第081話 二九六
二年の学年末考査で、僕は十一問空けた。
数学が三つ、英語が二つ、化学が二つ、古典が二つ、日本史が一つ、物理が一つになる。
九教科のうち七教科で空けている。空けなかったのは地理と現代文だ。
この二つには、空ける場所が見つからなかった。記述の欄しか無い教科は、途中まで書くと空欄にならない。
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配点を足すと五十四点あった。
九教科で九百点なので、六パーセントになる。
七月が一問で六点、九月が三問で二十点、十二月が七問で三十四点だ。
六、二十、三十四、五十四と増えている。
増やそうと思って増やしたのではない。手のほうが先にそうなった。
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結果は三月十四日に返ってきた。
個人成績票が一枚と、答案が九枚になる。
順位は二九六だった。三二〇人のうちの二九六になる。
十二月が二八九なので、七つ下がっている。
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下に二十四人いる。
中学の三年目には、上に何人いるかを数えていた。
いまは下を数える。向きが逆になっただけで、やっていることは同じになる。
同じなのに、下のほうが数えにくい。名前が分からないからだ。
上にいる人の名前は、いつのまにか覚える。下にいる二十四人の名前は、二年たっても一人も知らなかった。
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五十四点空けて、七つ下がった。
一つ下がるのに七・七点かかっている。
九月は五点だった。十二月は五・七点になる。
下へ行くほど、一つぶんの値段が上がる。
上のほうには、一点で五人抜ける場所があると聞いたことがある。下は、そうならない。
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密集している、というのが正しい言い方だと思う。
三百二十人を得点順に並べたとき、下の三十人ぶんは幅が狭い。
狭いところで五十四点動かしても、七つしか動かない。
動かないもののことを、僕はそれまで努力の側でしか見ていなかった。
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努力の話を、こちらは量の話だと思っていた。
入れた量に応じて、出るものが増える。増えないなら、入れ方が足りない。
その形で九年やってきて、だいたい合っていた。
合わなくなったのは、抜くほうをやりはじめてからになる。
抜いても、思ったところまで下がらない。上げるのと同じ手つきでは、下げられなかった。
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個人成績票には、担任が一行書く欄がある。
三月のぶんには、体調に気をつけて三年をむかえてください、と書いてあった。
順位のことは書いていない。九教科のことも書いていない。
十二月のぶんは、あと一年です、だった。九月のぶんは空欄になっている。
三回とも、名前のところだけが手書きで、あとは同じ形をしている。
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紙は、その日のうちに押入れへ入れた。
中学からの答案が、そこに溜まっている。数えたのは一年の三月で、四百十二枚あった。
二年ぶんを足すと、六百枚を超えているはずだ。数え直していない。
捨てる理由が見つからない。取っておく理由も見つからなかった。
見つからないまま、増えるほうだけが続いている。
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母は、その紙を見ていない。
二年のあいだ、順位の書いてある紙を、僕は一度も台所へ持って行かなかった。
持って行かなければ、訊かれない。訊かれないので、出さないで済む。
済ませていられることが、こちらには都合がよかった。
都合がよかった、と書くと、こちらが選んだように見える。選んだ覚えは無い。
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母が僕に訊くのは、その冬も三つだけだった。
明日の持ち物と、帰りが遅くなるかどうかと、洗濯に出すものがあるかになる。
三つとも答えられる。答えられるものだけが訊かれている。
二年で一度も、点のことは出ていない。
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世間では、三年になる前に志望校を決めておくものらしい。
春休みのうちに、普通はだいたい決まる。予備校の紙にもそう書いてあった。
こちらは決めていない。決めていないのを、だらしないとは思わなかった。
思わないでいられるのは、決める形をそもそも持っていないからになる。
持っていないことを、恥ずかしいとも思っていない。
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三月二十五日に、四人で外へ食べに行った。
父が休みを取っている。取ったのは半年ぶりくらいになる。
立派な店ではない。駅前の、二階へ上がるところの店だ。
千尋が一年生のときに一度来ている。四人で外に出るのは、そのころもう当たり前ではなくなっていた。
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母が電話で席を取ってあった。窓ぎわの四人がけになる。
世間では、家族で外へ食べに行くのは珍しくないらしい。うちは、そうではなかった。
席は、こちらが着く前からきちんと空けてある。
店は混んでいた。階段のところに、待っている人が六人か七人いる。
僕たちは待たなかった。取ってあったからになる。
取ってあることを、母はその場では言わない。名前を言って、そのまま通される。
通されるところを、千尋が見ていた。すごい、と言った。母は笑って、何も答えなかった。
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頼んだのは四つだ。
母のと、父のと、千尋のと、僕のになる。
僕のは鶏の照り焼きの定食だった。
