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自慢の息子  作者: 智珠
第四部 身の程

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第063話 二年目

 一月二日に、母方の家へ行った。


 九時十分に家を出て、着いたのは十時二十五分になる。二年前より五分遅い。


 父が運転して、母が助手席にいる。僕と千尋が後ろだ。千尋は小学六年で、もう座布団を使わない。


 道の混み方は毎年ちがう。着く時刻は、その年ごとに五分か十分ずれる。


 ずれた幅を、僕は三年ぶん覚えている。覚えていて、使い道が無い。


            *


 平屋で、玄関を上がると仏壇の部屋がある。


 冬は線香のにおいだけになる。夏に混ざるものが無いぶん、においが強い。


 座敷に石油ストーブが出してあった。点火のときに、かちかちと三回鳴ってから火がつく。


 三回で決まっている。二回で点いた年は無いし、四回鳴った年も無い。


 上にやかんが乗っていて、口から湯気が斜めに出る。出方は毎年同じになる。


            *


 テレビは箱根駅伝の往路だった。


 音は小さくしてある。画面の左上に、順位と、先頭との差が出る。差は秒で出た。


 祖父は八時のスタートから見ている。ほかに誰も見ていなくても、テレビは点いたままになる。


 その日の五区で、二人が入れ替わった。入れ替わったところを、僕は見ていない。


 順位の数字が動いたあとで、画面に戻した。


            *


 人は八人だった。


 祖父、祖母、伯母、伯父、父、母、僕、千尋になる。


 座る場所は毎年ほとんど同じだ。祖父がテレビの正面で、伯父がその右にいる。


 テレビのいちばん近いところが、その日は空いていた。誰も座らない。


 空いているのに、みんな前の年と同じところにいた。


            *


 二年前は九人だった。


 九人と八人の差を、僕は座布団の枚数で数えている。


 座布団は八枚しか出ていない。押入れには、まだ何枚か入っているはずだ。


 出す枚数を決めるのは祖母になる。祖母は数を間違えない。


            *


 お年玉は三つもらった。


 祖父から一万円、伯父から三千円、伯母から三千円だ。合わせて一万六千円になる。


 二年前は祖父から五千円だった。高校生になると額が変わるらしい。


 千尋は前の年と同じ額をもらっている。小学生のままだからになる。


            *


 二年前、祖父から一万円をもらっていた人がいる。


 高校二年生だった。その額を、今度はこちらが受け取っている。


 受け取るときに、そのことを言う人はいない。


 言わないのが正しいのかどうかを、僕はその場で決められなかった。


            *


 封筒は、その場で開けずにポケットへ入れた。


 開けずに入れるやり方を、僕は二年前に見ている。見て、覚えた。


 覚えたことを、その日まで使う場面が無かった。


            *


 額が上がったことを、僕は口に出していない。


 千尋の前で出すのは、たぶん恥ずかしいことになる。世間ではそうなっていると思う。


 思っているだけで、誰かにそう言われたわけではない。


 言われていないものを避けるのは、こちらの癖だ。癖のほうが、決まりより早く働く。


            *


 伯母は、その日よく喋った。


 伯父の会社の話と、近所の道路の工事の話と、祖母の病院の話になる。


 三つとも、名前が出てくる話だ。誰それさんが、という形で人が出る。


 出てくる名前を、僕は数えていた。二時間で二十二人になる。


 二十二人の中に、いない人が一人いる。


            *


 伯母は、亮太くんの名前を出さなかった。


 出さないのは、その年が二回目になる。


 前の年も出なかった。前の年は僕が中学三年で、受験の話が中心だった。


 中心だったので、そのときは気づいていない。気づいたのは、その年の一月二日だ。


            *


 二年前に、伯母が一度だけ言ったことがある。


 「亮太は、いまちょっとね」


            *


 あのとき、そのあとを誰も訊かなかった。


 僕も訊いていない。訊かないまま、二年たっている。


 二年たつと、訊く場面が無くなる。無くなったものは、無かったのと同じ形に見える。


 同じ形に見えるだけで、同じではない。座布団は一枚少ない。


            *


 いま、どうしてるんですか、と訊こうとした。


            *


 昼に雑煮が出た。


 餅は二つずつ入っている。二年前に三つ食べた人がいて、伯母がおかわりを取りに立った。


 その日は、誰もおかわりをしなかった。鍋に残ったぶんは、夕方に祖父が食べたらしい。


 らしい、というのは、僕はそのとき帰りの車の中にいたからになる。


            *


 餅を焼く音は、台所から聞こえる。


 網の上で膨らんで、割れるときに、ぱん、と鳴る。鳴る回数は焼いた数と合わない。


 膨らまずに終わる餅がある。その日は八つ焼いて、鳴ったのは五回だった。


