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自慢の息子  作者: 智珠
第四部 身の程

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第064話 十四回まで

 中学の三年間で、寝る時刻をうしろへ動かした回数は十四回だった。


 十四回というのは、三年で十四回になる。ひと月に一回もない。


 十四という数を、僕は三年ぶん持ち歩いた。


 持ち歩けたのは、数えられる大きさだったからだ。


            *


 高校に入って、その数が動いた。


 六月に九回。七月に十一回。八月は数えていない。


 九月に十六回で、そこで中学の三年間を超えた。


 十月と十一月は、数えたものが残っていない。数えたはずなのに、紙が出てこない。


 十二月は数えなおして、二十四回になった。


            *


 一月八日から三学期が始まった。


 始業式の日に、僕は表を書き直している。四枚目になる。


 寝る時刻の欄に、十一時三十分と書いた。四月に書いたときと同じ数だ。


 書いた数と、実際に寝る時刻が合った日を、一月のあいだで数えた。


            *


 二日だった。


 三十一日のうちの二日になる。


 残りの二十九日は、全部うしろへ動いている。


 うしろへ動いた回数、という数え方が、その時点で働かなくなった。


 毎日動いているものを、回数では数えられない。


            *


 数え方を変えた。


 何分うしろへ動いたか、で数えることにした。


 一月の合計は、九百四十分になる。一日あたり三十分だ。


 三十分というのは、大きい数ではない。中学のときの一回ぶんより小さい。


 小さいのに、毎日ある。毎日あるものは、合計すると十五時間半になった。


            *


 起きる時刻のほうは、一度も動かしていない。


 六時二十分で、四月から変えていない。動かすと、電車が一本あとになる。


 寝るのが十二時十分の日と、六時二十分に起きる日が、同じ日の中にある。


 あいだが六時間十分になる。六時間台の日が、一月だけで十九日あった。


 その十九日を数えたのが、たぶん最後になる。


 十五時間半という数を、僕はどこにも書いていない。


 書く場所が無い。表には、書いた数のほうしか入らない。


 書いた数と実際の数が離れていく表を、こちらは毎日見ている。


 見て、書き直さない。書き直すと、離れた幅が消える。


 消えると、こちらの持っているものが一つ減る。


            *


 ちゃんと寝る、というのは、たぶんやろうと思えばできることになる。


 できるのにやらないでいるのを、こちらは自分でだらしないと呼んでいた。


 呼んでから、呼び方が合っていないことにも気づく。やろうとして、できていない。


 できていないほうを認めると、次に何をすればいいのかが分からなくなる。


 分からなくなるくらいなら、だらしないほうに置いておくほうが、手順が回る。


            *


 一月十八日に、予備校の確認テストがあった。


 結果は二十日に返った。教室で二十四番になる。


 十一月が二十番だったので、四つ下がっている。


 偏差値は四十七・一だ。


 その紙を、僕は机の右の端に置いた。次の朝には無くなって、夜には戻っている。


            *


 一月の後半から、朝に目が覚めるようになった。


 起きる時刻の前に覚める。二時間か、二時間半くらい前になる。


 覚めてから、また眠れる日と、眠れない日がある。


 眠れない日は、天井を見ている。天井の木目の数は、前から知っている。


            *


 覚めたときの身体は、疲れている感じがしない。


 感じがしないだけで、立つと足の裏が固い。階段を下りるときに、膝が一段ぶん遅れる。


 顔を洗うと、目のまわりの皮膚が引っ張られる。押すと、少しへこんだまま戻りが遅い。


 その戻りの遅さを、僕はその冬に初めて見た。前は押したことが無い。


 押すようになったのが、いつからかは覚えていない。


            *


 一月二十六日の朝に、僕は時計を見なかった。


 覚めて、天井を見て、そのまま起きる時刻まで動かなかった。


 何時に覚めたのかを、いまも知らない。


 時計を見なかったのは、その日が初めてになる。


            *


 初めて、というのは、覚えているかぎりで初めてという意味だ。


 小学生のときから、目が覚めたら時計を見ている。


 見ないという選択肢が、こちらの中に無かった。無かったものが、その朝だけ出た。


 出た理由は分からない。出たあとで、また見るようになった。


 二月にも、三月にも、見なかった朝が何回かある。回数は数えていない。


            *


 夜の家には、音がいくつかある。


 冷蔵庫のモーターが十二分ごとに動く。動いている時間は四分くらいになる。


 二階の廊下の板が、温度で鳴る。鳴るのは、暖房を切って三十分たったころだ。


