第064話 十四回まで
中学の三年間で、寝る時刻をうしろへ動かした回数は十四回だった。
十四回というのは、三年で十四回になる。ひと月に一回もない。
十四という数を、僕は三年ぶん持ち歩いた。
持ち歩けたのは、数えられる大きさだったからだ。
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高校に入って、その数が動いた。
六月に九回。七月に十一回。八月は数えていない。
九月に十六回で、そこで中学の三年間を超えた。
十月と十一月は、数えたものが残っていない。数えたはずなのに、紙が出てこない。
十二月は数えなおして、二十四回になった。
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一月八日から三学期が始まった。
始業式の日に、僕は表を書き直している。四枚目になる。
寝る時刻の欄に、十一時三十分と書いた。四月に書いたときと同じ数だ。
書いた数と、実際に寝る時刻が合った日を、一月のあいだで数えた。
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二日だった。
三十一日のうちの二日になる。
残りの二十九日は、全部うしろへ動いている。
うしろへ動いた回数、という数え方が、その時点で働かなくなった。
毎日動いているものを、回数では数えられない。
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数え方を変えた。
何分うしろへ動いたか、で数えることにした。
一月の合計は、九百四十分になる。一日あたり三十分だ。
三十分というのは、大きい数ではない。中学のときの一回ぶんより小さい。
小さいのに、毎日ある。毎日あるものは、合計すると十五時間半になった。
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起きる時刻のほうは、一度も動かしていない。
六時二十分で、四月から変えていない。動かすと、電車が一本あとになる。
寝るのが十二時十分の日と、六時二十分に起きる日が、同じ日の中にある。
あいだが六時間十分になる。六時間台の日が、一月だけで十九日あった。
その十九日を数えたのが、たぶん最後になる。
十五時間半という数を、僕はどこにも書いていない。
書く場所が無い。表には、書いた数のほうしか入らない。
書いた数と実際の数が離れていく表を、こちらは毎日見ている。
見て、書き直さない。書き直すと、離れた幅が消える。
消えると、こちらの持っているものが一つ減る。
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ちゃんと寝る、というのは、たぶんやろうと思えばできることになる。
できるのにやらないでいるのを、こちらは自分でだらしないと呼んでいた。
呼んでから、呼び方が合っていないことにも気づく。やろうとして、できていない。
できていないほうを認めると、次に何をすればいいのかが分からなくなる。
分からなくなるくらいなら、だらしないほうに置いておくほうが、手順が回る。
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一月十八日に、予備校の確認テストがあった。
結果は二十日に返った。教室で二十四番になる。
十一月が二十番だったので、四つ下がっている。
偏差値は四十七・一だ。
その紙を、僕は机の右の端に置いた。次の朝には無くなって、夜には戻っている。
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一月の後半から、朝に目が覚めるようになった。
起きる時刻の前に覚める。二時間か、二時間半くらい前になる。
覚めてから、また眠れる日と、眠れない日がある。
眠れない日は、天井を見ている。天井の木目の数は、前から知っている。
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覚めたときの身体は、疲れている感じがしない。
感じがしないだけで、立つと足の裏が固い。階段を下りるときに、膝が一段ぶん遅れる。
顔を洗うと、目のまわりの皮膚が引っ張られる。押すと、少しへこんだまま戻りが遅い。
その戻りの遅さを、僕はその冬に初めて見た。前は押したことが無い。
押すようになったのが、いつからかは覚えていない。
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一月二十六日の朝に、僕は時計を見なかった。
覚めて、天井を見て、そのまま起きる時刻まで動かなかった。
何時に覚めたのかを、いまも知らない。
時計を見なかったのは、その日が初めてになる。
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初めて、というのは、覚えているかぎりで初めてという意味だ。
小学生のときから、目が覚めたら時計を見ている。
見ないという選択肢が、こちらの中に無かった。無かったものが、その朝だけ出た。
出た理由は分からない。出たあとで、また見るようになった。
二月にも、三月にも、見なかった朝が何回かある。回数は数えていない。
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夜の家には、音がいくつかある。
冷蔵庫のモーターが十二分ごとに動く。動いている時間は四分くらいになる。
二階の廊下の板が、温度で鳴る。鳴るのは、暖房を切って三十分たったころだ。
外の道を通る車は、十二時を過ぎると一時間に二台か三台になる。
その三つを、僕は全部知っている。知っていることを、誰にも言っていない。
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父の帰る時刻は、その冬、遅くなった。
