第005話 これ
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書道教室 月謝袋
高梨 秀真 様
平成十七年度
四月分 三千円 ㊞
五月分 三千円 ㊞
六月分 三千円 ㊞
七月分 三千円 ㊞
八月分 (お休み)
九月分 三千円 ㊞
十月分 三千円 ㊞
十一月分 三千円 ㊞
十二月分 三千円 ㊞
一月分 三千円 ㊞
二月分 三千円 ㊞
三月分 三千円 ㊞
桑野
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小学校に入った月から、土曜の朝は書道になった。
土曜は七時に起きる。朝食を食べて、八時四十分に家を出る。教室は歩いて八分のところにある。桑野先生の自宅で、看板は出ていない。門のところに小さい木の札がかかっていて、そこに「書」とだけ書いてあった。
母が最初の日だけ一緒に来た。玄関で、これからよろしくお願いしますと言って、頭を下げた。母の声はいつもより高くなっていた。
字がきれいだと得だから、と母は行きの道で言った。それだけしか言わなかった。
*
桑野先生は八十近い。
背が低くて、白いものが混じった髪をうしろで留めている。いつも和服ではなく、灰色のズボンとセーターだった。夏はシャツになる。声はあまり大きくない。
教室は家の和室だ。畳が八枚。床の間に掛け軸がかかっていて、そこだけ字が読めない。何と書いてあるのかを、六年間訊かなかった。
廊下に柱時計がある。振り子のある古いやつで、三十分ごとに鳴る。九時に九回、九時半に一回、十時に十回。書いているあいだにその音が入ってくる。手を止める子はいない。
生徒は五人しかいない。
五人のうち、僕がいちばん下だった。上は中学生の女の子で、あとは三年生と、四年生が二人。四年生の二人は兄弟で、いつも並んで座り、ほとんど口をきかない。
時間は九時から十時半までで、途中の出入りは自由だった。九時五分前に着くと、たいてい中学生の女の子がもう墨をすっている。
*
最初にやったのは、墨をすることだった。
教室では墨汁を使わない。硯に水を入れて、墨の棒を立てて、まっすぐに動かす。斜めにすると先が減って形が崩れる。それを最初の日に一度だけ教わった。
墨をするのに十分かかる。長い子は十五分かかる。
その十分のあいだ、誰も何も言わない。畳をこする音と、硯の上の音だけがしている。硯の音は、乾いた音から、だんだん湿った音になっていく。
濃さがどれくらいで止めればいいのかは、教わらなかった。自分で決めることになっている。薄いと紙がにじむ。濃すぎると筆が動かない。
僕は最初のころ、濃くしすぎた。速くすろうとしたからだ。速くすると粒が粗くなって、紙の上でざらつく。それに気づくまでに一か月かかった。
三年生の子は、墨をするのがいちばん遅い。十五分かけて、途中で二回、硯を傾けて濃さを見る。誰もその子を急かさない。
*
その日の字は「一」だった。
半紙のまん中に、横の線を一本引く。それだけだ。
書くところは見せてくれる。先生が僕の隣に座って、自分の半紙に一本引いた。
先生の手は、甲に茶色いしみがいくつもあって、皮が薄い。血管が浮いている。筆を持っていないときは、その手が少し震えていた。持つと震えが止まる。止まる理由は分からない。
筆を置いてから、少し止めて、それから右へ動かす。最後にまた止める。始まりと終わりのところで、筆が紙に沈んでいるのが分かった。
真似をした。同じにはならなかった。
先生は書き終えた自分の半紙を、くしゃくしゃにして脇に置いた。手本として残さない。見せるのはその場かぎりだ。
真似をするなら、見ている今しかない。そう言われたわけではない。そうなっているだけだった。
線の太さが途中で変わる。曲がる。終わりのところで筆が跳ねる。
跳ねるのは、腕ではなく手首を使っているからだと、あとで自分で気づいた。誰にも教わっていない。気づいたときに誰にも言わなかったので、合っているかどうかも分からないままだ。
何枚書いてもいいと言われた。紙は箱に入っていて、自分で取る。取った枚数は誰も数えない。
僕は数えた。その日は十四枚書いた。
*
書いているあいだ、先生は部屋を歩く。
誰の後ろにも同じくらい立って、同じくらいで離れる。何も言わない。中学生の女の子のところでも、僕のところでも、立っている時間は変わらなかった。
一度だけ、僕の筆の持ち方を直した。中指の位置を、指一本ぶんずらしただけだ。直したあと、うん、とも、これでいい、とも言わない。すぐ次の人のところへ行った。
