第004話 母の指
ピアノが家に来たのは、年長の四月だった。
運送屋が二人で運んできた。九時に来ると聞いていて、着いたのは九時十分だ。うちの玄関は幅が足りなくて、掃き出し窓のほうから入れた。窓のサッシを外して、毛布を巻いた黒い箱を横向きにして通す。二人とも腹から声を出していた。作業は九時四十分に終わった。
新しいものではない。母方の祖父母の家にあったものだ。
平屋の、仏壇のある部屋の隣に置いてあった。僕はそれを見たことがある。上に写真立てが三つと、置き時計が一つのっていて、蓋は閉まっていた。開いているのを見たことはない。
運ばれてきたピアノは、うちのリビングの壁ぎわに置かれた。父が置き場所を決めた。テレビの反対側で、そこにあった本棚が廊下に出された。本棚はそれから二か月くらい廊下にあった。
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次の日の十時に、調律の人が来た。
六十くらいの男の人で、道具の入った鞄を持っていた。上の板を外して、中を開ける。中には弦がびっしり張ってあって、想像していたより金属だった。楽器の中身が金属だということを、僕はそのとき初めて知った。
その人は同じ音を何度も鳴らした。一つの鍵を押して、少し回して、また押す。だんだん音が近づいていって、あるところで止まる。止まった理由が僕には分からない。
「どこで止めるか分かるんですか」
僕がそう訊くと、その人は手を止めずに、うなりが消えるから、と言った。
二つの音が近いと、わんわんと揺れる音がする。ぴったり合うと、その揺れが消える。消えたところが正しい。そういう説明だった。
僕はそのあと、しばらく自分でも鍵を二つ同時に押してみた。うなりは聞こえた。
調律が終わったのは十二時前だった。その人は台所の母と少し話して帰った。母はお茶を出していた。玄関を出るとき、また来年、と言った。
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母が最初に弾いた。
椅子の高さを合わせるところから始まる。座って、両側のねじを回す。回してから座り直して、もう一度回した。それを三回やって、やっと弾く姿勢になった。
背中がまっすぐになる。
それまで母は、台所に立っているか、僕の横に座っているか、自転車をこいでいるかだった。ピアノの前の母は、体の形が違った。
指が鍵盤に触れる。手の甲が丸くなって、指の関節が一つも折れていない。爪は前の晩に切ってあった。
弾いたのは短い曲だった。何という曲かは覚えていない。二分もなかったと思う。
弾き終わって、母は少しのあいだ手を鍵盤の上に置いたままでいた。それから蓋を閉めずに立って、台所へ行った。
千尋が拍手をした。二歳の拍手は音が小さい。
僕は何も言わなかった。すごいね、と言えばよかったのだと思う。そのときは思いつかなかった。
母はそのあと、蓋を開けたままにしていた。閉めたのは寝る前だ。閉めるときに鍵盤の上を布でひとなでした。布は祖父母の家から一緒に来たもので、端がほつれている。
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教室は水曜の四時からだった。自転車で十二分かかる。母は三時四十分に家を出る。
先生の家の一室で、部屋にはグランドピアノが一台と、椅子が二つ置いてある。壁に生徒の名前を書いた紙が貼ってあって、曲が進むとシールが増える。僕の名前は下から三番目にあった。
レッスンは三十分だ。母は部屋の外の廊下で待つ。ドアは少し開けてある。
教本はバイエルだった。表紙が黄色くて、番号が振ってある。何番まで進んだかが、そのまま自分の位置になる。壁のシールの数と、教本の番号と、二つで測られる。
最初は片手だけだった。右手で、ドレミファソを順番に押す。それだけを二週間やった。
四時半にレッスンが終わると、次の生徒が廊下で待っている。入れ替わりに挨拶をする。母もその子の母親に挨拶をする。声が少し高くなる。
三週目に、あとから入ってきた子がいた。僕より半年下の女の子だ。その子は最初の日から両手で弾いた。指はばらばらだったが、音は両手から出ている。
先生は、その子には手を出さなかった。僕には、指の形を一本ずつ直した。
「秀真くんは、手が小さいわね」
先生はそう言って、僕の手を自分の手のひらの上に乗せた。先生の手は僕の一・五倍くらいあった。
手が小さいのは僕のせいではない。それは分かる。分かるが、そのとき僕は、初めて自分ではどうにもならないものがあるという場所に立っていた。
公文の紙には、そういうものは無い。速く書けば速いと書いてある。それだけだ。
