第044話 番号
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合 格 通 知 書
受験番号
三四一
上記の者は、本校入学者選抜において合格しました。
平成二十六年三月十四日
県立東雲高等学校長
【入学手続きについて】
入学確約書の提出
三月十七日(月)まで
入学一時金の納入
三月二十日(木)まで
制服・体操着の採寸
三月十八日(火) 体育館
教科書販売
四月二日(水)
入学式
四月八日(火) 十時開式
※ 本通知書は入学式当日まで保管してください。
(余白に鉛筆で)
採寸 九時
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合格発表は三月十四日の午前十時だった。
前の日が雨で、その日は上がっていた。地面はまだ乾いていない。
母と二人で行った。父は仕事だ。休みを取る話は出ていない。
九時四十分に着いた。学校の駐車場に停めて、そこから正面玄関まで歩く。
*
駐車場から掲示板までは百二十歩ある。数えた。
母は僕より前を歩いた。歩く速さがいつもより少し速い。台所からこちらへ来るときの、速い日の速さになる。
速い日が何を意味するのかを、僕は言葉にできない。速いか速くないかだけが分かる。
*
掲示板はベニヤの板が二枚立ててあるものだった。
立派なものではない。角に当て木がしてあって、風で倒れないようにロープで柱に留めてある。
前に五十人くらいいた。ほとんどが親と一緒だ。一人で来ている人も何人かいる。
誰も喋っていない。人がいるのに、車の音のほうが大きい。
*
九時五十八分に、事務の人が紙を持って出てきた。
貼るときに、両端をテープで留める。それから手のひらで板を三回たたいた。空気を抜くためだと思う。
たたく音が、思ったより低い。板が薄いので高く鳴ると思っていた。
貼り終わって、その人は何も言わずに戻った。
*
人が前に出た。
押される。後ろの人の鞄が背中に当たる。冬のコートの匂いがいくつも混ざっていた。
誰かが小さく息を吸う音がした。吸ったまま、しばらく出さない人がいる。
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番号は縦に並んでいた。小さい順だ。
紙は三枚ある。一枚に八十行入っていて、三枚で二百四十行になる。
募集が二百四十人で、受けたのは三百十八人だった。倍率は一・三三になる。
前の年が一・三八で、その前が一・四〇だ。塾でもらった資料に載っていた数字と、両方とも合っている。
番号は三〇一から始まっている。六一八までで三百十八人になる。
僕の番号は三四一だ。
紙を見る前に、だいたいどのあたりかは分かっていた。前の四十人のうち何人か落ちるとして、上から三十五行目から三十八行目のあいだになる。
三十七行目にあった。
*
三十七行目にある、ということは、僕より前の四十人のうち三人が載っていないことになる。
三四一より小さい番号で、抜けているものを数えた。三一八、三二五、三三七の三つだ。
番号は中学ごとに固まって振られている。二中の並びは三一三から三四一までの二十九人になる。
二十九人というのは、進路だよりに出ていた数と同じだ。
三つとも、三一三から先にあった。つまり全部うちの中学になる。
誰かまでは分からない。分からないが、範囲は分かる。
*
板の全体を見ると、抜けの多いところと少ないところがある。
僕の並びのあたりは少ない。三枚目に入ってからのほうが多くて、続けて五つ抜けている場所もあった。
番号が中学ごとなので、そこがどこの中学かも分かることになる。
分かったところで、こちらに何かができるわけではない。
*
数えたことを、その日は何とも思っていない。
受かった紙を見て、最初にやったのが、そこに無いものを数えることだった。
自分の番号を見つけたのは、そのあとになる。順番が逆だったことに気づいたのは、家に帰ってからだ。
*
貼られてから五分ほどで、前の列が薄くなった。
見て、確かめて、離れる。離れるときに、たいていの人が一度だけ振り返る。
振り返って、もう一度同じところを見る。見えているものは変わらない。
声を出した人は、その日いなかった。板の前で声を出さない決まりが、どこにも書いていないのに、ちゃんと守られている。
*
板の端のほうで、女の人が子どもの背中に手を置いていた。
二人とも掲示を見ていない。板とは反対のほうを向いて立っている。
その二人の前を通って、僕は事務室のほうへ歩いた。
*
その前に、脈を数えた。
左の手首を右手で押さえる。十五秒数えて四倍する。走ったあとにやるやり方だ。
一分で六十八だった。
朝、起きたときと同じ数になる。
走ったあとでもないのに脈を数えたのは、その日が初めてだ。
何を確かめようとしたのかは、いま書こうとすると出てこない。
*
母は僕の斜め後ろにいた。
いつ泣きはじめたのかを、僕は見ていない。
振り返ったときには、もう濡れていた。声は出ていない。ハンカチも出していない。
拭かないまま、まだ掲示のほうを見ていた。見ている時間が、僕より長い。
母の手は、鞄の持ち手のところで組んであった。
冬のあいだ、人差し指の付け根が割れている。絆創膏は巻いていない。洗い物で取れるからだ。
その手を、僕はそのとき見ている。見ていたのに、いつ顔のほうへ動いたのかは分からない。
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「よくできました」
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母の靴の先が濡れていた。前の日の雨が、まだ地面に残っている。
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泣いてるの、と訊こうとした。
*
掲示の紙を携帯で撮っている人がいた。何人もいる。
母は撮っていない。鞄から出しもしなかった。