十一時台が多い。十二時を過ぎる日が、一月で九日ある。
玄関の鍵の音で分かる。回してから、扉が開くまでに二秒ある。
二秒のあいだに何をしているのかは、知らない。
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父が帰ると、母が起きる。
起きているのか、起きてくるのかは分からない。台所の音が、そこから十分くらい続く。
話し声は聞こえない。皿と、水と、椅子の音だけになる。
二人が何を話しているのかを、僕はこの家で一度も聞いたことがなかった。
話していないのかもしれない。どちらかは決められない。
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一月のある日から、階段の下の電気が消えなくなった。
夜中に下りると、点いている。前は消えていた。
消し忘れではないと思う。消し忘れる人が、この家にはいない。
いつから点きはじめたのかを、僕は特定できない。気づいたのは一月の終わりだ。
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母は、そのことを一度も言わなかった。
点けたとも、点けておくとも言っていない。
こちらも訊いていなかった。訊くと、消えるかもしれない。
消えるかもしれないと思ったことを、いま書いている。
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夜中に下りるのは、水を飲むためになる。
台所で、コップに一杯飲む。飲んでから、シンクの縁に置いて、少し立っている。
立っている時間は、たぶん一分もなかった。時計を見ていないので、分からない。
立っているあいだ、こちらは何も考えていない。考えていないことを、あとで思い出す。
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起きてるの、と訊かれてみたかった。
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部活は、一月は週に四日になる。
冬季練習で、走る量は多い。距離が増えて、速さのほうは求められなかった。
林さんは、二月の記録会に向けて量を落とさない。三浦も落ちない。
僕は、一月に一日だけ休んだ。熱ではない。
休んだ理由を、僕は林さんに言っていない。言わないまま、次の日に出た。
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休んだ日の午後、僕は家にいた。
家にいて、机の前に座っている。四時間座って、進んだのは十二ページだった。
いつもなら二十ページを超える。半分近く落ちている。
落ちた理由を、こちらは眠っていないからだと考えた。
考えたことと、次の日の行動が、つながっていない。次の日も同じ時刻に寝ている。
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その日の弁当は、家で食べた。
台所で立ったまま食べて、洗って伏せた。母は買い物に出ていて、いない。
いない台所で食べるのは、その年に一度だけになる。
伏せた弁当箱の位置を、母は何も言わずに直した。直したのは夕方だと思う。
位置が二センチくらいずれていた。ずれていたことに、こちらは気づいていなかった。
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だらしないから続かない、という言い方が出る。
出るのは夜になる。朝には出ない。朝は、ただ起きて、動く。
同じことに対して、時刻で言い方が変わる。変わることに気づいたのは、その冬だ。
気づいて、直そうとはしなかった。直し方が思いつかない。
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世間では、こういうときに親が止めるものらしい。
もう寝なさい、と言うのだと思う。テレビではそう言っている。
うちでは、言われたことが一度も無い。九年間、一度もだ。
言われないのは、こちらが自分で決めているからになる。決めているのは、たしかにこちらだ。
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母は一度も、僕の部屋の電気を消しに来なかった。
来ないかわりに、階段の下が点いている。
二つは同じことなのかもしれない。
その区別を、僕はいまも持っていない。
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二月に入って、数えるのをやめた。
やめようと思ってやめたのではない。ある日、数えなかった。
次の日も数えなかった。三日目に、数えていないことに気づいた。
気づいてから、前の三日ぶんを思い出そうとした。出てこなかった。
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出てこないというのが、こちらには初めてになる。
時刻は、いつも出た。日付も出る。枚数も、順位も、秒数も出てくる。
出るのが当たり前だったので、出ないという状態を知らない。
知らないものが、二月の三日ぶんに入っている。
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中学のときの十四回は、いまも言える。
いつ、なぜ動かしたかも、十四回ぶん全部出てくる。
三年ぶんの十四回は残っていて、この冬の三日は出てこない。
残るものと残らないものの分かれ方を、僕は自分で決めていない。
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十四回までは、数えられた。
数えていたものを、そこから数えなくなった。




