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自慢の息子  作者: 智珠
第三部 合格

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54/103

第050話 まあまあだったよ

```

東雲高等学校 第一回実力テスト 個人成績票


一年三組 三七番 高梨 秀真



科目   得点  平均点   差   偏差値  科目順位


国語   

六二  五八・一  +三・九  五二・一  一四三

数学   

五五  六〇・四  -五・四  四六・八  二一二

英語   

七一  六三・二  +七・八  五五・〇   九八

理科   

五八  五九・七  -一・七  四八・九  一七七

社会   

六四  六一・〇  +三・〇  五一・八  一五一


合計  

三一〇  三〇二・四 +七・六  五〇・九



学年順位  一六八 / 三二〇



※ 次回は七月九日、十日に実施します。

```


 実力テストは五月十四日と十五日だった。


 五教科で、二日に分けてやる。範囲は中学の全部と、四月にやったところまでになる。


 一日目が国語、数学、英語。二日目が理科と社会になる。


 一教科五十分で、あいだに十分ずつ休みが入る。


 一日目の朝、教室に入ったのは八時二十分だ。机の上に何も出さない決まりで、鞄は廊下のロッカーへ入れる。


 鉛筆は五本持っていった。中学の受験のときと同じ本数になる。削ったのは自分だ。


 消しゴムは一つで足りた。カバーは切っていない。切ると角が出ることは知っている。


            *


 その日の弁当に、卵焼きが入っていた。


 三日に一度の日に当たっている。前の日はからあげだった。


 テストの日に合わせたのかどうかは分からない。訊いていない。


 全部食べた。残さずに食べたのは、その週で三日目になる。


            *


 数学の大問四で止まった。


 止まったのは初めてではない。中学でもある。


 中学では、止まっても最後は出た。その日は出なかった。


 残り時間を見た。十二分ある。十二分で出なかった。


 出ないまま次へ行くという動きを、僕は持っていない。持っていないので、そこに座っていた。


            *


 手ごたえという言い方を、僕は使わない。使わないので、終わったあとに何も残らなかった。


            *


 個人成績票が返ってきたのは五月二十七日だ。火曜日になる。


 六時間目のあとで、担任が一人ずつ名前を呼んで渡す。四十人で十分かからない。


 紙はちゃんと二つに折ってある。折ったまま渡される。折り目が付いているので、開くときに音がしない。


 担任は渡すときに何も言わない。名前を呼んで、目を見ないで渡す。


 渡し終わってから、次は七月です、とだけ言った。


            *


 受け取った人から順に開く。


 開かない人もいる。鞄へそのまま入れて、帰りの支度をはじめる。


 二人で見せ合っている人たちがいた。三組いる。


 見せ合うという動きを、僕はそのとき初めて見た。二中では、紙は廊下に貼ってあるものだった。


 順位の欄を隠して持つ人がいた。親指をそこに置いて、上の欄だけ見せる。


 隠し方を、その人はもう知っている。四月からの一か月で覚えたのか、前から持っていたのかは分からない。


 僕は隠さなかった。隠すという動きが、そのときはまだ入っていない。


            *


 中学の三年間で、順位の紙を何枚もらったかを数えたことがある。


 定期テストと実力テストを合わせて、三年で二十四枚になる。


 二十四枚とも、いちばん上に自分の名前があった。


 二十五枚目が、その日の紙になる。


            *


 紙に名前が印字してあった。


 三月の紙には入っていなかったものだ。


 番号だけの紙で受かって、名前の入った紙で並べられることになる。


            *


 表の作りが、公文の記録表と似ている。


 縦に項目が並んで、いちばん大事な数字が右の端に来る。真ん中の欄は、そこへ行くまでの途中になる。


 十年たっても、紙の作りが変わっていない。


 作っているのは別の会社だと思う。同じ形になるのは、そう作るのがいちばん分かりやすいからだろう。


            *


 いちばん下の右に、学年順位があった。


 一六八。斜線をはさんで、三二〇。


            *


 真ん中は一六〇番目になる。


 僕はそこから八つ下だ。


            *


 最初にやったのは、引き算だった。


 上に一六七人いる。二中では、上に零人だった。零なのが当たり前だった。


 差は一六七になる。その数を出してから、出した意味が無いことに気づいた。


 二つの学校の順位は、そもそも比べる形になっていない。分かっているのに、指のほうが先に計算していた。


            *


 教科ごとに見た。


 英語が九八番でいちばん上になる。数学が二一二番でいちばん下だ。


 数学は平均より五・四点低い。平均を下回ったのは、数学と理科の二つになる。


 平均を下回った紙を、僕は持ったことがない。


 九年間で一度も無い。無いものが、その日に二つ来た。


            *


 紙を持っている手が、少し湿っていた。


 握ったところの紙が、あとで見ると波を打っている。乾いてからも戻らなかった。


 教室は暑くない。窓が開いていて、五月の風が入っている。


 湿っているのに、指の先だけは冷たかった。二つが同じ手に起きるのを、そのとき知った。


            *


 廊下へ出て、階段のところで一度立ち止まった。


 もう一度開いて、同じところを見た。数字は変わっていない。


 変わっていないのを確かめてから、また折った。折り目のとおりに折れた。


 階段を下りるあいだ、手すりに触らずに下りている。いつも触る側の手が、紙を持っていた。


            *


 小柳が何番だったかを、僕は知らない。


 同じ教室にいた。二列離れたところで、同じ紙を受け取っている。


 訊けば言ったと思う。中学のときの三点差の話を、彼女は覚えていないと言った人だ。


