第040話 大丈夫です
二学期の内申が本番になる。
三年の二学期に出たものが、そのまま願書に乗る。一学期のも三年分の合計も関係しない。二学期の一枚だけだ。
十一月に実力テストが二回あった。十一月七日と、二十一日だ。どちらも一位になる。
二百三十八人のうちの一番で、二番との差は九点と四点だった。二番はどちらも小柳亜季になる。
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給食は四時間目のあとで、十二時三十五分から始まる。
班は六つあって、机を四つ合わせる。当番は白衣と帽子とマスクをつけて、廊下のワゴンを教室へ入れる。
食缶は重い。持つところが両側に一つずつある。しゃもじが缶の内側に当たると、低い音がする。缶が空に近づくにつれて、その音が高くなる。
いただきますが十二時四十五分で、片づけが一時五分になる。二十分ある。
放送が入る日と、入らない日がある。入る日は、給食委員が献立の説明をしてから曲を流す。
献立表は月のはじめに配られる。冷蔵庫に貼る家もあるらしい。うちは貼らない。
牛乳は瓶ではなくパックだ。飲み終わったら開いてたたむ。たたみ方は決まっていて、当番がまとめて縛る。
そのたたみ方を、僕は三年間で一度も間違えていない。
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残ったものは、食缶に戻す。
戻すときに当番が見る。見るというより、目に入る。
誰が何を残したかは、班の中では分かる。班の外からは分からない。教室の前のほうまでは届かない話だ。
僕の班は窓ぎわの後ろで、教卓からいちばん遠い。
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先生は、給食の時間に教室にいる日といない日がある。
いる日は、教卓のところで自分のぶんを食べる。食べるのが速い。十分かからない。
食べ終わってから、教室の中を見ている。
見ていることに、僕はそのころ気づいていない。
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そのころ、米が口の中で増えた。
噛んでいるあいだに減らない。減らないので、飲み込むところまで持っていけない。牛乳で流すと通る。
味は分かる。分からないのではなく、分かっても続かない。最初の何回かで消える。
消えたあとは、温度と硬さだけが残る。温度と硬さは、味ではない。
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朝も、起きてから水を飲むまでに時間がかかるようになった。口の中が乾いている。乾いているのに、唾が出ない。
出ないまま歯を磨くと、途中で一度えずく。えずくだけで、何も出ない。
そのことを、僕は誰にも言っていない。言うほどのことだと思っていなかった。
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残したことを、僕はそのとき何とも思っていない。
思っていないので、数えていない。
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十一月十九日の放課後に、職員室へ書類を出しに行った。
私立の願書に添える紙で、期限がその日になっている。四時十分に出した。
出して、廊下へ出たところで呼ばれた。
「高梨」
三年間で、名字だけを呼ばれたのはそのときが初めてになる。授業では高梨くんと呼ぶ人だ。呼び捨てにするのは、廊下と、体育のときだけになる。
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階段の踊り場だった。
二人とも立ったままだ。先生は手すりに寄りかからない。まっすぐ立つ人になる。
窓は北を向いていて、その日は曇っていた。踊り場は声がよく響く。下の階の話し声も上がってくる。
部活の始まる前で、廊下を人が通っていた。通るたびに、先生は少し待った。
先生は、僕の顔を見ていない。手すりの向こうの、下の階のほうを見ていた。
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「三日続けて残してるだろ」
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何を、とは訊かなかった。分かったからだ。
分かったのに、その三日がいつなのかは思い出せない。
僕は数える人間だ。枚数も、順位も、秒も、回数も数える。寝る時刻を動かした回数まで持っている。
残した量だけを、一度も数えていなかった。
数えていないものは、こちらには無い。無いものは、あとから確かめようがない。
先生のほうが持っていた。三日という数を、先生は数えていたことになる。
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「高梨、大丈夫か」
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「大丈夫です」
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答えるまでの時間は無かった。
考えて出した言葉ではない。考えるところを通っていない。
訊かれる前から、その形で用意してあったのだと思う。用意した覚えは無い。
覚えの無いものが、口のほうから先に出る。出てしまうと、こちらはそれを聞く側に回る。
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見ないで訊くやり方があることを、そこで知った。
見られていたら違う答えが出たのかどうかは、いまも分からない。
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三日って、いつのですか、と訊こうとした。
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先生は、そうか、と言った。
それから胸のポケットから赤いボールペンを出して、また戻した。何も書いていない。
行っていい、とは言わない。先に階段を下りていった。
下りる音が七段ぶん聞こえて、そこで踊り場を曲がる。曲がってからの音は届かない。
僕は少しのあいだ、そこに立っていた。何分いたのかは分からない。
踊り場の窓は、下半分に曇りガラスが入っている。上半分から空が見える。その日は色が無かった。
その日は、時計を見ていない。
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塾は六時からだった。遅れていない。
