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自慢の息子  作者: 智珠
第四部 身の程

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第057話 一九一

 順位が紙に出る試験は、その年に三回あった。


 五月と、七月と、九月の終わりになる。


 点数だけが返る試験はほかにもある。順位が出るのは、その三つだけだ。


 三つ目が二学期の中間で、九月の終わりの三日間になる。


            *


 準備に使えたのは三週間だった。


 机についた時間を、僕は毎日つけている。三週間で六十一時間になった。


 七月のときは八十四時間だった。減ったぶんは、部活と、予備校の秋の講座に入っている。


 どちらも動かせない。動かせないと決めたのは、こちらになる。


            *


 寝る時刻をうしろへ動かした回数が、九月だけで十六回ある。


 中学の三年間で十四回だった。ひと月でそれを超えている。


 超えたことに気づいたのは、十月に入ってからになる。その月のうちは、数えるだけだった。


            *


 九月の練習で、林さんは量を落とさなかった。


 中間の週も、三人とも普通に走っている。休む話が出ていない。


 三浦は試験の前の日も来た。来て、一〇〇〇を五本走った。


 走ってから、明日やばいわ、と言って笑う。やばいと言う人の顔が、こちらには読めない。


            *


 試験は三日で九教科ある。


 始まりは八時四十分で、終わりは日によって違う。三日とも、僕は六時二十分に起きた。


 起きる時刻を動かしていない。動かさなかったことを、当たり前だと思っている。


            *


 その三日間の昼に何を食べたかを、僕は覚えていない。


 弁当は持っていっている。食べていないわけがない。


 中身が出てこないだけだ。九月十九日の夜の弁当なら、四つとも言える。


            *


 教室の音は、試験のあいだだけ変わる。


 シャープペンの芯が紙に当たる音が、三十九人ぶん同時に鳴る。


 前の席の人は、ページをめくるのが速い。裏に回るのが、僕より三分早かった。


 速いから合っているとは限らない。限らないと分かっていても、こちらは音のほうを数えている。


            *


 数学で止まった。


 五月は大問四で止まっている。七月は最後まで通った。今度は大問三で止まった。


 止まった場所が、前へ戻っている。


 残り十二分あって、動かせなかった。


 手は動いていた。式は書いている。書いた式が、途中から自分の字に見えなくなる。


            *


 三日目が終わって、外へ出たのが十二時十分になる。


 空が高くなっていて、九月のあいだの重さが無い。


 校門のところで、三浦が待っていた。待っていたわけではないらしい。


 「終わったな」


            *


 終わったな、と言われて、僕はうん、と返した。


 うん、で済む言い方だった。済ませてから、それがこの前と同じ形だと気づく。


 三浦は、いつも済む形で話しかけてくる。返す側が楽になる訊き方だ。


 楽にしているつもりは、たぶん無い。あの人は、そういう並べ方をしない。


            *


 返却は十月十四日だった。


 答案は教科ごとに返って、順位の紙は担任から一人ずつ渡される。前の二回と同じ形になる。


 名前を呼ばれて、前へ出て、二つに折った紙を受け取る。


 受け取ってから席に戻るまでが六歩ある。そのあいだは開けない。


            *


 隠す人が、また増えていた。


 五月に見たのは一人で、七月は四人だった。十月は数えきれない。


 数えきれないというのは、こちらが数えるのをやめたという意味になる。


 小柳は折らずに鞄へ入れた。開いてもいない。入れてから、隣の人と別の話をしている。


            *


 一九一だった。


 三二〇のうちの一九一で、真ん中より下になる。


            *


 引き算をした。


 一四〇から一九一へ動いている。五十一下がった。


 五月の一六八より下だ。始まりより下になったのは、その回が初めてになる。


 同じ計算を三回やった。同じ数しか出ない。出るに決まっているのに、やらないと次へ進めなかった。


            *


 数学は二三〇番だった。


 五月が二一二で、七月が一一二になる。上がったぶんが、そっくり無くなっている。


 得意だと思っていたものが、いちばん大きく動いた。


 いちばん大きく動くものを得意と呼んでいいのかどうかは、分からない。


            *


 紙の下のほうに、平均との差が印字してある。


 五教科のうち三教科が、平均を下回った。七月は五つとも上だった。


 下回ったのは、数学と、物理基礎と、古典になる。


 物理基礎は九月から始まった教科だ。始まってすぐに、もう下にいる。


            *


 情けない、という言い方が出た。


 出たあとで、それが当たっていないことも分かる。六十一時間は書いてある。


 書いてあるのに、その言い方のほうが先に来る。


 先に来る言い方を、僕はどこかで覚えたはずだ。覚えた場所が出てこない。


            *


 その紙を、僕は家で出した。


 夕飯のあとで、八時前になる。母は両手で持った。持ち方は五月と同じだ。


