第053話 一四〇
四十七日あると、五月の終わりの夜に数えた。
実際には四十三日だった。多く数えている。
間違えに気づいたのは六月の終わりになる。気づいてから、直さなかった。
直すと、四十七という数が消える。消すのが惜しいという言い方は、たぶん当たっていない。
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その期間で何をしたかは、順に書ける。
数学の問題集を一冊終えた。
英語は単語をひと通り回して、覚えられなかったぶんをやり直した。
残りの三教科は、テキストだけになる。手が回らなかった。
六月の半ばから部活が入る。そのぶん、机につく時間が一日で四十分減った。
減ったぶんは、寝る時刻をうしろへ動かして埋めた。
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うしろへ動かした回数が、六月だけで九回ある。
中学の三年間で十四回だった。ひと月でそこに近づいたことになる。
数えているうちは、まだ数えられる範囲にいる。
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七月に入って、一日の形が固まった。
朝に出て、授業が終わって、練習が四時十五分から二時間ある。帰って、風呂に入って、机につく。
火曜と金曜は途中で抜けて、予備校へ行く。その二日だけ、寝るのが十一時半すぎになる。
形が固まると、動かすところが無くなる。無くなってから、こちらは何も決めなくてよくなった。
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四十三日のうち、何をしていたか出てこない日が三日ある。
六月二十四日と、七月三日と、もう一日ある。もう一日の日付が出てこない。
寝ていたわけではない。表のとおりに動いているはずだ。動いたはずのものが残っていない。
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二回目の実力テストは七月九日と十日だった。
教科の順番は五月と同じになる。
範囲は、四月から七月までにやったところになる。中学のぶんが入らない。
入らないほうが、こちらには有利になる。有利という言い方をしたのは、そのときが初めてだと思う。
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七月に入ってから、母は麦茶を大きい水筒に入れて持たせるようになった。
練習のある日は入れて、無い日は入れない。入れる日と入れない日を、母は一度も間違えなかった。
間違えないためには、こちらの予定をきちんと覚えていないといけない。覚えているとは言われていない。
水筒は毎日空になって帰る。空にして返すのが決まりのようになっていた。
残して返した日が一度ある。その日から、量が少し減った。
減らしたことを、母は口に出していない。こちらからも言っていない。
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数学で、止まらなかった。
五月は大問四で止まっている。七月は最後まで通った。通ったのに、答えの形が二問ぶん気持ち悪い。
気持ち悪いというのは、合っている感じがしない、という意味になる。感じというものを、僕はふだん使わない。
その二問は、あとで見たら間違えていた。
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返却は七月十六日だった。
終業式の二日前になる。担任が名前を呼んで、二つに折った紙を渡す。五月と同じ形だ。
僕は今度も隠さなかった。隠す人は、五月より増えている。
増えたのを数えた。五月に見たのは一人で、七月はもっといる。
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一四〇だった。
三二〇のうちの一四〇で、真ん中より上になる。
五月が一六八だったので、二十八上がったことになる。
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上がったことを、僕はその場で三回確かめた。
紙を見て、頭の中で引き算をして、もう一度紙を見た。
一六八から一四〇へ動いている。動いた向きは上だ。
数学は一一二番で、五月の二一二番から百上がった。
五教科とも、平均を上回っている。
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二十八という差が、どれくらいのものかは分からない。
中学では、一番と二番の差が何点かで測れた。点で測れるものは、こちらで動かせる。
順位の差は、こちらだけでは動かない。ほかの人が動いたぶんも入る。
上がったのが自分のせいなのか、上の人が下りたせいなのかを、紙は書いていない。
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その紙を、僕は家で出した。
夕飯のあとで、八時前になる。母は両手で持った。持ち方は変わらない。
見ている時間が、五月より短かった。三秒あるかどうかだと思う。
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「次はいつ?」
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九月の終わりです、と答えた。
二学期の中間が九月の終わりにある。日程はもう出ていた。
母は、そう、と言った。それだけで、紙を返してきた。
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二十八上がった、と言おうとした。
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母は一度も、次は何番を取りなさいとは言わなかった。
目標の数字が、家の中に一つも出ていない。
中学のときは出さなくてよかった。一番の上が無いので、目標を置く場所も無い。
高校では置ける。置けるのに、置かれていない。
置かれていないほうが、こちらには楽になるはずだった。ならなかった理由は書けない。
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上がった日の夜、寝つきは悪くならなかった。
悪くなるものだと思っていた。悪くならないので、何も起きなかったことになる。
五月の夜は、数字が浮かんで、こちらで並べ替えられなかった。七月の夜には、それが無い。