 数えたのは、こちらだけだと思う。


            *


 普通は、正月に親戚が集まると話すことがあるものらしい。


 テレビで見る正月の家は、みんな喋っている。喋る材料がどこにあるのかが分からない。


 うちの側は、父がほとんど喋らない。母は台所にいる。僕はテレビを見ている。


 千尋だけが、祖母の横に座ってしっかり話し相手をしていた。


 誰に教わったのかを、僕は知らない。教わっていないのだと思う。


            *


 台所には、母と伯母と祖母が立っていた。


 母は洗う係で、伯母は拭く係になる。祖母は座って指示を出す。


 順番が毎年決まっている。決めた人がいるはずだが、誰も言わない。


 母と伯母は、洗いながらほとんど喋らない。喋るのは祖母と伯母だけになる。


            *


 母の手は、水に入れるとすぐ赤くなる。


 伯母の手はならない。同じ水に、同じ時間つけている。


 母は途中で二回、手を拭いた。拭いてから、また入れる。


 拭くのに使うのは、自分で持ってきたタオルだった。家のふきんは使わない。


 持ってくることを、母は誰にも言っていない。鞄から出すのも、台所へ入ってからになる。


 きちんと畳んだまま入れてあって、使ったあとも同じ形に畳んで戻す。


 その手つきを、僕は台所の入口から見ていた。見ていたことは言っていない。


            *


 一時ごろに、伯母が僕のほうを向いた。


 「秀真くんは、どこ受けるの」


            *


 母は答えなかった。


            *


 まだ一年生だから、とだけ言った。


 それから話を千尋のほうへ動かした。千尋の中学の制服の話になる。


 伯母は、そう、と言って、そちらへ移った。移ってから、戻ってこない。


 僕は何も言っていない。言う前に、話が二つ先へ行った。


            *


 訊かれて、母が答えなかったのは、その日が初めてになる。


 前の月の面談では、一秒で答えている。あのときは正しく答えた。


 今度は答えない。答えないほうが正しい場面がある、ということになる。


 どちらの場面かを、母は間違えない。


 間違えないやり方を、僕はまだ持っていない。


            *


 母は一度も、姉の家のことを家で話さない。


 伯母の名前が、うちの食卓に出たことが無い。正月と盆の前に、行く行かないの話が出るだけになる。


 行くと決めるのは母だ。行かないと決めた年も、理由は言わない。


 言われていないので、こちらは訊かない。訊かないのが、この家の当たり前になっている。


            *


 夕方に、伯父が僕に一つだけ訊いた。


 部活をやっているのか、という質問だった。陸上です、と答えた。


 伯父は、そうか、とだけ言って、それ以上訊かない。


 訊かないのに、二年前と同じ言い方だった。二年前は、走ってるのか、と言われている。


            *


 二年前の正月に、僕は八百メートル走った。


 千尋が手袋を落として、神社の階段の下まで取りに戻ったからになる。


 走るところを見ていたのは、一人だけだ。


 その一人が、その年はいない。


            *


 帰りの車で、千尋が寝た。


 家まで一時間十五分かかる。千尋は最初の二十分で寝ている。


 僕は起きていた。窓の外に、二年前と同じ順で店が流れる。


 途中の一軒が無くなっていた。何の店だったかは出てこない。


 建物は残っている。看板だけが外してあった。


            *


 家に着いたのは五時十分だった。


 母は着いてすぐ台所に立った。夕飯は、祖母から持たされたものが半分入る。


 持たされたぶんを、母は一度も断らない。断らないので、正月の三日ぶんは献立が決まる。


 決まっているほうが楽なはずだ。楽そうにしているところは、見たことがない。


 せっかく持たせてもらったのに、と母が言ったことは一度も無い。


 言わないので、こちらも何も言わない。二人とも黙って三日ぶん食べる。


 立派な親戚づきあいだと、外からは見えるのだと思う。


 中にいると、当たり前の手順が並んでいるだけになる。


            *


 その夜、冬期講習の残りをやった。


 講習は十二月二十六日から一月七日までで、休みは二日と三日の二日だけになる。


 十三日のうち十一日が講習で、一日が七時間ある。合計で七十七時間だ。


 九時から十一時までになる。予定より三十分長くなった。


 長くなったぶん、寝る時刻がうしろへ動いた。動かした回数を、その日から数えなおしている。


            *


 名前を出さないというのは、たぶん決めごとではない。


 誰かが決めて、伝えたわけではないと思う。


 出さないでいるうちに、出す場所が無くなる。無くなると、出す人が誰もいなくなった。


 うちの中で三浦や小柳の名前が出ないのと、形としては同じになる。


 同じ形が、二つの家で同時に動いている。


            *


 名前が出なくなってから、二回目の正月になる。

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