撮らなかった理由を、僕は訊いていない。
*
何かが出てくるのを、僕は待っていた。
待ったということは、探したということになる。探すという動作をしたことに気づいたのは、ずっとあとだ。
胸のあたりでも、喉のところでもいい。何か動くはずだと思っていた。
息は変わらない。手のひらは乾いている。三月の風は冷たかったが、耳も痛くならない。
何も出てこなかった。
*
小柳がいた。
一人で来ていた。掲示の前に、たぶん二十秒もいない。見て、離れて、そのまま門のほうへ歩いていった。
僕はそのとき、まだ抜けている番号を数えていた。
自分のところだけ見て帰る人と、上から順に見る人がいる。
どちらが正しいのかは、その日は考えていない。
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事務室の前に列ができていた。二十人くらい並んでいる。
窓口は二つあった。一人あたり四十秒ほどで進む。順番が来るまでに七分かかった。
並んでいるあいだ、母は前を向いていた。何も言わない。
*
事務室で通知書をもらった。
番号を言うと、名簿と照らして、封筒に入ったものを渡される。
封筒は茶色で、宛名は書いていない。中の紙に印字してあるのは番号だけだ。
名前がどこにも無い。試験の日と同じになる。
合格したのは番号のほうで、僕はその番号を持っている人になる。
*
母は封筒を、鞄の中の、財布ではないほうへ入れた。
入れ方を、僕は前にも見ている。一月に郵便局で、控えの紙をしまったときと同じ手つきだった。
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帰る途中で、雨のあとの水たまりを何度かよけた。
よけながら、母は僕の半歩前を歩いている。行きと同じ位置だ。
速さだけが、帰りは落ちていた。
*
帰りの車で、母は運転しながら手続きの日をきちんと確かめた。
確約書が十七日で、お金が二十日で、採寸が十八日になる。順番に言って、それから、覚えた、と言った。
入学一時金の額も言った。八万四千円だ。紙を見ないで言えた。
覚えたのは母になる。僕は何も覚えなくていい。
家に着いたのは十一時二十分だった。行きより四分短い。信号の当たり方だと思う。
*
母は昼前に、姉に電話をかけた。十一時四十分ごろになる。
僕は廊下にいた。部屋へ行く途中で足が止まって、そのまま二分くらい立っていた。
母の声が、ふだんより高い。話し方も速い。
言っていたのは、日付と、学校の名前と、これから要るものの話だ。中身は事務のことだけになる。
最後に、おかげさまで、と言った。
*
母が僕のことを人に話しているのを聴いたのは、小学校の廊下以来になる。
あのときは、うちは何もさせてない、という話だった。
その日は、そういう言い方はしていない。何もさせていないとは言わなかった。
言い方が変わったのがいつなのかを、僕は知らない。
*
千尋は学校だった。帰ってきたのは三時前になる。
玄関で靴を脱ぎながら、受かった、と訊いた。
受かった、と答えた。千尋は、やった、と言って、そのまま台所へ行った。
台所で母と何か話していた。声は聞こえるが、内容までは届かない。
しばらくして、千尋が二階へ上がってきた。僕の部屋の前で足が止まって、それから自分の部屋へ入った。
入る前に何か言おうとしたのかどうかは、こちらからは分からない。ドアの音がしただけになる。
千尋が僕の部屋に入らなくなったのは、四年生の終わりごろからだ。理由は訊いていない。
*
父は九時前に帰ってきた。
鞄を置いて、上着をかけて、それから僕のほうを見た。
「そうか」
それだけだった。
母が台所から、通知書を見せる、と言った。父は、あとでいい、と答えた。
あとで見たのかどうかを、僕は知らない。
*
母は一度も、落ちたらどうするという話をしなかった。
三年間、一度もだ。私立を先に受けたときも、県立の出願のときも出ていない。
落ちた場合の手続きの紙が、家のどこかにあったのかどうかも知らない。見たことは無い。
無かったのか、僕の目に入らないところに置いてあったのかは、いまも分からない。
出さないでおくことが、こちらを楽にするためだったのかどうかは分からない。
訊けば答えたと思う。訊く場面を作らなかった。
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その夜、台所でペンの音がした。
長い。前の週のより、ずいぶん長かった。
何行ぶんかは分からない。十行より多いと思う。
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通知書は、その日のうちに余白へ書き足しがしてあった。
鉛筆で、採寸、九時、と入っている。母の字だ。
採寸は十八日で、通知書には体育館としか書いていない。何時からとは書いていない。
どこかで訊いたのだと思う。訊いた場面を、僕は見ていない。
受かった紙の余白に、次の予定が入っている。
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封筒は、その日の夜には棚の上へ移っていた。
父の賞状の額の、すぐ横になる。並べたのは母だ。
並べることが当たり前だと思っていた。並べない家があることを、そのころは考えていない。
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布団に入ってから、もう一度脈を数えた。
一分で六十二だった。寝る前はだいたい六十前後になる。その日も同じだ。
朝も、昼も、夜も、いつもの数のままだった。
*
布団の中で、もう一度探した。
三月十四日の午前十時に、僕は受かった。三年間やってきたものが、そこで形になった。
形になったものを見て、脈は変わらない。
変わらなかったことのほうを、僕はその夜ずっと考えていた。
何も出てこなかった。出てこないことに、初めて驚いた。




