第023話 同じ中学だな
十月の掃除の時間に、航と同じ班になった。
班は週替わりで変わる。二学期の四週目が、僕と航と、あと三人だった。
担当は教室の後ろ半分と、廊下の途中まで。境目は、床の色が変わっているところで決まっている。
掃除は一時二十分から一時四十分までだ。二十分あって、実際に手を動かすのは十五分くらいになる。残りは机を戻す時間だ。
机を戻す位置は、床に貼ってあるテープで決まっている。テープはもう剥がれかけていて、四列目のところは半分しか残っていない。
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航はほうきを持つと速い。
速いが、隅が残る。ロッカーの下と、掲示板の下の巾木のところに、ほこりの線が残る。
僕はそこをやる。やっていると、航がこちらを見て、細かいな、と言う。
言い方に、悪いところは無い。ばかにしているのでもない。速いほうと細かいほうがいて、それだけだ、という言い方だった。
ほうきの穂は、先が片方に寄っている。使う人が同じ向きに掃くと、そうなるらしい。この教室のほうきは全部そうだ。
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机を後ろへ寄せるときに、航がこう言った。
「おれ、二中だから」
うちも二中だ、と答えた。
「じゃあ、同じ中学だな」
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それだけの話だった。
航はそのまま机を寄せて、次の列へ行った。机の脚が床をこする音が四回して、それから止まる。
僕はほうきを持ったまま、少し動かないでいた。動いていないことに気づいて、動かした。
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喉のところが、少し詰まる感じがした。
掃除が終わってから、水道へ行った。飲むと直った。
直ったので、それきりだ。
そのとき、蛇口を出しすぎて、袖が濡れた。濡れたのは左のほうで、一時五十分に始まる五時間目の途中まで乾かなかった。
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家では言わなかった。
同じ中学だと言われたことも、そのとき水を飲んだことも、言っていない。
言うようなことではないと思った。母は航の話をあまりしない。
嫌っているわけでもなさそうだ。話に出さないだけで、出さないので、こちらからも出さなくなる。
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中学のことは、五年生のうちに決まっていた。
受験はしない。二中に行く。
母がそう決めた。決めたときに、理由を一度だけ言った。
「あそこからなら、県立に行きやすいから」
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二中は、うちから歩いて十四分だ。
学区で決まっている。決まっているので、選んだという感じがしない。
でも母は選んでいる。選んだ結果が、決まっているものと同じだっただけだ。
どこの中学からどこの高校に何人行っているか、という数字を、母は持っていた。塾の面談でもらった紙に載っている。
その紙は座卓の上に置いてあって、僕はそれを見た。見たとは言っていない。
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十月の日曜に、母と二中の前まで歩いた。
中には入れない。門のところから見るだけだ。九時に出て、九時十四分に着いた。歩いて十四分というのは、そのとき測ったものになる。
校舎は三階建てで、正面の壁に大きい時計がついている。針は合っていた。
グラウンドは小学校より広い。土の色が少し違う。奥のほうに、ハードルが立てかけてあった。
母は門の前でしばらく立って、それから、いいところね、と言った。何がいいのかは言わない。
制服の子が二人、自転車で入っていった。日曜なので部活だと思う。あいさつをして通っていった。母はそれを見ていた。
帰りは十時前に着いた。行きより速い。下りだからだ。
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十一月に、塾のクラスが分かれた。
受験する組と、しない組だ。教室が別になって、曜日も変わる。
森下は受験する組に入った。
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最後に同じ教室にいたのが何日かを、僕は覚えている。十一月九日だ。
その日、森下は何も言わなかった。僕も言わなかった。
クラスが分かれることは、二週間前に配られた紙に書いてある。二人とも読んでいた。
読んでいるので、言う必要が無い。必要の無いことを、僕たちはどちらも言わない。
最後の日、森下は消しゴムを一つ置いていった。
机の上に残っていた。角が全部丸くなっていて、使い込んである。ケースはついていない。片側だけ黒くなっていた。
次に会ったときに返そうと思って、鞄に入れた。
返す機会が無かった。二重線で消すのに使ったぶんだけ、片側が黒い。
返さなかった。いまも、あの箱の中に入っている。
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森下がどこを受けるのかは知らない。