その日から、僕は自分の手を見るようになった。指を開いて、机の上に置いて、どこまで届くかを確かめる。届く幅は毎日同じだった。伸びているのかどうかは、その場では分からない。
女の子の名前は覚えていない。その子はしばらくして来なくなった。理由は聞いていない。
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家での練習は毎日三十分と決まった。
夕食の前にやる。五時半に始めて六時に終わる。公文は八時からだから、ぶつからない。母は台所にいて、僕はリビングでピアノに向かう。母から僕の手は見えない。
見えないのに、母は分かる。
同じところを二回間違えると、台所から声がする。
「そこ、さっきと同じ」
包丁の音が止まって、それから続く。母は顔を出さない。出さないまま、次に僕が同じところで間違えるかどうかを聞いている。
三度目に間違えたときは、水を止める音がした。それから足音が来る。速い足音だ。
母は僕の後ろに立って、譜面のその小節を指でさす。
「ここ、指が違うでしょう」
言われたとおりに直すと、通るようになる。母の言うことはいつも正しかった。正しいから、返す言葉がない。
母は指をさしてから、また台所へ戻る。戻る足音のほうが、来るときより遅い。
母は一度も、自分が弾けなかったからとは言わなかった。
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メトロノームは母が買ってきた。
三角の形をした木のやつで、上のねじを巻くと振り子が動く。速さの目盛りが四十から二百八まで刻んである。最初は六十に合わせた。
振り子の音は、部屋のどこにいても聞こえる。二階でも聞こえた。千尋はその音がすると必ず見に来て、止めようとして母に抱き上げられた。
僕は六十の速さを、いまでも体で覚えている。歩く速さでも、点検の順路をたどる速さでもない。それとは関係のないところに、その速さだけが残っている。
振り子が動いているあいだ、時間は一定に進む。止めると、進み方が分からなくなる。練習の途中でメトロノームを止めると、そこから先の記憶が薄い。
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母が弾くのは、決まって同じ曲だった。
僕が練習を終えたあと、たまに母が座る。長くは弾かない。三分か、五分だ。弾き終わると蓋を閉める。
同じ曲だということに、僕は気づいていた。気づいていて、なぜ同じなのかを考えなかった。
考えなかった理由は、たぶん簡単だ。母は何でもできる人だったからだ。予定を全部覚えていて、名前を全部覚えていて、包丁の音を止めずに僕の間違いを聞き分ける。そういう人が、三曲しか弾けないという可能性を、僕は持っていなかった。
譜面台には、僕のバイエルがいつも載っている。母の楽譜は、ピアノの下の棚に入っていた。表紙が茶色くなっていて、一冊だけ背が割れている。開いて見たことはない。開いていいとも、いけないとも言われていない。
母は音楽大学ではなく、短大に行っている。そこでピアノをやっていたということは、あとで伯母から聞いた。どこまでやって、どこでやめたかは聞いていない。訊かなかった。
母がピアノを買い直さなかったのは、置き場所の問題だったと思う。あの家にはもう置く場所がなかった。
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六月に、初めて両手で弾けるようになった。
右と左が別々のことをする。その日は練習の終わりに母が来て、僕の後ろで最後まで聞いた。台所の水は止まっている。
弾き終わると、母は僕の頭に手を置いた。
「上手」
それだけだった。速いね、とは言わなかった。ピアノの話をするとき、母は速さのことを言わない。
月謝袋は白い封筒で、月の初めに母が用意する。中を見たことはない。金額を知ったのは、ずいぶんあとになってからだ。
父はピアノについて何も言わなかった。置き場所を決めたときだけ口を出して、それきりだ。一度、酔って帰った夜に鍵盤を三つか四つ押したことがある。音が外れていて、母が笑った。父も笑った。その日は九時前に帰ってきていた。
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その夜、九時半に、母がもう一度ピアノの前に座った。廊下から見ていた。
背中がまっすぐになる。椅子のねじを回し直す。指が鍵盤に触れて、手の甲が丸くなる。
母の指が、正しい形になった。
僕はそれを、母がピアノを弾ける人だからだと思っていた。母が弾ける曲は三曲しかないと、そのときはまだ知らない。




