第050話 まあまあだったよ
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東雲高等学校 第一回実力テスト 個人成績票
一年三組 三七番 高梨 秀真
科目 得点 平均点 差 偏差値 科目順位
国語
六二 五八・一 +三・九 五二・一 一四三
数学
五五 六〇・四 -五・四 四六・八 二一二
英語
七一 六三・二 +七・八 五五・〇 九八
理科
五八 五九・七 -一・七 四八・九 一七七
社会
六四 六一・〇 +三・〇 五一・八 一五一
合計
三一〇 三〇二・四 +七・六 五〇・九
学年順位 一六八 / 三二〇
※ 次回は七月九日、十日に実施します。
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実力テストは五月十四日と十五日だった。
五教科で、二日に分けてやる。範囲は中学の全部と、四月にやったところまでになる。
一日目が国語、数学、英語。二日目が理科と社会になる。
一教科五十分で、あいだに十分ずつ休みが入る。
一日目の朝、教室に入ったのは八時二十分だ。机の上に何も出さない決まりで、鞄は廊下のロッカーへ入れる。
鉛筆は五本持っていった。中学の受験のときと同じ本数になる。削ったのは自分だ。
消しゴムは一つで足りた。カバーは切っていない。切ると角が出ることは知っている。
*
その日の弁当に、卵焼きが入っていた。
三日に一度の日に当たっている。前の日はからあげだった。
テストの日に合わせたのかどうかは分からない。訊いていない。
全部食べた。残さずに食べたのは、その週で三日目になる。
*
数学の大問四で止まった。
止まったのは初めてではない。中学でもある。
中学では、止まっても最後は出た。その日は出なかった。
残り時間を見た。十二分ある。十二分で出なかった。
出ないまま次へ行くという動きを、僕は持っていない。持っていないので、そこに座っていた。
*
手ごたえという言い方を、僕は使わない。使わないので、終わったあとに何も残らなかった。
*
個人成績票が返ってきたのは五月二十七日だ。火曜日になる。
六時間目のあとで、担任が一人ずつ名前を呼んで渡す。四十人で十分かからない。
紙はちゃんと二つに折ってある。折ったまま渡される。折り目が付いているので、開くときに音がしない。
担任は渡すときに何も言わない。名前を呼んで、目を見ないで渡す。
渡し終わってから、次は七月です、とだけ言った。
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受け取った人から順に開く。
開かない人もいる。鞄へそのまま入れて、帰りの支度をはじめる。
二人で見せ合っている人たちがいた。三組いる。
見せ合うという動きを、僕はそのとき初めて見た。二中では、紙は廊下に貼ってあるものだった。
順位の欄を隠して持つ人がいた。親指をそこに置いて、上の欄だけ見せる。
隠し方を、その人はもう知っている。四月からの一か月で覚えたのか、前から持っていたのかは分からない。
僕は隠さなかった。隠すという動きが、そのときはまだ入っていない。
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中学の三年間で、順位の紙を何枚もらったかを数えたことがある。
定期テストと実力テストを合わせて、三年で二十四枚になる。
二十四枚とも、いちばん上に自分の名前があった。
二十五枚目が、その日の紙になる。
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紙に名前が印字してあった。
三月の紙には入っていなかったものだ。
番号だけの紙で受かって、名前の入った紙で並べられることになる。
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表の作りが、公文の記録表と似ている。
縦に項目が並んで、いちばん大事な数字が右の端に来る。真ん中の欄は、そこへ行くまでの途中になる。
十年たっても、紙の作りが変わっていない。
作っているのは別の会社だと思う。同じ形になるのは、そう作るのがいちばん分かりやすいからだろう。
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いちばん下の右に、学年順位があった。
一六八。斜線をはさんで、三二〇。
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真ん中は一六〇番目になる。
僕はそこから八つ下だ。
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最初にやったのは、引き算だった。
上に一六七人いる。二中では、上に零人だった。零なのが当たり前だった。
差は一六七になる。その数を出してから、出した意味が無いことに気づいた。
二つの学校の順位は、そもそも比べる形になっていない。分かっているのに、指のほうが先に計算していた。
*
教科ごとに見た。
英語が九八番でいちばん上になる。数学が二一二番でいちばん下だ。
数学は平均より五・四点低い。平均を下回ったのは、数学と理科の二つになる。
平均を下回った紙を、僕は持ったことがない。
九年間で一度も無い。無いものが、その日に二つ来た。
*
紙を持っている手が、少し湿っていた。
握ったところの紙が、あとで見ると波を打っている。乾いてからも戻らなかった。
教室は暑くない。窓が開いていて、五月の風が入っている。
湿っているのに、指の先だけは冷たかった。二つが同じ手に起きるのを、そのとき知った。
*
廊下へ出て、階段のところで一度立ち止まった。
もう一度開いて、同じところを見た。数字は変わっていない。
変わっていないのを確かめてから、また折った。折り目のとおりに折れた。
階段を下りるあいだ、手すりに触らずに下りている。いつも触る側の手が、紙を持っていた。
*
小柳が何番だったかを、僕は知らない。
同じ教室にいた。二列離れたところで、同じ紙を受け取っている。
訊けば言ったと思う。中学のときの三点差の話を、彼女は覚えていないと言った人だ。
