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自慢の息子  作者: 智珠
第三部 合格

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第048話 自分で書いた

 入学式は四月八日だった。十時開式になる。


 八時十五分に家を出た。四月からの時刻だ。二中のときより四十分早い。


 電車で二駅、そこから歩いて十二分ある。乗り換えは無い。


 同じ制服の人が、駅からずっと同じ方向へ歩く。列にはならないが、間隔が一定になる。


            *


 クラス発表は昇降口の横に貼ってあった。


 一学年で八クラス、一クラス四十人になる。三百二十人だ。


 僕は一年三組だった。名前は五十音順で、上から三十七番目にある。


 受験番号は、その日でもう使わない。


            *


 同じ紙に、小柳亜季の名前があった。


 同じ組の、前のほうの番号になる。


 中学では、隣の家の子と三年間で一度も同じクラスにならなかった。


 小柳とは、初日から同じになる。


 同じになる確率を、僕はその場で計算しなかった。計算するには数が足りていない。


            *


 母は来ていた。父は来ていない。


 入学式に父が来たのは、小学校のときだけになる。中学も、高校も来ていない。


 来ない理由を、僕は聞いていない。訊けば答えたと思う。


            *


 体育館は二中のより広い。天井も高い。


 椅子はパイプ椅子ではなく、背もたれのあるものが並べてあった。


 床が新しい。上履きが引っかかる感じがする。二中の床は、こすれるところが滑るようになっていた。


 ストーブは入っていない。四月なので要らない。


            *


 校長の話は十一分だった。


 二中の校長は四分だった。三倍近くになる。


 内容は覚えていない。時間だけ測った。


 測ったのは、途中から測るものが無くなったからだと思う。


            *


 校歌をそこで初めて聞いた。


 在校生が歌う。歌詞の紙は配られたが、新入生は歌わないことになっている。


 三番まである。二中のは短かった。


 どんな曲だったかを、僕はいま思い出せない。歌えるようになったのは五月に入ってからになる。


            *


 教室に入ったのは十一時二十分だ。


 担任は数学の先生で、四十代の男の人だった。名前は黒板に書いた。


 自己紹介は一人三十秒までと言われた。全員で二十分になる。


 僕は、名前と、二中から来たことと、よろしくお願いします、と言った。十五秒かかっていない。


 小柳は、名前と、中学で何をやっていたかを言った。吹奏楽部だったらしい。


 三年間同じ学年にいて、その日まで知らなかった。


 席は名前の順に決まった。僕は窓ぎわの列の、後ろから四番目になる。


 小柳は反対の列の前のほうにいる。話す用が無いので、話していない。


 一週間たっても話していない。同じ部屋にいて口をきかない形が、そのまま続く。


 続いているのに、同じ部屋にいる時間だけが中学より長くなった。


            *


 帰りは十二時半だった。


 校門で母が待っていた。写真は撮らなかった。中学の卒業式では撮っている。


 どちらで撮るかの決め方が、僕には分からないままになっている。


 電車で帰った。母は車で来ていたが、一緒には乗らない。


 僕が電車で帰る、と言った。母は、そう、と言った。それだけになる。


            *


 授業が始まったのは四月九日からだ。


 一日目から六時間ある。二中は入学のあと三日ほど短縮だった。


 教科書は二十三冊で、置いて帰ってよいものと、持ち帰るものが分かれている。


 初日に持ち帰ったのは七冊で、鞄が入学式の日の倍の重さになった。


            *


 授業の進み方が違う。


 二中では、一つの単元に何時間かけるかが決まっていた。高校は、その日のうちに終わるところまで進む。


 速いのに、こちらは追えている。追えていることを、初めのうちは何とも思っていない。


 予習をしてくる人が何人もいた。していない人もいる。どちらがどれだけいるのかは、まだ分からない。


            *


 その週、母は毎朝、玄関まで出てきた。


 二中のときは出てこない日もある。四月のあいだは毎日出てきた。


 行ってらっしゃい、と言う。それだけだ。


 言うときに、上着の肩のところを一度だけ手で払う。ついていないものを払っている。


            *


 千尋は六年生になった。クラスは二組で、担任が去年と同じ人らしい。


 その話を、千尋は夕飯で三分くらいした。母は最後まで聞いていた。


 僕の入学式の話は、その日、出ていない。


            *


 塾は三月で終わっている。


 高校のぶんをどこにするかは、まだ決まっていない。母が資料を集めているのは知っている。


 座卓の上に、二社ぶんの封筒が置いてあった。開けてある。