 訊かなかった。訊かない理由を、その場では作れていない。理由が無いまま、訊かないで済ませた。


            *


 予備校は五月九日に始まっていた。火曜と金曜で、その日は行く日ではない。


 初日に席を決めている。前のほうの、右から二つ目だ。二回目もそこに座った。


 三回目に、先に座っている人がいた。僕は一つ後ろに座って、次からもそこにした。


 決めた席を、一度で手放したことになる。


 まっすぐ帰るところを、駅で三十分過ごした。


 電車を二本見送っている。乗れば四時二十分に着く。見送ると五時前になる。


 三十分のあいだ、何をしていたかは出てこない。ホームのベンチに座っていたことは覚えている。


 線路の向こうに家が並んでいる。屋根の色を数えた。


 青と、茶色と、灰色がある。灰色のところで数えきれなくなって、そこでやめた。


 やめてから、二本目の電車が来た。


            *


 母から連絡が来たのは、四時十分だった。


 どうだった、という一行だけだ。


 テストの日から数えて十二日たっている。返ってくる日を、母は知っていたことになる。


 どこで知ったのかは分からない。学校からの便りに載っていたのかもしれない。


            *


 返すまでに、四分かかった。


 打ったのは五文字だ。四分のあいだに、ほかのものを打って消している。


 消したのが何だったかは覚えていない。打ったことだけ覚えている。


            *


 「まあまあだったよ」


            *


 送ってから、送信済みのところを二回見た。


 母からは、そう、とだけ返ってきた。それから、何時になる、と来た。


 五時前になる、と返した。母は、気をつけて、と返した。


 いつもと同じやりとりだ。字数まで同じくらいになる。


            *


 まあまあ、というのは嘘ではない。


 三百二十人の真ん中より少し下で、数字の上ではそのとおりになる。


 合っているのに、僕はそれを嘘だと思った。


 思った理由が、そのときは分からなかった。


            *


 家に着いたのは四時五十五分だった。


 紙は鞄の中にある。出さないという選択を、僕はしていない。


 夕飯は、その日、いつもより一品多かった。


 返却の日だと知っていたからだと思う。訊いていない。


 多いほうが、こちらには重い。重いとは言えない。言う形が無い。


 紙を出したのは夕飯のあとで、七時五十分ごろになる。中学のときと同じ形だ。


 返ってきた日に、こちらから出す。三年間そうしてきた。


            *


 母は両手で持った。


 持って、しばらく見た。見ている時間が、いつもより長い。


 中学のときは、紙を見て顔を上げるまでが四秒くらいだった。その日は数えていない。


 数えなかったのは、数えるところではないと思ったからになる。


            *


 「まだ始まったばかりだから」


            *


 始まったばかりじゃない、と言おうとした。


            *


 それから母は、数学のところを指した。


 「ここ、平均より下ね」


 正しい。数学は五・四点下だ。紙にそう書いてある。


            *


 母は一度も、なんでこうなったのとは訊かなかった。


 できるはずでしょう、とも言っていない。東雲に入れたんだから、という言い方もしない。


 言われたら、こちらは何か言い返せたと思う。言い返す材料は、その日ならまだあった。


 言われなかったので、材料はそのまま残った。残ったものを、僕は自分のほうへ向けた。


 向けたつもりは無い。ほかに向ける先が無かった。


            *


 紙は引き出しに入った。


 母が入れたのではない。僕が自分の部屋へ持って上がって、自分で入れた。


 中学までは母が入れていた。いつから自分でやるようになったのかは、思い出せない。


 引き出しには、順位の紙と、写真の余りと、千円札と、しつけ糸と、剥がした表がきちんと入っている。


 その上に一六八の紙が乗った。


            *


 その夜、台所でペンの音がしなかった。


 しない夜があることに、僕はその日に気づいた。


 前の週に音がしたかどうかは覚えていない。気づいてから遡って数えることはできない。


 音がした夜だけを、僕はこれまで書いてきた。しなかった夜を数えていなかった。


            *


 千尋は九時前に寝た。修学旅行のしおりを持って上がっていった。


 父はその夜も遅い。帰ってきたのは十一時すぎになる。


 紙のことは、父の耳に入っていない。母が言ったかどうかも分からない。


            *


 寝る前に、もう一度引き出しを開けた。


 開けて、紙を見た。見ても数字は動かない。


 閉めてから、次の実力テストの日を思い出した。七月九日と十日だ。紙の下に書いてある。


 その日までに何日あるかを数えた。四十七日ある。


 四十七という数を出したあと、何をするかは決めていない。数だけが先に出る。


 数が出ると、そこまでの形が決まったような気になる。決まっていない。


            *


 寝つくまでに時間がかかった。


 目をつぶってから、数字が出てくる。その日に出た数が、順に浮かんでくる。


 順番はばらばらで、こちらで並べ替えられなかった。


 浮かんでくる数のうち、いちばん多く出たのは真ん中の数になる。一六〇だ。


 僕の数ではない。僕の数は、そこから八つ下にある。


 寝たのが何時かは分からない。その夜は時計を見ていない。


            *


 その紙を、僕は母以外の誰にも見せていない。


 見せる相手が母だけなので、見せた時点で全部が終わる。


            *


 まあまあ、という言葉を、僕はそれまで使ったことがない。


 使う場面が無かった。上か、上でないかしかない場所に、真ん中という言い方は要らない。


 要らなかったものが、その日、口から出た。


 出たあとで、僕はそれを嘘と呼んだ。


 呼んだだけで、どこが嘘なのかは、いまも言えない。

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