第080話 何時か分からない
中学のころ、僕は家を七時十二分に出ていた。
その数を、いまでも間違えずに書ける。
起きるのも、電車も、塾に着くのも、全部言えた。訊かれれば、その場で出た。
出るのが当たり前だったので、出ない状態を知らない。
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中学の三年間で、時刻を書いた紙が何枚あるかを数えたことがある。
週間予定表が三枚、塾の記録が三十六枚、部活の日誌が七十四枚ある。ほかに通知表が三枚だ。
合わせて百十六枚になる。百十六枚とも、数の欄に空きが一つも無い。
きちんと埋めるのは、こちらの手の癖になっている。埋めないと落ち着かない。
落ち着かない、という言い方を、僕はそのころまだ使えた。
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二年の一月から、それが変わった。
変わった、と書くと、何かが起きたように見える。何も起きていない。
ある日、出てこなかった。次の日も出てこなかった。
三日目に、出てこないことに気づいた。
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時計を見る回数が、その冬に減っている。
中学のときは、一日に六十回を超えた日がある。数えたことがあるので分かる。
授業のあいだにも、休みのあいだにも見る。
見て、残りを計算して、そのぶんで何ができるかを出す。それが手順だった。
一月には、その手順の途中が抜けはじめた。
見るところまではやる。計算のところで、何のためにやっているのかが出てこない。
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同じ五十分が、日によって長さを変えた。
長い日と、短い日がある。前は、五十分は五十分だった。
どちらの日も、終わりの合図は同じところで鳴る。鳴るまでの長さだけが違う。
違うことを、こちらは誰にも言っていない。言い方が思いつかない。
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長い日は、たいてい数学のあとになる。一月で十四日あった。
短い日は、決まりが見つからない。何度か法則を探して、見つからなかった。
法則の見つからないものを、僕はそれまで扱ったことが無い。
扱えないので、そのまま置いた。置いたものが、その冬に三つ目になる。
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だらしないから分からなくなった、とは思わなかった。
だらしないなら、直し方が決まる。時計を見ればいい。見ればすぐ済む。
済むのに、見ない。見ないでいることを、こちらは自分でしっかり選んでいなかった。
選んでいないものを、選んだことにする言い方も持っていない。
持っていないので、何も書かないままになった。
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一月二十日ごろに、千尋が訊いた。
夕飯のあとで、洗い物の音がしていた。母は台所にいる。
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「お兄ちゃん、昨日何時に寝たの」
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答えられなかった。
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考えた。考えても出てこない。
昨日の夜のことは覚えている。何をやったかも、どこまで進んだかも言える。
英語の長文を二つと、数学の問題集を十四ページやった。長文は八百語と九百語で、設問が六つずつある。
やった量は出る。終わった時刻だけが出てこない。
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九年間、こういう質問に答えられなかったことが一度も無い。
起きたのはいつで、出たのはいつか。帰ったのがいつで、寝たのがいつになるか。
四つとも、訊かれたその場で出した。母に訊かれるのは、たいていその四つになる。
訊かれるものだけが正確になる、というのは前に書いた。
その正確なところが、一月に抜けた。
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千尋は、こちらの返事を待たなかった。
待たずに、別の話をはじめた。吹奏楽のパートの話になる。
待たなかったのは、答えが要る質問ではなかったからだと思う。
思うだけで、確かめていない。あれを何のために訊いたのかも分からないままになる。
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母は、台所からこちらを見ていない。
水の音が続いていた。止まったのは、千尋が別の話をはじめてからになる。
止まった長さは、二秒か三秒だ。それからまた動いて、七分ほど続いた。
その二秒を、僕はいまも覚えている。覚えているのに、意味は決めていない。
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何時でしたか、と訊こうとした。
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その夜から、僕は寝る前に時計を見ないようになった。
見ないと決めたわけではない。見る手が動かなくなった。
七月に一問を書かなかったときと、形が似ている。似ているだけで、同じとは限らなかった。
見ないので、書けない。書けないので、次の日も出てこない。
出てこないものが、そこから毎日になった。
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母の記録帳には、その四つのうち三つが入っているはずだ。
起きたのと、出たのと、帰ったのになる。中学のころから、書くのは三行だと聞いている。
僕が言わなくても、母は書ける。玄関の音で分かる。台所から見える位置に、時計がある。
こちらが言えなくなったものを、母のほうは書き続けている。十七冊目で、二年目に入っている。