 中を見ていない。見ようと思えば見られた。


            *


 壁の表は、そのままだった。


 中学一年の十月に母が書いたものだ。三年半、同じ一枚が貼ってある。


 その表には、二中の時程が書いてある。もう合っていない。


 合っていない紙が、四月に入っても貼ってあった。


            *


 一週間待った。


 日曜の夜に母が座卓で書き直す。小学校からの当たり前だった。


 四月十三日の日曜、母は座卓でペンを持たなかった。


 台所にいて、そのあとテレビを見ていた。座卓には千尋のプリントが出ていた。


            *


 表、書かないの、と訊こうとした。


            *


 四月十六日の水曜に、僕は文具店へ行った。


 学校の帰りに寄った。四時五十分になる。


 文具店は駅前の商店街にある。母と一緒に入ったことは一度も無い。


 小学校のとき、書道の紙をそこで買っている。買ったのは母で、僕は外で待っていた。


 母が使っていたのと同じ紙を探した。四つ切りの画用紙ではなく、少し薄いやつになる。


 棚の三段目にある。二枚買う。会計は自分の財布から出した。


 同じ紙が売っていることを、僕はそれまで知らなかった。母がどこで買っていたのかも知らない。


            *


 その夜、八時十五分から書いた。


 いつも机につく時刻だ。中学のときの表に、そう書いてある。


 書き終わったのは九時前になる。四十分かかっていない。


 横に七つ、縦に時間で区切る。母の表と同じ形にした。


 書く前に、定規を出した。


            *


 定規は使わなかった。


 使わないで引いた線が、まっすぐになる。


 母は定規を使わない。小学校の表も、中学の表も、定規で引いていない。線はまっすぐだ。


 僕が定規を使わずに線を引いたのは、その日が初めてになる。


 初めてなのに、まっすぐ引けた。


            *


 中身は、外側の枠だけ書いた。


 起きるところから寝るところまでを、順番に並べる。学校と、帰りと、夕飯と、机につくところになる。


 中で何をやるかは書かない。母の表もそうだった。ちゃんと決まっているのは外側だけになる。


 塾の欄は空けた。決まっていないので入れようがない。


 空けたところに、鉛筆で薄く自習と書いた。書いてから、消した。


 消した跡が残っている。近くで見れば分かる。


 書いているあいだ、間違えなかった。紙は余った。


 余ったほうは、使わないまま引き出しに入れた。いまも持っているかどうかは分からない。


            *


 古いほうを剥がした。


 画鋲を四つ抜く。抜くときに、紙のほうが先に外れて、画鋲だけ壁に残ったところが一つあった。


 剥がしたあと、壁のその部分だけ色が違う。四角く残っている。日に焼けていないぶん、まわりより白い。


 三年半ぶんだ。


 その四角の中に、穴が四つある。穴のまわりだけ、壁紙の繊維が持ち上がっていた。


 何度か抜き差ししたところだと思う。抜き差しした覚えが、僕には無い。


 母がやったのかもしれない。訊いていない。


            *


 新しい表を、同じ穴に留めた。


 四つの穴の位置を、紙のほうを動かしてきちんと合わせる。合わせると、白い四角が全部隠れる。


 隠れたところを見て、寸法が同じだと分かった。


 母が使っていた紙と、僕が買った紙は、同じ大きさになる。


 貼ってから、しばらく立って見ていた。


 見ても、書いてあることが増えるわけではない。書いたのは自分なので、中身は全部知っている。


 知っているのに、見ていた。


 その表は、高校のあいだずっと貼ってあった。書き直したのは一度だけになる。


            *


 古い表は、丸めて捨てなかった。


 畳んで、机の引き出しに入れた。順位の紙と、写真の余りと、千円札と、しつけ糸のところだ。


 畳むときに、折り目を四回つけた。


            *


 母がそれに気づいたのは、次の日の朝だ。


 部屋に入ってきたわけではない。ドアが開いていて、廊下から見えたらしい。


 「あら、自分で書いたのね」


            *


 それだけだった。中身は見ていない。


 同じことを、前にも言われている。中学のときに、空いた枠へ二文字を書き足したときだ。


 あのときも、中身は訊かれなかった。


            *


 母は一度も、もう自分でやりなさいとは言わなかった。


 書かなくなった理由も言っていない。忙しいからとも、高校生だからとも聞いていない。


 書かないでいて、こちらが書くのを待っていたのかどうか。そこは見えないままになる。


 待たれていたのか、忘れられていたのかで、意味がずいぶん違う。違うのに、確かめる方法が無い。


            *


 定規は机の端に出したままになった。


 使わなくても引けた。


 どこで覚えたのかを、僕は知らない。

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