遅い子は最後まで残る。バスの運転手が扉を開けたまま待っていて、乗り込むと湿った空気が一緒に入った。
耳に水が入ったときは、片足で跳ねると抜ける。抜けるまでのあいだ、音が片方だけ遠い。
級は上から数えて三番目まで来ていた。バッジは十枚ある。帽子に縫いつけると、色の順に並ぶ。壁に一覧表が貼ってあって、そこに自分の名前と、進んだところまでの印がついている。
一覧表は入口の横にあるので、送り迎えの親が全員それを見る。誰がどこで止まっているかも、そこに書いてある。
帰りのバスは六時十五分に角へ戻る。母が迎えに来ている日と、来ていない日がある。来ていない日は千尋を家で見ているからだ。
夕食のあとに公文の紙をやる。月曜は教室が無いから、家でやるぶんだけになる。
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火曜。
公文の教室は四時半から六時までのあいだに行けばいい。母は四時四十分に着くようにしている。
教室の場所は変わっていない。マンションの三階だ。エレベーターは何年か前に一度止まったことがあって、そのあとは止まっていない。
小四になると、教材はもうFのあたりまで来ていた。分数の計算だ。学校ではまだ習っていない。
プリント十枚で二十二分かかる。速いときで十九分、遅いときで二十六分になる。この幅がだいたい決まっていて、そこから外れる日は、たいてい前の晩に何かがあった日だ。
教室には、僕より小さい子が何人もいる。年中の子が机に足をぶらぶらさせながらプリントをやっているのを見て、自分もそうだったのかと思った。思っただけで、確かめていない。
母は部屋の隅の丸椅子に座っている。千尋を連れてくる日と、家に置いてくる日がある。千尋はもう一年生だ。
帰りに牛乳を買う。予定表にそう書いてあるからで、母がその日に来られないときは、僕が自分で買って帰る。百五円だ。おつりは母に渡す。
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水曜。
ピアノは四時からの三十分。教本はバイエルが終わって、次の本に入っている。
発表会が春と秋にあって、秋のほうは十一月だ。曲は九月に決まっていて、僕はそれを毎日三十分弾く。
三十分というのは、時計で測る三十分だ。うまくいった日も、いかなかった日も同じだけ弾く。終わりの時刻が来ると終わる。
母は台所にいる。間違えたところは、いまでも指摘される。声のかかり方が昔と少し変わって、二回目までは何も言わないようになった。
水曜の夜だけ、父が早く帰ってくることがある。月に一度あるかないかだ。その日は夕食が八時になる。父は僕の練習の音を聞いても、何も言わない。
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金曜。
いちばん長い日だ。
公文が終わってから、自転車で十五分走る。英会話は六時半からだ。あいだの三十分で、母が持たせたおにぎりを食べる。
おにぎりは二個ある。中身は日によって違う。鮭が多い。自転車の前かごに入れておくと、着くころには少し冷たくなっている。食べるのは英会話の教室の下の駐輪場で、そこの段差に座って食べた。
英会話の先生は外国の人だ。名前はニックといった。背が高くて、いつも大きい声で話す。カードを見せて、単語を言わせる。歌をうたう。ゲームをする。
二年通っていたが、僕はまだ文を作れなかった。単語は言える。りんご、犬、青、月曜日。それを並べても文にはならない。
ニックが僕に何か訊いて、僕が答えられなくて、ニックが笑って別の子に行く。それが毎回だった。
ニックの手は大きくて、指の背に金色の毛が生えている。ハイタッチをするとき、こちらの手のほうが小さいので、途中で高さを下げてくれた。
母は教室の外で待っている。終わって出てくると、今日はどうだったと訊く。
「楽しかった」
僕はそう答える。答え方を覚えていた。
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土曜。
九時から書道だ。桑野先生の家は変わらない。柱時計も変わらない。
小四になると、字は「湖」とか「秋風」とかになる。画数が増えて、墨の減りが速くなる。
先生は相変わらず何も言わない。歩いて、立ち止まって、離れる。最後に一枚を取って「これ」と言う。
その一枚を、僕はまだ持って帰っている。引き出しの中の紙は、いちばん下のほうが茶色くなりはじめていた。
午後は空いている。空いているといっても、公文の紙が二日ぶん残っていることが多い。
空いているという言葉を、僕はそのころ、何も入っていないという意味では使っていなかった。まだ入れられる、という意味で使っていた。
航は土曜の午後、たいてい外にいる。自転車で川のほうへ行くらしい。何をしているのかは知らない。訊いたことがない。
塀ごしに、行くかと訊かれたことは何度かある。行けない、と答える。それだけで話が終わった。理由を訊かれないので、説明の練習をする機会がない。
弟を後ろに乗せて出ていくのを、二階の窓から見たことがある。二人乗りは禁止されている。
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日曜。
朝は少し遅くまで寝ていていい。九時ごろに起きて、朝食のあとにプリントを二日ぶんやる。
昼は家族で食べる。父がいる日は四人、いない日は三人だ。母は昼にだけ、少し長く座っている。
日曜の昼は麺類が多い。焼きそばか、うどんか、そうめん。作るのが速いからだと思っていたが、母がそれを好きなのだと知ったのは、もっとあとだ。訊いたわけではない。自分の皿だけ具が少ないことに、ある日気づいた。
午後、母が僕の爪を切る。予定表に書いてあるからだ。
左手から始めて、右手に移る。母は僕の手を自分の膝の上に置いて、指を一本ずつ持つ。
母の膝は少し硬い。爪切りの刃が指に当たる前に、母は必ず爪の下を親指の腹で確かめる。切りすぎないようにしているのだと思う。切る音は、指によって高さが違った。
切ったあとに、やすりで角を落とす。鉛筆を持つ側の指だけ、少し短くする。書きやすいようにだ。
千尋の爪も同じように切る。千尋はじっとしていないので、母は途中で二回くらい笑う。僕のときは笑わない。僕が動かないからだ。
その時間だけ、母は何も測っていない。速いとも遅いとも言わなかった。順番の話も出ない。ただ僕の指を持っている。
この十五分が好きだったということを、僕は誰にも言っていない。
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夜になると、母は台所のテーブルに座る。
紙とペンを出して、来週の表を書く。定規は使わない。線はまっすぐだ。
僕は自分の部屋にいる。ドアは閉まっている。それでもペンの音は聞こえる。
書いている途中で、一度だけ止まることがある。止まって、また動き出す。何を考えていたのかは分からない。
書き終わると、母は冷蔵庫の横へ行って、古い表をはがし、新しい表を貼る。テープを切る音が四回する。
貼ったあと、少し下がって全体を見る。曲がっていれば貼り直す。曲がっていることは、あまりない。
はがした表を、母はその場でたたんで捨てた。取っておかない。
その一枚だけ、僕は捨てるところを見ていない。母が捨てたと思っているだけだ。
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その週の表は、月曜から日曜まで、全部埋まっていた。
埋まっているのがふつうだと思っていた。予定というのは、そういうものだ。
母は一度も、こんなに詰めてごめんね、とは言わなかった。言う必要が無かったからだと思う。僕が文句を言ったことは一度もない。
文句を言うという発想が、そのころの僕には無かった。表は天気のようなものだった。晴れる日と雨の日があって、こちらが決めることではない。
ペンの音は、十五分くらい続いた。