 見ている時間が、七月より少し長い。四秒か五秒だと思う。


 母は、そう、と言った。それから紙を返してきた。


            *


 「傘、明日いるって」


            *


 順位の話がすぐ終わって、傘の話のほうが長かった。


 夜のうちから降りはじめるらしい。折りたたみでは足りない、という話になる。


 玄関の傘立てに長いのが四本あって、そのうち二本は骨が折れている。


 折れているほうを先に捨てなさい、と母は言った。捨てるのは僕の役目になっている。


 役目は誰かが決めたわけではない。決まっていないものが、うちではきちんと回る。


            *


 母は台所へ行った。


 行く足音が、いつもと同じ速さだった。


 速いときと遅いときがある。速い日は、こちらが何かを忘れている。


 その夜は、いつもと同じだった。同じというのは、こちらが判断していることになる。


 誰かに教わった判断ではない。教わっていないものを、僕は九年かけて覚えた。


            *


 部活のせいですか、と訊こうとした。


            *


 母は一度も、順位が下がったと口に出さなかった。


 下がったという言い方が、家の中で使われていない。


 上がったときも同じだった。上がったとも言われていない。


 言われないので、動いた向きは僕の中だけにある。


            *


 流しで水の音がして、それから換気扇が止まった。


 母は片づけの順番を変えない。拭くところと、しまうところの順が、いつも同じになる。


 しっかり拭いてから次のものを触るので、音が一つずつ離れて聞こえる。


 離れて聞こえるぶん、二階からでも、どこまで進んだかが分かる。


            *


 その夜、下がった理由を書き出した。


 時間が減った。数学で止まった。物理基礎が新しい。


 三つとも合っていると思う。合っているのに、書き出したものを見ても何も決まらない。


 こちらで動かせるのは、時間のぶんだけになる。


 動かすと、部活が消える。消したあとの表を、僕はその夜に書かなかった。


            *


 次の日、雨だった。


 母の言ったとおりになる。長いのを持って、七時五十分の電車に乗った。


 電車の中で、傘の先から水が落ちる。落ちた先が僕の靴になっていて、途中で気づいた。


 気づいてから、位置を変えた。変えるまでに二駅ぶんかかっている。


 濡れた靴下が、指のあいだで動くと冷たい。冷たいのは昼まで残った。


            *


 世間では、こういう日に傘を借りる人がいるらしい。


 借りて、次の日に返す。返すときに何か言うのだと思う。


 借りたことが無いので、返し方も知らない。知らないままで、これまで困っていない。


 困っていないのに、ちゃんとしていない側にいる気がする。気がするだけで、根拠は出てこない。


            *


 学校で、宮内が数学の答案を出しっぱなしにしていた。


 机の上に、点数の側を上にして置いてある。八十二点だった。


 隠す気が無いのではなく、隠すという考えが無いように見える。


 僕は自分のを鞄に入れたままにした。入れたのは、隠したのとは違う。


 違うと言えるかどうかを、そのときは考えていない。


            *


 放課後の練習は、雨で室内になった。


 四階まで階段を上がって下りるのを、二十回やる。


 十四回目から足が重くなった。そこから先は、数えるのが仕事になる。


 三浦は途中で一度止まって、そのあと足した。数は合っている。


 止まったことを、林さんは何とも言わない。数えていたのはこちらだけになる。


            *


 踊り場の窓から雨が見える。


 外の音が、内側の足音に混ざる。混ざると、自分の足音がどれか分からなくなる。


 分からないほうが、後半は楽だった。


 汗が目に入って、しみる。手の甲で拭くと、そこも濡れているので広がるだけになる。


            *


 帰りに、駅の掲示で県の記録会の日程を見た。


 十一月の初めになる。出るかどうかは、まだ決めていない。


 千五百の自己ベストは、その年の七月の四分五十一秒のままだ。


 中学のいちばん速かったときが四分二十六秒になる。差は、夏のあいだ動いていない。


 速かったころの走り方を、僕はもう思い出せない。


            *


 家に帰って、表を見た。


 四月に書いたものが、まだ貼ってある。夏休みのぶんが上に重なっている。


 二枚重なっているのを、母は見ている。何も言われていない。


 書き直すとしたら、いつ書くのかを決めていない。


 決めていないまま、その夜は九時四十分から机についた。


            *


 せっかく上げたぶんが、ひと学期で戻った。


 戻ったと書くと、元の場所へ帰ったように読める。実際には、元より下にいる。


 言い方のほうが、いつもやわらかい側へずれる。ずらしているのは、こちらになる。


            *


 一六八、一四〇、一九一。


 三つ並べると、上がって、下がっている。


 中学の三年間の並びには、形が無かった。同じ数が続くだけで、線にならない。


 高校の三つは線になる。線になったぶん、向きがはっきりする。


            *


 上がったときは、上がったと言える場所が無かった。


 下がるときは、下がったと分かる形で下がる。

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