二つが同じ家の中で同時に起きていることを、そのときは知らない。
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二月になって、朝に目が覚める時刻も出なくなった。二十九日のうち、二十六日がそうだ。
覚めたことは分かる。天井の木目が見える明るさだと分かる。
そこから起きるまでのあいだが、まとまりにならない。
長いのか短いのかも決まらない。決まらないので、書きようが無い。
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起きる時刻のほうは、動かしていない。
目覚まし時計は、四月から同じ数に合わせてある。合わせ直したことは一度も無い。
鳴る前に覚めているので、その冬に鳴ったのは四回しかない。
鳴らないのに、その時計は毎朝同じ数を出している。
出しているものを、こちらは見なくなった。
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二月の予備校の確認テストは、教室で二十四番だった。二十八人のうちの二十四になる。
十一月が二十三番なので、一つ下がっている。
偏差値は四十六・八になる。十一月が四十七・三なので、〇・五落ちた。
二年の四月からの五回で、いちばん高いのが四十九・一、いちばん低いのが四十四・二だ。
紙は机の右の端に置いた。朝には無くなって、夜には戻っている。
置く動きだけは、二年ずっと同じ位置で続いている。
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母は、その紙を四秒見た。
四秒というのが、こちらの中で決まった長さになっている。
その日は、少し長かった気がする。気がするだけで、数えていない。
数えていないものを、気がする、で書くのは、去年までのこちらではない。
こちらではないものが、その冬に増えている。
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二月の終わりに、母が僕の部屋の時計の電池を替えた。
机の上に置いてある小さいやつで、中学のときから使っている。
止まっていたのを、僕は気づいていなかった。
いつから止まっていたのかも分からない。針は、ある数のところで止まっている。
止まっていた数を、僕は見ていなかった。見る前に、直っている。
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替えたことを、母は言わなかった。
電池がどこにあるのかも、僕は知らない。家のどこかにまとめてあるはずだ。
単三が要るのか単四が要るのかも言えない。あの時計は一本で動く。
まとめてある場所を知らないまま、十七年その家にいる。
知らなくても困らなかった。困らないので、探したこともない。
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世間では、こういうことは自分でやるものらしい。
電池くらい、普通は自分で替える。十七歳なら当たり前になる。
当たり前のことを、こちらは一つもやっていない。やる前に、済んでいるからだ。
済ませてもらっているのを、恥ずかしいと思ったことは無い。
思わないでいられるように、家のほうができている。
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母は一度も、時間の使い方について何かを言わなかった。
早く寝なさいも、遅いも、九年間で一度も出ていない。
出ないかわりに、記録帳に数だけが積まれている。
積まれているものを、こちらは一度も見ていない。あることは知っている。
知っていて、開けたことが無い。開ける形を持っていないからになる。
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世間では、時間の管理という言い方をするらしい。
予備校の講師も使う。管理という語は、こちらの中では点数の話に近い。
量が分かるものは管理できる、と中学のときに書いた。
時間は、量が分かるはずのものだ。分かるはずのものが、いま分からなくなっている。
管理できないものについて、大丈夫だとは言えない。言えないのに、言ったことになっている。
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三月の学年末考査は、五日間で九教科あった。去年と同じ数になる。
準備の日数も、部活の休みも、去年のような形で数えられない。
部活はもう無い。休みに入るという区切りが、そもそも来なくなっている。
区切りが無いと、前と後ろが決まらない。決まらないものは、こちらの数え方に乗らなかった。
乗らないので、その五日間について書けることが少ない。
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時刻が出なくなったぶん、ほかの数は増えていた。
二月に解いた問題は千二百四十で、読んだページは四百三十になる。
電車で回した単語は、一日二百四十で、二十八日ぶんだと六千七百二十だ。
四つとも、その場で出る。いまでも出る。
出るものと出ないものの分かれ方を、僕はまた自分で決めていない。
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試験のあいだ、秒針の音は聞こえなかった。
手が止まっていなかったからではない。止まってはいた。
止まっていたのに、聞こえない。聞こえるものが、その冬から一つ減っている。
減ったことに気づいたのは、三月の最後の教科のときになる。
気づいて、そのあと何もしていない。
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千尋の質問に、僕はいまも答えられない。
あの日、何時に寝たのかは、どこを探しても出てこない。
母の記録帳には、たぶん書いてある。
書いてあるものを、僕は読んでいない。
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九年間、時刻だけは正確に出していた。
何時かを訊かれて、答えられない日ができた。




