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自慢の息子  作者: 智珠
第三部 合格

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第047話 袖を折らない

 東雲の制服は、二中のとほとんど同じ形だった。


 黒の詰襟で、ホックが一つ。違うのは襟の内側に入る校章と、ボタンの模様だけになる。


 同じものを、もう一度買うことになる。


 同じものをもう一度買うのが当たり前だと、そのころは思っていた。


            *


 採寸は三月十八日だった。九時からで、場所は東雲の体育館になる。


 通知書には体育館としか書いていない。時刻は母が鉛筆で書き足していた。


 八時二十分に家を出た。歩いて行ける距離ではないので、母が車を出す。


            *


 体育館に長机が六つ並んでいた。


 制服の店、体操着の店、鞄と靴の店、教科書、それと事務の受付だ。順番に回る形になる。


 順番は来た順で、番号ではない。九時に着いて、うちは十一番目になった。


 床にビニールシートが敷いてある。上履きのままで上がるので、シートを踏む音が体育館じゅうでしている。


 うちの番が来たのは九時五十分になる。


 待つあいだ、母は入学のしおりを読んでいた。読み終わるまで、途中で顔を上げなかった。


 僕は床のシートの継ぎ目を数えていた。体育館の横方向に七本ある。


            *


 制服の店の人は、女の人だった。


 メジャーを首にかけている。年は母と同じくらいに見えた。顔は覚えていない。


 覚えているのは、メジャーを引き出すときの音と、数字を読み上げる声の高さだ。


 着丈、肩幅、裄丈、胸囲、胴回り。五つを順番に測って、そのつど声に出す。


 書き取るのは横にいる別の人だった。書き取ってから、確認のためにもう一度読む。


 同じ数字を二回聞くことになる。


            *


 身長は百七十一だった。


 中学に入ったときが百五十二になる。三年で十九伸びたことになる。


 伸びた年ごとの数字も、僕は言える。いちばん伸びなかったのが中三の年だ。


 その年に、走るのをやめている。関係があるのかどうかは分からない。


 体重も測った。言われたはずだが、その数字が出てこない。


 身長は出てくるのに、体重だけが抜けている。抜けているのに気づいたのは、いま書いていてになる。


            *


 母が店の人に訊いた。


 「まだ伸びますか」


            *


 店の人は、もうそんなには、と答えた。


 高校の三年間で伸びるのは、多くて三センチくらいだと言う。伸びない子のほうが多いらしい。


 だから、高校の制服は身丈で買う。大きめに買って折る、というやり方をしない。


 中学のときは折った。三年で伸びるから、と母が言っていた。実際に伸びた。


            *


 母は、そうですか、と言った。


 それから、じゃあ、いまの寸法で、と言った。声の高さは変わっていない。


            *


 体操着の店では、名前を入れるかどうかを訊かれた。


 刺繍で入る。ひとつ四百円で、五枚だと二千円になる。


 母は頼んだ。頼むのに、少しも迷わなかった。


 中学のとき、名前は母が縫った。ゼッケンも母が縫っている。四隅で玉止めを二回する縫い方だ。


 六年ぶん縫って、そこでやめたことになる。


 やめた理由を、僕は訊いていない。訊く場面が無かった。


            *


 教科書の机では、注文票を出すだけだった。品物は四月二日に取りに来る。


 冊数は二十三冊になる。辞書は別だ。英和と和英と古語の三つを買う。


 どれにするかは母が決めた。塾でもらった一覧に載っているものと同じにした。


 鞄と靴の机では、指定のものと自由なものが選べた。母は指定のほうにする。


 理由は言っていない。指定のほうが、たぶん考えなくて済む。


            *


 合計は六万八千四百円だった。


 内訳を、母はその場でちゃんと紙に書いてもらった。制服が三万九千で、体操着が一万四千、鞄と靴で一万五千になる。


 入学一時金の八万四千円は、これとは別に納める。


 母は一度も、高いとは言わなかった。


 二中のときも言っていない。塾の月謝のときも、講習の追加のときも出ていない。


 言わないので、いくらが高いのかを、僕は知らないまま来た。


            *


 体育館の反対側で、同じ学年の子が何人か固まって話していた。


 同じ中学から来た子どうしだ。制服が同じなので、どこから来たかがまだ分かる。


 四月になると、みんな同じ制服になる。そうなると分からなくなる。


 小柳はいなかった。別の日に来たのだと思う。採寸は三日に分かれている。


 知っている顔は一つもなかった。二中から来る二十五人のうちの誰にも当たらない。


