第006話 はじめての百点
小学一年生の十月に、初めてテストというものをやった。
算数だ。その日は七時五十分に家を出て、八時に角の集合場所へ行き、八時二十分に学校へ着いた。一時間目は国語で、テストは二時間目の九時四十分に配られた。時間は二十分だ。紙は薄い藁半紙で、裏が透けて見える。上の欄に一年二組と書いて、その右に名前を書く。
問題は二十問あった。全部たし算で、いちばん難しいのが「8+7」だ。公文ではもう三年生のところをやっていたから、僕にとっては何も難しくない。
五分で終わった。
終わったあとは裏返して机に伏せる決まりになっている。伏せてから、教室を見た。まだみんな書いている。鉛筆の音が二十八人ぶん重なっていて、公文の教室と同じ音がした。人数が多いぶん、音が厚い。
窓側の三番目の席の子が、消しゴムを落とした。拾ってあげようとして、席を立ってはいけないことを思い出した。
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担任は若い女の先生だった。二十代だと思う。
名前は覚えている。二学期の途中で一度、風邪で三日休んだこともついでに覚えている。そういうことは覚えているのに、その先生の顔を、僕はうまく思い出せない。
テストが返ってきたのは、次の日の一時間目だ。授業の終わりの十分前だった。
名前を呼ばれて、前へ取りに行く。全員ぶんを一枚ずつ呼ぶから、二十八人だと時間がかかる。呼ばれる順番は名簿の順で、高梨は五番目だった。
僕の紙には、赤い丸が二十個と、大きい花丸が一つ書いてあった。
花丸というものを、僕はその日に初めて見た。丸のまわりに、とがった山がぐるりと並んでいる。山の数は同じではない。先生が手で描くから、そのつど違う。数えようとして、途中で分からなくなった。
右上に「100」とある。数字の下に赤い線が二本引いてあった。
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席に戻って、紙を机の上に置いた。
伏せなかった。伏せる決まりはもう無い。
耳のうしろが熱くなった。それから首の後ろも熱くなって、手のひらだけが冷たかった。心臓の音が耳の中で聞こえて、机の上の紙が少し揺れて見えた。
顔は動かさない。
隣の席の子が僕の紙をのぞいて、いいなあ、と言った。僕は何も言わなかった。うん、とも言っていない。
そのときの僕を外から見た人がいたとしたら、たぶん、何も起きていないように見えたと思う。
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中休みに、航が廊下から手を振った。
航は一組で、僕は二組だ。教室は隣どうしで、休み時間になるとどちらかが廊下に出る。
僕は紙をランドセルから出して見せた。見せたかったから見せた、というより、手に持っていたから見せたのだと思う。
航はそれを二秒くらい見た。
「ふうん」
それから、今日の給食は何かという話をした。揚げパンの日かどうかを気にしていて、僕は覚えていないと答えた。実際は献立表を見て知っていた。その日は揚げパンではない。
なぜ知らないふりをしたのかは、いまも説明できない。
航は走って一組へ戻った。廊下は走ってはいけないことになっている。
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その日の下校は二時二十分だった。
紙は折らずに持って帰りたかった。ランドセルの中で曲がらないように、教科書と教科書のあいだにはさんだ。それでも角が少し折れた。
帰り道は十五分ある。途中で二回、ランドセルを下ろして中を確かめた。
はじめて百点を取った日のことを、覚えている人は多いと思う。あなたも覚えているはずだ。何点だったかではなくて、その紙を持って帰るときの、鞄の中の重さのようなものを。
僕はその日、走らなかった。走ると紙が曲がる気がした。
通学路の途中に、コンクリートの側溝の蓋が並んでいるところがある。いつもは蓋の上だけを踏んで歩く遊びをしていた。その日はやらなかった。踏み外すと、体が揺れる。
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家に着いたのは二時三十五分だった。
玄関で靴をそろえて、手を洗って、それからランドセルを開けた。
母は台所にいた。三時からの用があるので、その前に洗い物を終わらせておく日だ。千尋が床でシールを貼っていた。三歳になっていて、その時期はシールを何にでも貼る。テーブルの脚に六枚くらい貼ってあった。
僕は紙を出して、母に渡した。
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母は手をふいてから受け取った。
その日の母の手は、まだ荒れていなかった。冬になると指の関節が割れるが、十月はまだ大丈夫だ。爪は短く切ってあって、右の親指の爪だけ、端が少し欠けていた。
