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自慢の息子  作者: 智珠
第四部 身の程

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第053話 一四〇

 四十七日あると、五月の終わりの夜に数えた。


 実際には四十三日だった。多く数えている。


 間違えに気づいたのは六月の終わりになる。気づいてから、直さなかった。


 直すと、四十七という数が消える。消すのが惜しいという言い方は、たぶん当たっていない。


            *


 その期間で何をしたかは、順に書ける。


 数学の問題集を一冊終えた。


 英語は単語をひと通り回して、覚えられなかったぶんをやり直した。


 残りの三教科は、テキストだけになる。手が回らなかった。


 六月の半ばから部活が入る。そのぶん、机につく時間が一日で四十分減った。


 減ったぶんは、寝る時刻をうしろへ動かして埋めた。


            *


 うしろへ動かした回数が、六月だけで九回ある。


 中学の三年間で十四回だった。ひと月でそこに近づいたことになる。


 数えているうちは、まだ数えられる範囲にいる。


            *


 七月に入って、一日の形が固まった。


 朝に出て、授業が終わって、練習が四時十五分から二時間ある。帰って、風呂に入って、机につく。


 火曜と金曜は途中で抜けて、予備校へ行く。その二日だけ、寝るのが十一時半すぎになる。


 形が固まると、動かすところが無くなる。無くなってから、こちらは何も決めなくてよくなった。


            *


 四十三日のうち、何をしていたか出てこない日が三日ある。


 六月二十四日と、七月三日と、もう一日ある。もう一日の日付が出てこない。


 寝ていたわけではない。表のとおりに動いているはずだ。動いたはずのものが残っていない。


            *


 二回目の実力テストは七月九日と十日だった。


 教科の順番は五月と同じになる。


 範囲は、四月から七月までにやったところになる。中学のぶんが入らない。


 入らないほうが、こちらには有利になる。有利という言い方をしたのは、そのときが初めてだと思う。


            *


 七月に入ってから、母は麦茶を大きい水筒に入れて持たせるようになった。


 練習のある日は入れて、無い日は入れない。入れる日と入れない日を、母は一度も間違えなかった。


 間違えないためには、こちらの予定をきちんと覚えていないといけない。覚えているとは言われていない。


 水筒は毎日空になって帰る。空にして返すのが決まりのようになっていた。


 残して返した日が一度ある。その日から、量が少し減った。


 減らしたことを、母は口に出していない。こちらからも言っていない。


            *


 数学で、止まらなかった。


 五月は大問四で止まっている。七月は最後まで通った。通ったのに、答えの形が二問ぶん気持ち悪い。


 気持ち悪いというのは、合っている感じがしない、という意味になる。感じというものを、僕はふだん使わない。


 その二問は、あとで見たら間違えていた。


            *


 返却は七月十六日だった。


 終業式の二日前になる。担任が名前を呼んで、二つに折った紙を渡す。五月と同じ形だ。


 僕は今度も隠さなかった。隠す人は、五月より増えている。


 増えたのを数えた。五月に見たのは一人で、七月はもっといる。


            *


 一四〇だった。


 三二〇のうちの一四〇で、真ん中より上になる。


 五月が一六八だったので、二十八上がったことになる。


            *


 上がったことを、僕はその場で三回確かめた。


 紙を見て、頭の中で引き算をして、もう一度紙を見た。


 一六八から一四〇へ動いている。動いた向きは上だ。


 数学は一一二番で、五月の二一二番から百上がった。


 五教科とも、平均を上回っている。


            *


 二十八という差が、どれくらいのものかは分からない。


 中学では、一番と二番の差が何点かで測れた。点で測れるものは、こちらで動かせる。


 順位の差は、こちらだけでは動かない。ほかの人が動いたぶんも入る。


 上がったのが自分のせいなのか、上の人が下りたせいなのかを、紙は書いていない。


            *


 その紙を、僕は家で出した。


 夕飯のあとで、八時前になる。母は両手で持った。持ち方は変わらない。


 見ている時間が、五月より短かった。三秒あるかどうかだと思う。


            *


 「次はいつ?」


            *


 九月の終わりです、と答えた。


 二学期の中間が九月の終わりにある。日程はもう出ていた。


 母は、そう、と言った。それだけで、紙を返してきた。


            *


 二十八上がった、と言おうとした。


            *


 母は一度も、次は何番を取りなさいとは言わなかった。


 目標の数字が、家の中に一つも出ていない。


 中学のときは出さなくてよかった。一番の上が無いので、目標を置く場所も無い。


 高校では置ける。置けるのに、置かれていない。


 置かれていないほうが、こちらには楽になるはずだった。ならなかった理由は書けない。


            *


 上がった日の夜、寝つきは悪くならなかった。


 悪くなるものだと思っていた。悪くならないので、何も起きなかったことになる。


 五月の夜は、数字が浮かんで、こちらで並べ替えられなかった。七月の夜には、それが無い。


