↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自慢の息子  作者: 智珠
第一部 よくできました

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/104

第023話 同じ中学だな

 十月の掃除の時間に、航と同じ班になった。


 班は週替わりで変わる。二学期の四週目が、僕と航と、あと三人だった。


 担当は教室の後ろ半分と、廊下の途中まで。境目は、床の色が変わっているところで決まっている。


 掃除は一時二十分から一時四十分までだ。二十分あって、実際に手を動かすのは十五分くらいになる。残りは机を戻す時間だ。


 机を戻す位置は、床に貼ってあるテープで決まっている。テープはもう剥がれかけていて、四列目のところは半分しか残っていない。


            *


 航はほうきを持つと速い。


 速いが、隅が残る。ロッカーの下と、掲示板の下の巾木のところに、ほこりの線が残る。


 僕はそこをやる。やっていると、航がこちらを見て、細かいな、と言う。


 言い方に、悪いところは無い。ばかにしているのでもない。速いほうと細かいほうがいて、それだけだ、という言い方だった。


 ほうきの穂は、先が片方に寄っている。使う人が同じ向きに掃くと、そうなるらしい。この教室のほうきは全部そうだ。


            *


 机を後ろへ寄せるときに、航がこう言った。


 「おれ、二中だから」


 うちも二中だ、と答えた。


 「じゃあ、同じ中学だな」


            *


 それだけの話だった。


 航はそのまま机を寄せて、次の列へ行った。机の脚が床をこする音が四回して、それから止まる。


 僕はほうきを持ったまま、少し動かないでいた。動いていないことに気づいて、動かした。


            *


 喉のところが、少し詰まる感じがした。


 掃除が終わってから、水道へ行った。飲むと直った。


 直ったので、それきりだ。


 そのとき、蛇口を出しすぎて、袖が濡れた。濡れたのは左のほうで、一時五十分に始まる五時間目の途中まで乾かなかった。


            *


 家では言わなかった。


 同じ中学だと言われたことも、そのとき水を飲んだことも、言っていない。


 言うようなことではないと思った。母は航の話をあまりしない。


 嫌っているわけでもなさそうだ。話に出さないだけで、出さないので、こちらからも出さなくなる。


            *


 中学のことは、五年生のうちに決まっていた。


 受験はしない。二中に行く。


 母がそう決めた。決めたときに、理由を一度だけ言った。


 「あそこからなら、県立に行きやすいから」


            *


 二中は、うちから歩いて十四分だ。


 学区で決まっている。決まっているので、選んだという感じがしない。


 でも母は選んでいる。選んだ結果が、決まっているものと同じだっただけだ。


 どこの中学からどこの高校に何人行っているか、という数字を、母は持っていた。塾の面談でもらった紙に載っている。


 その紙は座卓の上に置いてあって、僕はそれを見た。見たとは言っていない。


            *


 十月の日曜に、母と二中の前まで歩いた。


 中には入れない。門のところから見るだけだ。九時に出て、九時十四分に着いた。歩いて十四分というのは、そのとき測ったものになる。


 校舎は三階建てで、正面の壁に大きい時計がついている。針は合っていた。


 グラウンドは小学校より広い。土の色が少し違う。奥のほうに、ハードルが立てかけてあった。


 母は門の前でしばらく立って、それから、いいところね、と言った。何がいいのかは言わない。


 制服の子が二人、自転車で入っていった。日曜なので部活だと思う。あいさつをして通っていった。母はそれを見ていた。


 帰りは十時前に着いた。行きより速い。下りだからだ。


            *


 十一月に、塾のクラスが分かれた。


 受験する組と、しない組だ。教室が別になって、曜日も変わる。


 森下は受験する組に入った。


            *


 最後に同じ教室にいたのが何日かを、僕は覚えている。十一月九日だ。


 その日、森下は何も言わなかった。僕も言わなかった。


 クラスが分かれることは、二週間前に配られた紙に書いてある。二人とも読んでいた。


 読んでいるので、言う必要が無い。必要の無いことを、僕たちはどちらも言わない。