 当たらない確率を、僕はその場で出そうとした。三日に分かれて、来る時間もばらばらになる。


 出そうとして、途中でやめた。出しても使い道が無い。


 やめたのは、たぶんその日が初めてになる。


            *


 帰りの車で、母は内訳の紙を見ていた。信号で止まったときだけ見る。


 見て、たたんで、鞄に入れた。財布ではないほうだ。


 「四月から、朝が四十分早くなるからね」


 母はそう言った。数字のほうが先に出る。


 入学のしおりに、一日の時程が載っている。


 朝のホームルームが八時三十五分で、六時間目が終わるのは三時十五分だ。


 二中より、朝が早い。終わるのは遅い。


 家からは電車で二駅と、そこから歩くぶんがある。


 合わせて、朝は四十分早く出ることになる。母が言ったのは、その数字だ。


 しおりを読んで出した数ではない。読む前に、母はもう言っていた。


            *


 制服が届いたのは四月三日だった。


 夕方に取りに行った。畳んで、袋に入って、上から透明なカバーがかかっている。


 家で出すと、糊のにおいがした。新しい布のにおいだと思う。二中のときも同じにおいがした。


 においだけは、三年たっても同じだった。


 畳み方はきちんとそろっていて、袖のところに厚紙が入っている。厚紙は捨てた。捨てたのは僕だ。


            *


 その夜、母が裁縫箱を出してきた。


 八時すぎだ。三年前と同じ時刻になる。


 裁縫箱は木の箱で、二段になっている。上の段に糸切りばさみと針山があって、下に布と糸が入る。


 母がそれを出すのは、年に何度もない。前に出したのは、二年生の夏に袖を伸ばしたときになる。


 しつけ糸を取る。肩と、上着の後ろの裾と、ズボンの裾だ。糸切りばさみで途中を一度切って、両側から引き抜く。


 引き抜くときに、布に細かい穴が並んで見える。しばらくすると分からなくなる。


 糸が布から抜けるときの音は、短くて低い。一本につき一度だけ鳴る。


 十一回鳴って、それで終わった。


            *


 三年前は、袖のしつけだけが残った。


 折ってあったからだ。折ってあるところは、伸ばすときに取ればいいことになる。


 その一本を取ったのは、二年生の夏になる。母が取った。


            *


 今度は、袖にしつけが無い。


 折っていないので、初めから留めるところが無い。


 母は袖のところで一度手を止めた。止めてから、ほかのところへ動いた。


            *


 取り終わってから、母は上着を持ち上げて、両方の袖を見た。


 左を持って、それから右を持つ。持ち替えるときに、いったん膝の上に置いた。


 袖の口を、指で一度なでた。折る形をつくるときの手つきに近い。折らないので、そこで止まる。


            *


 まだ伸びるかも、と言おうとした。


            *


 抜いた糸は、まとめて新聞紙の上にあった。


 数えると十一本ある。三年前は十四本だった。袖のぶんと、折り返しのぶんが無い。


 母はそれを新聞紙ごと丸めて、そのまま捨てた。


 捨てるところを、母は見ていない。丸めながら、もう次のことを考えている顔をしていた。


 僕は三本だけ取った。取ったことは言っていない。


 机の引き出しに入れた。順位の紙の下だ。写真の余りと、祖母の千円札と、同じところになる。


 入れてから、なぜ取ったのかを考えた。考えても出てこない。


            *


 二中の制服は、その週のうちに袋へ入った。


 捨てるのか、取っておくのかを訊いていない。玄関の物入れに入ったのは見ている。


 三年着たものが、袋一つになる。袋の口は結んでいなかった。


            *


 制服が届いてから入学式まで、五日ある。


 その五日のあいだ、上着は部屋の壁に掛けてあった。ハンガーで、カーテンレールの端にかける。


 朝と夜に、そこにあるのを見ることになる。見るだけで、触っていない。


 千尋が部屋の前を通るときに、上着のほうを見ていった。


 着てみていい、とは訊かない。訊かれたら貸したと思う。


            *


 着てみろ、とは言われなかった。


 自分で着た。母が一歩下がって見る。それから、少し右へ動いて、もう一度見た。


 冷蔵庫の前で貼り紙を見るときと、同じ動きになる。


 姿見は玄関にある。そこでも見た。


 肩のところが、まだ体に合っていない。合っていないというより、余っている。


 余っているのは伸びるからではない。標準の型がそういう形だと、店の人が言っていた。


 言われたことは正確に覚えている。覚えていても、鏡の中では余って見える。


            *


 「折らなくていいのね」


            *


 母はそう言った。言ってから、しばらく袖を持っていた。

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