海老フライは、頼まなかった。
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小学生のころ、僕はその店で必ず海老フライを頼んでいた。
中学の一年から、食べなくなっている。理由は言っていない。
衣の油が、途中で重くなる。それだけのことだった。
噛んでいるあいだに、油が口の内側へ張りつく。飲み込んでも残る。
残ったまま次を入れると、噛む音が耳の裏で鳴った。
その鳴り方が嫌で、皿の端へ寄せた。寄せたのを、誰にも見られていないと思っていた。
言っていないので、家の誰も知らないはずだ。
母は八年ぶりのその席で、僕のぶんだけ別のものを頼んだ。
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覚えてたんですか、と訊こうとした。
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千尋のは海老フライになる。千尋はいまも食べる。
母は自分のを半分残して、父の皿へ移した。父は何も言わずに食べる。
二人がそれをやるところを、僕はその日はじめて見た気がした。
気がしただけで、前にも見ていたのかもしれない。
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母の手は、その春に荒れていた。
指の付け根のところが白く粉をふいている。爪のきわが割れていた。
箸を持つと、割れたところが皿のふちに当たって音を立てる。
当たるたびに、母はしっかり持ち直す。持ち直すのが癖になっている。
癖になるまでのあいだのことを、僕は見ていない。
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店の音は、皿と、氷と、隣の席の笑い声だった。
母の声は、その中でいちばん通る。大きくはない。通り方が違う。
中学のとき、僕は台所からの足音で機嫌を当てていた。当たっていたかどうかは確かめていない。
音のことは、よく覚えている。覚えているのに、その日に何を話したかが出てこない。
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会計は父がやった。
僕は、ありがとうを言っていない。
言いなさい、と言われることもなかった。うちは、そういうものを言わせる家ではない。
言わせないでいると、言う形が身につかない。
身につかないことに、そのころは気づいていなかった。
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帰りは歩いた。
駅から家まで、いつもは十二分かかる。四人だと十五分になった。
千尋が母と並んで、父と僕が後ろになる。
父は歩くのが速い。速いのに、その夜は前へ出なかった。
こちらの歩幅に合わせているのだと、途中で分かった。
合わせているのが、この人には当たり前なのだと思う。言いはしない。
並んで歩くあいだに出たのは、道の工事の話と、駅前の店が変わった話だけになる。
父は、進路のことを訊かなかった。訊かれる用意は、こちらにしてある。
用意したものは、その夜も出さないままになった。
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三年の教室割りは、四月の始業式に出る。
二年のクラスは、三月三十一日でおしまいだ。
最後の日に、担任が黒板へ何か書いた。書いたものを、僕は写していない。
写さなかったのは、そのころ紙を出す回数が減っていたからになる。
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終業式のあと、教室で写真を撮る組がいくつかできた。
こちらは撮られていない。呼ばれてもいない。
呼ばれないでいるのは、そのころにはもう普通のことになっていた。
窓の外で、部活の音がしている。走る音と、笛の音がした。
聞こえていたのに、そちらを見なかった。見ないでいるのは、やめた年からずっと続いている。
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春休みに、母が二年ぶんの教科書を紐でまとめた。
九教科ぶんで十四冊ある。ノートを合わせると三十二冊になる。
まとめたものを、母は捨てなかった。押入れの下の段へ入れてある。
いつやったのかは分からない。ある日、机の横が空いていた。
空いたところに、僕は新しい参考書を積んだ。積んだのは十一冊になる。
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紐の縛り方が、きれいだった。
角が四つともきちんとそろっている。持ち上げても崩れない結び方をしてある。
紐は、押入れの中の缶に入れてある。荷造り用の白いやつだ。
母は物を捨てない。紙袋も、菓子の缶も、ちゃんとたたんで取ってある。
取ってあるものを使う手が、いつのまにか速くなっていた。
速さのことを、この家では誰も言わない。
母はそういうものを、教わらずにやる。
やり方を、こちらは訊いたことがない。
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二年のあいだに下がった順位は、合わせて十七になる。
二七九から二九六までだ。
十七というのは、三百二十人の五パーセントほどにあたる。
五パーセント落ちるのに、二年かかった。
もっと早く落とせると思っていたのかどうかも、いまは分からない。
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母は、二九六という数を知らない。
二八三も、二八九も知らない。九年前は、全部知っていた。
母は一度も、見せなさいと言わなかった。出さないと決めたのは、こちらになる。
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九年前は、五つ下がると、その日のうちに家へ伝わった。
台所で紙を出す。母が四秒見る。それで済んだ。
いまは十七下がって、家の中では何も起きない。
起きないことに、こちらはもう慣れている。
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下がりきると、下がったとも言われなくなる。