両手で持って、少し離して見た。老眼が始まるのはもっとあとの話で、離したのは字を見るためではないと思う。紙全体を見ようとしていた。
母の顔が動いた。
目のところが先で、次に口の端が上がって、それから息を吸う音がした。眉が一度だけ上に動いて、下がるときに戻りきらなかった。
その顔を、僕は覚えている。
そのあとで、母はこう言った。
「よくできました」
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母は紙を持ったまま、しばらく立っていた。
それから冷蔵庫に貼った。磁石を四つ使った。公文の記録表を貼ったときと同じやり方だ。記録表は少し左にずらされて、答案がその隣に並んだ。
千尋が下から見上げて、手を伸ばした。届かない。母が千尋を抱き上げて、これは何、と訊かせた。千尋は何も言わなかった。
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母は貼り終わったあと、少し下がって位置を見た。それから紙の左下の角を、指で押さえ直した。めくれていたわけではない。
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その日も、予定は変わらなかった。
水曜だからピアノがある。家を出て、レッスンを三十分受けて、帰る。夕食の前に三十分練習して、それから公文の紙をやる。
百点だからといって、どれかが減ることはない。増えることもない。予定は予定として、そこにある。
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夕方、五時すぎに母が電話をかけた。
廊下の白い子機だ。相手は伯母だった。話の途中で声が少し高くなる。
「そう、はじめてなんだけど、百点だったのよ」
僕はリビングにいて、テレビを見ていた。音は小さくしてあった。母の声のほうがよく聞こえる。
僕はテレビの画面を見たまま、動かなかった。画面には夕方の番組が映っていて、内容は入ってこない。台所からは油の音がしていて、その日の夕食は鶏の唐揚げだった。冷蔵庫の紙は、そこからだと角しか見えない。
母がその日、電話を何分かけていたかは覚えていない。長かったとは思う。
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父はその夜、九時前に帰ってきた。
冷蔵庫の前で足を止めて、それを見た。
「百点か」
「うん」
「これは簡単だな」
父はそう言って、鞄を置いて、風呂場のほうへ行った。悪い言い方ではなかった。実際、問題は簡単だ。父は見たものを言っただけだと思う。
母は台所にいて、その会話を聞いていた。何も言わなかった。
簡単じゃないよ、とは言わなかった。
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答案は三日間、冷蔵庫に貼ってあった。
四日目に、母が外した。次のテストが返ってきたからだ。二回目も百点だ。ただし二回目のときは、母は電話をかけなかった。
外した一枚目は、僕の机の引き出しに入った。書道の紙とは別の、下の段のほうだ。入れたのは母だと思う。自分で入れた覚えがない。
そのあと、答案は溜まっていった。
小学校のあいだに何枚あったかは分からない。中学と高校のぶんも合わせて、いまは段ボールに一箱ある。いちばん下にあるのが、その一枚だ。
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母は一度も、百点を取れとは言わなかった。
取ったときに喜んだだけだ。次のテストのことも、そのときは何も言っていない。
僕はそれから、百点以外の点を取ったときの母の顔を、順番に覚えていくことになる。九十八点の顔と、九十点の顔と、八十五点の顔は、全部違う。違いを言葉にできるようになるのは、もう少しあとだ。
その日の母の顔は、いちばん最初の一つだった。比べる相手がまだ無い。
あとの顔と並べてみれば、あの日がいちばん上だったのだろうと思う。思うが、それは順番を知ってから逆に決めたことでもある。最初の一つは、最初だというだけで特別に見える。
母がその日、本当のところどれくらい喜んでいたのかを、僕は確かめる方法を持たない。訊けばよかったのかもしれない。訊く場面は二十年あったのに、一度も来なかった。
だから僕は、あの顔がどれくらいのものだったのかを、いまでも決められない。
*
寝る前に、僕はもう一度、冷蔵庫の前に立った。
磁石は四つとも同じ色だった。紙の右上に赤い線が二本ある。台所の電気は消えていて、廊下からの光だけが当たっていた。
冷蔵庫は、しばらくすると低い音を出しはじめる。出しはじめて、しばらくすると止まる。その音が止まったところで、僕は自分の部屋へ行った。
その紙の上に、二十年ちかく、別の紙が積もっていくことになる。