 外の道を通る車は、十二時を過ぎると一時間に二台か三台になる。


 その三つを、僕は全部知っている。知っていることを、誰にも言っていない。


            *


 父の帰る時刻は、その冬、遅くなった。


 十一時台が多い。十二時を過ぎる日が、一月で九日ある。


 玄関の鍵の音で分かる。回してから、扉が開くまでに二秒ある。


 二秒のあいだに何をしているのかは、知らない。


            *


 父が帰ると、母が起きる。


 起きているのか、起きてくるのかは分からない。台所の音が、そこから十分くらい続く。


 話し声は聞こえない。皿と、水と、椅子の音だけになる。


 二人が何を話しているのかを、僕はこの家で一度も聞いたことがなかった。


 話していないのかもしれない。どちらかは決められない。


            *


 一月のある日から、階段の下の電気が消えなくなった。


 夜中に下りると、点いている。前は消えていた。


 消し忘れではないと思う。消し忘れる人が、この家にはいない。


 いつから点きはじめたのかを、僕は特定できない。気づいたのは一月の終わりだ。


            *


 母は、そのことを一度も言わなかった。


 点けたとも、点けておくとも言っていない。


 こちらも訊いていなかった。訊くと、消えるかもしれない。


 消えるかもしれないと思ったことを、いま書いている。


            *


 夜中に下りるのは、水を飲むためになる。


 台所で、コップに一杯飲む。飲んでから、シンクの縁に置いて、少し立っている。


 立っている時間は、たぶん一分もなかった。時計を見ていないので、分からない。


 立っているあいだ、こちらは何も考えていない。考えていないことを、あとで思い出す。


            *


 起きてるの、と訊かれてみたかった。


            *


 部活は、一月は週に四日になる。


 冬季練習で、走る量は多い。距離が増えて、速さのほうは求められなかった。


 林さんは、二月の記録会に向けて量を落とさない。三浦も落ちない。


 僕は、一月に一日だけ休んだ。熱ではない。


 休んだ理由を、僕は林さんに言っていない。言わないまま、次の日に出た。


            *


 休んだ日の午後、僕は家にいた。


 家にいて、机の前に座っている。四時間座って、進んだのは十二ページだった。


 いつもなら二十ページを超える。半分近く落ちている。


 落ちた理由を、こちらは眠っていないからだと考えた。


 考えたことと、次の日の行動が、つながっていない。次の日も同じ時刻に寝ている。


            *


 その日の弁当は、家で食べた。


 台所で立ったまま食べて、洗って伏せた。母は買い物に出ていて、いない。


 いない台所で食べるのは、その年に一度だけになる。


 伏せた弁当箱の位置を、母は何も言わずに直した。直したのは夕方だと思う。


 位置が二センチくらいずれていた。ずれていたことに、こちらは気づいていなかった。


            *


 だらしないから続かない、という言い方が出る。


 出るのは夜になる。朝には出ない。朝は、ただ起きて、動く。


 同じことに対して、時刻で言い方が変わる。変わることに気づいたのは、その冬だ。


 気づいて、直そうとはしなかった。直し方が思いつかない。


            *


 世間では、こういうときに親が止めるものらしい。


 もう寝なさい、と言うのだと思う。テレビではそう言っている。


 うちでは、言われたことが一度も無い。九年間、一度もだ。


 言われないのは、こちらが自分で決めているからになる。決めているのは、たしかにこちらだ。


            *


 母は一度も、僕の部屋の電気を消しに来なかった。


 来ないかわりに、階段の下が点いている。


 二つは同じことなのかもしれない。


 その区別を、僕はいまも持っていない。


            *


 二月に入って、数えるのをやめた。


 やめようと思ってやめたのではない。ある日、数えなかった。


 次の日も数えなかった。三日目に、数えていないことに気づいた。


 気づいてから、前の三日ぶんを思い出そうとした。出てこなかった。


            *


 出てこないというのが、こちらには初めてになる。


 時刻は、いつも出た。日付も出る。枚数も、順位も、秒数も出てくる。


 出るのが当たり前だったので、出ないという状態を知らない。


 知らないものが、二月の三日ぶんに入っている。


            *


 中学のときの十四回は、いまも言える。


 いつ、なぜ動かしたかも、十四回ぶん全部出てくる。


 三年ぶんの十四回は残っていて、この冬の三日は出てこない。


 残るものと残らないものの分かれ方を、僕は自分で決めていない。


            *


 十四回までは、数えられた。


 数えていたものを、そこから数えなくなった。

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