無いほうが良いのかどうかを、いまも決めていない。
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せっかく上がったのに、と思った。思ってから、そのあとが続かない。
せっかく、のあとに来る言葉を、僕は持っていなかった。
母が使うときは、そのあとが必ず続く。せっかく作ったのに。せっかく行ったのに。
こちらの、せっかく、は宙に浮いたままになる。
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上がったことを言える場所を、僕はそのあと数えた。
家では、日付を訊かれて終わった。
予備校では、学校の順位に意味が無い。あちらにはあちらの順位があった。
部活では、誰も学校の成績の話をしなかった。三浦もしないし、三年生も出さない。
宮内には訊かれていない。訊かれないので、言う形そのものが作れなかった。
小柳とは、そのころまだ口をきいていなかった。同じクラスで、四か月になる。
小柳が何番かも知らない。同じ教室で紙を受け取って、同じ廊下を歩いている。
訊けば分かる。訊いていない。訊かない理由は、五月と同じになる。
同じ理由を二度使うと、それはもう理由ではなくなる。
五つ数えて、五つとも無い。
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上がったことを人に言うのは、世間では良くないことになっているらしい。
決まっているわけでもない。決まっていないのに、こちらは言わない側にいる。
言えないのは恥ずかしいからではない。言う場所が無いだけになる。
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終業式は七月十八日だった。
通知表をもらった。高校の通知表には、順位が載らない。教科ごとの評定だけになる。
五段階で、五と四しかない。所見の欄は三行ある。
三行とも、名前を入れ替えても通る文だった。そう思ったことを、その日は書き留めていない。
所見の欄を、母も読んだ。読んで、そう、と言った。
通知表を見ている時間は、順位の紙より短かった。
夏休みは次の日から始まる。四十日ある。
表を書き直すかどうかを、その日はまだ決めていなかった。
朝は六時二十分に起きる。夏休みでも同じ時刻にした。
練習が九時からなので、家を出るのは八時すぎでよくなる。
学校が無いぶん、並んでいるものが減る。減るほうが、こちらには分かりやすい。
分かりやすいものが並んでいると、迷うところが出てこない。
迷うところが無いのを、そのころは楽だと呼んでいた。
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七月の練習は暑い。
土のトラックが日に焼けて、靴の底ごしに熱が来る。二周目で口の中が乾く。
乾いてから水を飲むまでの間隔は、三年生が決めている。決まっているので、こちらは考えなくていい。
汗が目に入ると、しばらく開けていられない。開けていられないあいだも、脚は動いている。
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三浦は、練習の途中でよく喋る。
走っているあいだは喋らない。休みのあいだだけ喋る。内容は、だいたい食べ物の話になる。
こちらは相づちを打つ。打っているうちに休みが終わって、また走る。
喋った中身は、次の日には残っていない。残っていないのに、休みの時間だけは短く感じた。
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県の記録会は七月二十六日だった。
一年から三年まで、同じ組で走る。千五百に出たのは四十六人だ。
僕は三十九位で、記録は四分五十一秒だった。
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三浦は、記録会のあとで、僕のタイムを訊かなかった。
訊かれると思って、答えを用意していた。用意したものは使わないままになる。
用意する癖のほうが先にある。訊かれるかどうかは、そこに関係していない。
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中学三年の七月に、四分二十六秒で走っている。
二年で二十五秒遅くなったことになる。
二年ぶんの休みが、そこに出た。出るのは分かっていた。分かっているのと、紙に出るのとは別のことになる。
同じ言い方を、五月にもしている。
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二十五秒遅いのは、だらしないからではない。二年走っていないからだ。
分かっているのに、だらしない、という言い方が先に出る。
ちゃんとやっていれば、という形の言い方も出た。何をちゃんとやるのかは決まっていない。
決まっていない言い方が、そのころから増えた。
増えたぶんを、僕は数えていない。数えると、誰の言い方かが出てくる。
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顧問は記録を言わなかった。
言ったのは三年生で、記録をそのまま読み上げただけになる。読み上げてから、次の人へ行った。
中学の顧問は、記録だけを言う人だった。この人は読み上げるだけの人になる。
どちらも、速いとも遅いとも言わない。二人ともそうだった。
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その記録を、家では言っていない。
訊かれてもいない。母は日程だけを確かめて、当日は来なかった。
来ないことを、僕は前の日に知っている。千尋の中学の説明会と重なっていた。
千尋は来年から中学生になる。制服の採寸が九月にあるらしい。
その話を、千尋は夕飯で二回した。母は最後まで聞いている。
僕の記録会の日付を、母は前の週に確かめている。確かめて、行かないと決めた。
決めたところは、こちらから見えていない。
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同じ月に、数字が二つ出た。
一つは二十八上がって、もう一つは二十五遅くなった。
どちらも、家の中で話に出ていない。片方は紙を出したのに、日付だけを訊かれた。
もう片方は紙にならないので、初めから存在しないことになる。
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上がったのに、上がったと言える場所が無い。