その日の授業の中身は覚えている。数学の相似で、証明を四問やった。三問目でつまずいて、二分かかった。
覚えているのに、そこまでどうやって行ったのかが出てこない。電車に乗ったはずだ。
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家に着いたのは九時四十分になる。
夕飯はそのあとで、母が待っている。
茶碗の高さが違った。いつもより低いところで盛ってある。二割くらい少ない。
母は何も言わない。
千尋が、おにいちゃんの茶碗ちっちゃくない、と言った。
「いいの」
母はそう言って、味噌汁の椀を千尋の前へ動かした。話はそこで終わった。
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その夜、台所でペンの音がした。長かった。前の週より長い。
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その週から、汁物が二つ出るようになった。
味噌汁と、もう一つ。すまし汁の日と、けんちんの日と、卵のとじたやつの日がある。
理由は言われていない。訊いてもいない。
母は一度も、食べなさいとは言わなかった。
残しても何も言わない。残したことに触れないまま、量のほうを先に動かした。
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十一月の最後の週に、給食当番が回ってきた。
白衣は共用で、内側に名前を書く布が縫いつけてある。前に使った子の名前が読める。糸がほどけているところがあって、端が浮いていた。
残菜のバケツは、片づけのときに廊下へ出す。三年二組のぶんは、いつも二組の前の壁ぎわに置く。
その日、僕は自分の残したぶんを、自分でバケツへ入れた。
入れるときに量が見える。皿の上にあるときとは、見え方が違う。
バケツの中では、誰のものかが分からなくなる。分からなくなると、数えようがない。
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小柳とは、そのころ二度すれ違った。どちらも一分で終わっている。
給食の話は出ていない。同じ学年にいて、同じ時間に同じものを食べていて、出ない。
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十一月十九日から、僕は残した量を数えるようになった。
目分量で割合を出す。三割、二割、五分の一。ノートには書かない。頭の中だけで持つ。
数えると、そこが管理できるものになる。管理できているものについては、大丈夫だと言える。
言えるようにしてから言うのと、言ってから合わせにいくのとでは、順番が逆になる。
逆になっていることに、そのころは気づいていない。
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十二月の三者面談は、十二月四日だった。
その週も授業が短い。面談は三時からで、うちは四時二十分の枠になる。
二回目だ。場所は同じ相談室で、蛍光灯は直っていた。二本とも同じ明るさで点いている。
母は同じ水色のブラウスを着ていた。
二学期の内申は四十五で確定した。実技の四教科も五のままになる。
東雲は、まず心配ないと先生が言った。倍率の話も出た。前の年より少し下がる見込みらしい。
母は今回、塾の紙を出さなかった。出す必要が無かったからだと思う。同じ数字を学校のほうも持っている。
鞄には入っていた。角が見えていた。
母は面談のあいだ、一度もこちらを見なかった。先生と紙だけを見ている。
見ないのは、そういう場だからだと思う。参観のときも、母はこちらを見ない。
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先生が給食の話を出す場面は、三回あった。
一回目は、内申が確定ですと言ったあとの間だ。紙から目を上げて、こちらを見た。二秒ある。六月と同じ長さになる。
二回目は、母が訊いたときだ。
「体のほうは、どうでしょうか」
母のほうから訊いた。先生は、学校では変わりないです、と答えた。
学校では、という言い方が付いていた。付いていたことに、母が気づいたかどうかは分からない。
三回目は、面談が終わって、三人が立ち上がったときになる。
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先生は、椅子を戻しながら言った。
「体だけは、気をつけてやってください」
母は、はい、ありがとうございます、と答えた。
それで終わりだ。廊下には次の家族が来ていた。
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あの一言が、先生の言えたところだったのだと思う。
思ったのは、ずっとあとになる。そのときは、面談の締めの決まり文句だと受け取った。
受け取り方が違えば、何かが変わったのかどうかは分からない。変わらなかったと思う。
変わらなかったと思うことにしているだけかもしれない。そこは自分では区別がつかない。
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三日という数を、僕はいまも持っていない。
先生は持っていた。持っていた人が、それを使わなかった。
使わなかったのは、使い道が無かったからだと思う。中学の担任に、よその家の台所でできることは少ない。
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帰りは自転車を押して歩いた。六月と同じ道になる。
十二月なので、四時半でもう暗い。街灯が点いていて、母の自転車のライトは点けない。押しているときは点かない仕組みだ。
母は佐久間先生のまねをしなかった。
二回目だからだと思う。まねは一度きりのものだ。二回はやらない。
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途中の店の前を通った。六月にアイスを買った店だ。
母は中に入らなかった。冬だからだと思う。
入らなかったことを、僕はその日ずっと考えていた。考えていたことは、家に着くまでに消えた。
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大丈夫という言葉を、僕はそれまで、意味のあるものだと思っていない。
挨拶に近いものだ。訊かれたら返す。返せば話が終わる。
終わらせたのは先生ではない。
その言葉を、僕はそのあとも何度も使っている。使った回数は数えていない。
数えていないものが、また一つある。
訊かれたことに、答えられなかったのではない。答えてしまった。