柱時計が十時に鳴ったあと、あと二十分だと分かる。数える子はいない。僕は数えていた。
十時二十分に、片づけと言われる。
筆を洗いに、廊下の奥の流しへ行く。水が冷たい。墨は洗ってもすぐには落ちなくて、指の内側が三日くらい灰色のままになる。爪のわきが特に落ちない。
*
片づけが終わると、先生は畳の上に並んだ紙を見る。
一人ずつだ。その子が書いた紙を全部、重ならないように広げる。十四枚あれば十四枚を、二十枚あれば二十枚を、畳の上に並べる。
先生はそれを、上から順に見ていく。かがまない。立ったまま、首だけを動かして見る。時間は三十秒くらいだ。
それから、一枚を取る。
「これ」
それだけ言って、僕にその紙を渡した。
*
僕は残りの十三枚を見た。
どれも同じに見えた。線が曲がっているものと、まっすぐなものはある。太さが変わっているものと、変わっていないものもある。
選ばれた一枚は、まっすぐでもなかった。終わりのところで少し跳ねている。跳ねていないものが、ほかに三枚あった。
その三枚は選ばれなかった。
僕は先生の顔を見た。先生はもう次の子の紙のところへ移っていた。
どうしてこれなんですか、とは訊かなかった。
*
選ばれなかった紙は、自分で持ち帰るか、置いていくかを選べる。置いていくと先生が捨てる。
みんな置いていく。中学生の女の子も、四年生の二人も、全部置いていった。
僕は最初の日、十三枚を持ち帰った。次の週から置いていくようになる。理由は、鞄に入らなかったからだ。
選ばれた一枚は、いつも持って帰る。丸めずに、下敷きにはさんで鞄に入れる。折れると、そのぶん紙が変わってしまう気がした。
帰るのは十一時前だ。行きと同じ道を通る。途中の家に犬がいて、行きは吠えないのに帰りは吠える。理由は最後まで分からなかった。
*
家に帰って、母に見せた。
母は紙を両手で持って、少しのあいだ見ている。それから、上手ね、と言った。
冷蔵庫には貼らない。
母は一度も、書道はどうでもいいとは言わなかった。
公文の記録表は貼ったのに、書道の紙は貼らない。そのことに僕は気づいていたが、なぜかとは考えなかった。母は紙を折らずに、僕の机の引き出しに入れた。
母は書道の話をあまりしなかった。話す材料が無かったのだと思う。何番まで進んだかも、何分で書けたかも、書道には無い。
*
次の土曜も、同じことをした。
墨をする。字を書く。十何枚か書く。先生が並べて見て、一枚を取って「これ」と言う。
その次の土曜も、そうだった。
選ばれる紙に、決まりがあるようには見えなかった。上手く書けたと自分で思った日に、そう思っていない紙が選ばれることがある。何も考えずに書いた一枚が選ばれることもある。
点数がつかないということが、僕には分からなかった。
選ばれた紙が良い紙だという意味なら、なぜ良い順に並べないのか。並べれば、二番目と三番目も分かる。分かれば、次に何を直せばいいのかも分かる。
先生は並べない。一枚を取るだけだ。
僕はしばらく、選ばれた紙を家で見比べていた。前の週の一枚と、その週の一枚を並べる。共通するところを探した。線の角度も、太さも、墨の濃さも、そろっていない。
共通していたのは、その日の自分がどこにいたかだけだ。そのことに気づくのは、ずっと先になる。
*
三か月たっても、僕はまだそれを理解していなかった。
夏休みは教室が休みになる。八月の月謝袋には金額が書かれていない。
九月に再開したとき、僕は久しぶりに墨をすった。十分では足りなくて、十二分かかった。手が忘れていた。
その日も一枚が選ばれた。夏のあいだ一度も筆を持たなかったのに、選ばれる紙はあった。上手くなっていないのに選ばれるということが、そのときは腑に落ちなかった。
先生がその日、ほかの子のどの紙を選んだかは覚えていない。自分のだけ覚えている。
*
書道でもらった紙は、机の引き出しに溜まっていった。
何枚になったかは数えていない。
数える必要がなかった。そこには数字が一つも書かれていない。時刻も、順位も、直しの数も無い。あるのは字が一つと、選ばれた一枚だということだけだ。
引き出しを開けると、下のほうの紙は少し黄色くなっている。上のほうは白い。順番に重なっているから、色の変わり方で古さが分かる。それを見るのが好きだった。好きだと言ったことはない。
僕はその紙を、なぜか捨てなかった。
選ばれた理由は、そのときも、それから十六年のあいだも、訊けないままだった。