訊かなかった。学校名を一度も聞いていない。
受かったのかどうかも知らない。
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廊下で会うことは、そのあともあった。
週に一回か二回だ。よう、と言う。それだけになる。
立ち止まる用事が無くなると、人は立ち止まらない。
夏に見た袖のことは、そのあいだ一度も出てこなかった。僕からも、森下からも。
冬になると、全員が長袖になる。長袖であることに、誰も意味を見ない。
意味が見えるのは夏だけだ。夏は、もう来ない。中学が別になれば、次の夏に同じ教室にはいない。
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教室のうしろに、卒業までの日数が貼られた。
係の子が毎朝、数字を書き替える。書き替え忘れる日があって、二日続けて同じ数字になっていることがあった。
僕はそれを、朝と帰りに見る。見なくても計算できる。それでも見る。
数字が二桁になった日のことを覚えている。九十九から始まって、その日に九十になった。
九十より下は、下がる速さが違って見える。同じ速さで下がっているのに、そう見える。
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十二月に、二中の制服の採寸があった。
体育館で、業者の人が三人来る。学年ごとに時間が分かれていて、六年生は二時からだった。
肩幅と、胴回りと、袖丈を測る。測った数字を、業者の人が母に言う。母がそれを紙に書き取っていた。
「少し大きめにしておいてください。伸びますので」
母がそう言った。三年で伸びるぶんを、そのとき計算していたのだと思う。
業者の人が、どのくらいですか、と訊いた。母は数字で答えた。何センチ、と言った。
どこから出した数字なのかは分からない。母は記録帳を持っていない。持っていなくても出てくる。
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採寸のとき、航も来ていた。
三つうしろに並んでいた。一人で来ている。
業者の人が数字を言うのを、航は自分で聞いて、自分で覚えていた。書く紙を持っていない。
覚えられるのか、と思った。思っただけで、訊かなかった。
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帰りに、航が並んで歩いた。
途中まで道が同じだ。隣の家なので、最後まで同じになる。
「制服、きついのやだよな」
うん、と答えた。
「でかいのもやだけど」
それにも、うん、と答えた。会話はそこで終わって、あとは黙って歩いた。
黙って歩くのが、いやではなかった。
話すことを探さなくていい相手を、僕はそのころ一人しか持っていない。塾にも学校にもいる人はいるが、探さなくていいのは航だけだった。
探さなくていいのに、こちらから行かなくなっている。
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三時十分に体育館を出て、通路のところで別れた。
家と家のあいだの、片側の壁が熱くなるあの通路だ。十二月なので、両方とも冷たい。
航は自分の家の玄関を開けた。開けたときに、中から音がした。テレビの音だ。誰かがいる。
誰がいるのかは見ていない。
弟の声はしなかった。あの家の弟は、僕より四つ下だ。千尋と同じ年になる。同じ小学校にいるはずだが、顔を見た記憶が無い。
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制服は一月末に届いた。
箱に入っている。たたんであるのを広げると、折り目がついていた。袖が長い。指の第二関節まで隠れる。
母が袖を折って、しつけ糸で留めた。三年で伸びるぶんだ。裾も同じようにした。
着てみた僕を、母は正面から見て、それから横から見た。
「大きくなったね」
その言い方は、褒めるときの声ではなかった。褒めるときの声を、僕は一種類しか知らない。それとは違う声だった。
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千尋が制服を触った。
「これ、おにいちゃんの?」
そうだ、と答えた。
千尋は袖のところを持って、自分の腕に当てた。合わない。四つ下だから合うわけがない。
合わないのを確かめてから、千尋は満足したような顔をして、離れていった。
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母は一度も、航と遊ぶなとは言わなかった。
あまり遊ばないでね、と一度言っただけだ。それが四年生の夏で、それきり言われていない。
言われていないのに、僕は行かなくなった。
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制服の採寸があった日、家に帰ってから、僕は表を見なかった。
いつもは三回見る。朝と、帰ってからと、寝る前だ。その日は帰ってからのぶんを見ていない。
やることは覚えていた。覚えているので、見なくても同じだ。
九時二十分に寝る前のぶんを見た。見ると、やり残しは無い。無いのに、見なかった時間があることのほうが引っかかった。
引っかかったまま寝た。次の日の朝には、七時十二分に家を出ている。
見ないで済んだ日は、その年に一日しかない。