 無いほうが良いのかどうかを、いまも決めていない。


            *


 せっかく上がったのに、と思った。思ってから、そのあとが続かない。


 せっかく、のあとに来る言葉を、僕は持っていなかった。


 母が使うときは、そのあとが必ず続く。せっかく作ったのに。せっかく行ったのに。


 こちらの、せっかく、は宙に浮いたままになる。


            *


 上がったことを言える場所を、僕はそのあと数えた。


 家では、日付を訊かれて終わった。


 予備校では、学校の順位に意味が無い。あちらにはあちらの順位があった。


 部活では、誰も学校の成績の話をしなかった。三浦もしないし、三年生も出さない。


 宮内には訊かれていない。訊かれないので、言う形そのものが作れなかった。


 小柳とは、そのころまだ口をきいていなかった。同じクラスで、四か月になる。


 小柳が何番かも知らない。同じ教室で紙を受け取って、同じ廊下を歩いている。


 訊けば分かる。訊いていない。訊かない理由は、五月と同じになる。


 同じ理由を二度使うと、それはもう理由ではなくなる。


 五つ数えて、五つとも無い。


            *


 上がったことを人に言うのは、世間では良くないことになっているらしい。


 決まっているわけでもない。決まっていないのに、こちらは言わない側にいる。


 言えないのは恥ずかしいからではない。言う場所が無いだけになる。


            *


 終業式は七月十八日だった。


 通知表をもらった。高校の通知表には、順位が載らない。教科ごとの評定だけになる。


 五段階で、五と四しかない。所見の欄は三行ある。


 三行とも、名前を入れ替えても通る文だった。そう思ったことを、その日は書き留めていない。


 所見の欄を、母も読んだ。読んで、そう、と言った。


 通知表を見ている時間は、順位の紙より短かった。


 夏休みは次の日から始まる。四十日ある。


 表を書き直すかどうかを、その日はまだ決めていなかった。


 朝は六時二十分に起きる。夏休みでも同じ時刻にした。


 練習が九時からなので、家を出るのは八時すぎでよくなる。


 学校が無いぶん、並んでいるものが減る。減るほうが、こちらには分かりやすい。


 分かりやすいものが並んでいると、迷うところが出てこない。


 迷うところが無いのを、そのころは楽だと呼んでいた。


            *


 七月の練習は暑い。


 土のトラックが日に焼けて、靴の底ごしに熱が来る。二周目で口の中が乾く。


 乾いてから水を飲むまでの間隔は、三年生が決めている。決まっているので、こちらは考えなくていい。


 汗が目に入ると、しばらく開けていられない。開けていられないあいだも、脚は動いている。


            *


 三浦は、練習の途中でよく喋る。


 走っているあいだは喋らない。休みのあいだだけ喋る。内容は、だいたい食べ物の話になる。


 こちらは相づちを打つ。打っているうちに休みが終わって、また走る。


 喋った中身は、次の日には残っていない。残っていないのに、休みの時間だけは短く感じた。


            *


 県の記録会は七月二十六日だった。


 一年から三年まで、同じ組で走る。千五百に出たのは四十六人だ。


 僕は三十九位で、記録は四分五十一秒だった。


            *


 三浦は、記録会のあとで、僕のタイムを訊かなかった。


 訊かれると思って、答えを用意していた。用意したものは使わないままになる。


 用意する癖のほうが先にある。訊かれるかどうかは、そこに関係していない。


            *


 中学三年の七月に、四分二十六秒で走っている。


 二年で二十五秒遅くなったことになる。


 二年ぶんの休みが、そこに出た。出るのは分かっていた。分かっているのと、紙に出るのとは別のことになる。


 同じ言い方を、五月にもしている。


            *


 二十五秒遅いのは、だらしないからではない。二年走っていないからだ。


 分かっているのに、だらしない、という言い方が先に出る。


 ちゃんとやっていれば、という形の言い方も出た。何をちゃんとやるのかは決まっていない。


 決まっていない言い方が、そのころから増えた。


 増えたぶんを、僕は数えていない。数えると、誰の言い方かが出てくる。


            *


 顧問は記録を言わなかった。


 言ったのは三年生で、記録をそのまま読み上げただけになる。読み上げてから、次の人へ行った。


 中学の顧問は、記録だけを言う人だった。この人は読み上げるだけの人になる。


 どちらも、速いとも遅いとも言わない。二人ともそうだった。


            *


 その記録を、家では言っていない。


 訊かれてもいない。母は日程だけを確かめて、当日は来なかった。


 来ないことを、僕は前の日に知っている。千尋の中学の説明会と重なっていた。


 千尋は来年から中学生になる。制服の採寸が九月にあるらしい。


 その話を、千尋は夕飯で二回した。母は最後まで聞いている。


 僕の記録会の日付を、母は前の週に確かめている。確かめて、行かないと決めた。


 決めたところは、こちらから見えていない。


            *


 同じ月に、数字が二つ出た。


 一つは二十八上がって、もう一つは二十五遅くなった。


 どちらも、家の中で話に出ていない。片方は紙を出したのに、日付だけを訊かれた。


 もう片方は紙にならないので、初めから存在しないことになる。


            *


 上がったのに、上がったと言える場所が無い。

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