訊かなかった。訊かない理由を、その場では作れていない。理由が無いまま、訊かないで済ませた。
*
予備校は五月九日に始まっていた。火曜と金曜で、その日は行く日ではない。
初日に席を決めている。前のほうの、右から二つ目だ。二回目もそこに座った。
三回目に、先に座っている人がいた。僕は一つ後ろに座って、次からもそこにした。
決めた席を、一度で手放したことになる。
まっすぐ帰るところを、駅で三十分過ごした。
電車を二本見送っている。乗れば四時二十分に着く。見送ると五時前になる。
三十分のあいだ、何をしていたかは出てこない。ホームのベンチに座っていたことは覚えている。
線路の向こうに家が並んでいる。屋根の色を数えた。
青と、茶色と、灰色がある。灰色のところで数えきれなくなって、そこでやめた。
やめてから、二本目の電車が来た。
*
母から連絡が来たのは、四時十分だった。
どうだった、という一行だけだ。
テストの日から数えて十二日たっている。返ってくる日を、母は知っていたことになる。
どこで知ったのかは分からない。学校からの便りに載っていたのかもしれない。
*
返すまでに、四分かかった。
打ったのは五文字だ。四分のあいだに、ほかのものを打って消している。
消したのが何だったかは覚えていない。打ったことだけ覚えている。
*
「まあまあだったよ」
*
送ってから、送信済みのところを二回見た。
母からは、そう、とだけ返ってきた。それから、何時になる、と来た。
五時前になる、と返した。母は、気をつけて、と返した。
いつもと同じやりとりだ。字数まで同じくらいになる。
*
まあまあ、というのは嘘ではない。
三百二十人の真ん中より少し下で、数字の上ではそのとおりになる。
合っているのに、僕はそれを嘘だと思った。
思った理由が、そのときは分からなかった。
*
家に着いたのは四時五十五分だった。
紙は鞄の中にある。出さないという選択を、僕はしていない。
夕飯は、その日、いつもより一品多かった。
返却の日だと知っていたからだと思う。訊いていない。
多いほうが、こちらには重い。重いとは言えない。言う形が無い。
紙を出したのは夕飯のあとで、七時五十分ごろになる。中学のときと同じ形だ。
返ってきた日に、こちらから出す。三年間そうしてきた。
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母は両手で持った。
持って、しばらく見た。見ている時間が、いつもより長い。
中学のときは、紙を見て顔を上げるまでが四秒くらいだった。その日は数えていない。
数えなかったのは、数えるところではないと思ったからになる。
*
「まだ始まったばかりだから」
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始まったばかりじゃない、と言おうとした。
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それから母は、数学のところを指した。
「ここ、平均より下ね」
正しい。数学は五・四点下だ。紙にそう書いてある。
*
母は一度も、なんでこうなったのとは訊かなかった。
できるはずでしょう、とも言っていない。東雲に入れたんだから、という言い方もしない。
言われたら、こちらは何か言い返せたと思う。言い返す材料は、その日ならまだあった。
言われなかったので、材料はそのまま残った。残ったものを、僕は自分のほうへ向けた。
向けたつもりは無い。ほかに向ける先が無かった。
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紙は引き出しに入った。
母が入れたのではない。僕が自分の部屋へ持って上がって、自分で入れた。
中学までは母が入れていた。いつから自分でやるようになったのかは、思い出せない。
引き出しには、順位の紙と、写真の余りと、千円札と、しつけ糸と、剥がした表がきちんと入っている。
その上に一六八の紙が乗った。
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その夜、台所でペンの音がしなかった。
しない夜があることに、僕はその日に気づいた。
前の週に音がしたかどうかは覚えていない。気づいてから遡って数えることはできない。
音がした夜だけを、僕はこれまで書いてきた。しなかった夜を数えていなかった。
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千尋は九時前に寝た。修学旅行のしおりを持って上がっていった。
父はその夜も遅い。帰ってきたのは十一時すぎになる。
紙のことは、父の耳に入っていない。母が言ったかどうかも分からない。
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寝る前に、もう一度引き出しを開けた。
開けて、紙を見た。見ても数字は動かない。
閉めてから、次の実力テストの日を思い出した。七月九日と十日だ。紙の下に書いてある。
その日までに何日あるかを数えた。四十七日ある。
四十七という数を出したあと、何をするかは決めていない。数だけが先に出る。
数が出ると、そこまでの形が決まったような気になる。決まっていない。
*
寝つくまでに時間がかかった。
目をつぶってから、数字が出てくる。その日に出た数が、順に浮かんでくる。
順番はばらばらで、こちらで並べ替えられなかった。
浮かんでくる数のうち、いちばん多く出たのは真ん中の数になる。一六〇だ。
僕の数ではない。僕の数は、そこから八つ下にある。
寝たのが何時かは分からない。その夜は時計を見ていない。
*
その紙を、僕は母以外の誰にも見せていない。
見せる相手が母だけなので、見せた時点で全部が終わる。
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まあまあ、という言葉を、僕はそれまで使ったことがない。
使う場面が無かった。上か、上でないかしかない場所に、真ん中という言い方は要らない。
要らなかったものが、その日、口から出た。
出たあとで、僕はそれを嘘と呼んだ。
呼んだだけで、どこが嘘なのかは、いまも言えない。