 最後の日、森下は消しゴムを一つ置いていった。


 机の上に残っていた。角が全部丸くなっていて、使い込んである。ケースはついていない。片側だけ黒くなっていた。


 次に会ったときに返そうと思って、鞄に入れた。


 返す機会が無かった。二重線で消すのに使ったぶんだけ、片側が黒い。


 返さなかった。いまも、あの箱の中に入っている。


            *


 森下がどこを受けるのかは知らない。


 訊かなかった。学校名を一度も聞いていない。


 受かったのかどうかも知らない。


            *


 廊下で会うことは、そのあともあった。


 週に一回か二回だ。よう、と言う。それだけになる。


 立ち止まる用事が無くなると、人は立ち止まらない。


 夏に見た袖のことは、そのあいだ一度も出てこなかった。僕からも、森下からも。


 冬になると、全員が長袖になる。長袖であることに、誰も意味を見ない。


 意味が見えるのは夏だけだ。夏は、もう来ない。中学が別になれば、次の夏に同じ教室にはいない。


            *


 教室のうしろに、卒業までの日数が貼られた。


 係の子が毎朝、数字を書き替える。書き替え忘れる日があって、二日続けて同じ数字になっていることがあった。


 僕はそれを、朝と帰りに見る。見なくても計算できる。それでも見る。


 数字が二桁になった日のことを覚えている。九十九から始まって、その日に九十になった。


 九十より下は、下がる速さが違って見える。同じ速さで下がっているのに、そう見える。


            *


 十二月に、二中の制服の採寸があった。


 体育館で、業者の人が三人来る。学年ごとに時間が分かれていて、六年生は二時からだった。


 肩幅と、胴回りと、袖丈を測る。測った数字を、業者の人が母に言う。母がそれを紙に書き取っていた。


 「少し大きめにしておいてください。伸びますので」


 母がそう言った。三年で伸びるぶんを、そのとき計算していたのだと思う。


 業者の人が、どのくらいですか、と訊いた。母は数字で答えた。何センチ、と言った。


 どこから出した数字なのかは分からない。母は記録帳を持っていない。持っていなくても出てくる。


            *


 採寸のとき、航も来ていた。


 三つうしろに並んでいた。一人で来ている。


 業者の人が数字を言うのを、航は自分で聞いて、自分で覚えていた。書く紙を持っていない。


 覚えられるのか、と思った。思っただけで、訊かなかった。


            *


 帰りに、航が並んで歩いた。


 途中まで道が同じだ。隣の家なので、最後まで同じになる。


 「制服、きついのやだよな」


 うん、と答えた。


 「でかいのもやだけど」


 それにも、うん、と答えた。会話はそこで終わって、あとは黙って歩いた。


 黙って歩くのが、いやではなかった。


 話すことを探さなくていい相手を、僕はそのころ一人しか持っていない。塾にも学校にもいる人はいるが、探さなくていいのは航だけだった。


 探さなくていいのに、こちらから行かなくなっている。


            *


 三時十分に体育館を出て、通路のところで別れた。


 家と家のあいだの、片側の壁が熱くなるあの通路だ。十二月なので、両方とも冷たい。


 航は自分の家の玄関を開けた。開けたときに、中から音がした。テレビの音だ。誰かがいる。


 誰がいるのかは見ていない。


 弟の声はしなかった。あの家の弟は、僕より四つ下だ。千尋と同じ年になる。同じ小学校にいるはずだが、顔を見た記憶が無い。


            *


 制服は一月末に届いた。


 箱に入っている。たたんであるのを広げると、折り目がついていた。袖が長い。指の第二関節まで隠れる。


 母が袖を折って、しつけ糸で留めた。三年で伸びるぶんだ。裾も同じようにした。


 着てみた僕を、母は正面から見て、それから横から見た。


 「大きくなったね」


 その言い方は、褒めるときの声ではなかった。褒めるときの声を、僕は一種類しか知らない。それとは違う声だった。


            *


 千尋が制服を触った。


 「これ、おにいちゃんの?」


 そうだ、と答えた。


 千尋は袖のところを持って、自分の腕に当てた。合わない。四つ下だから合うわけがない。


 合わないのを確かめてから、千尋は満足したような顔をして、離れていった。


            *


 母は一度も、航と遊ぶなとは言わなかった。


 あまり遊ばないでね、と一度言っただけだ。それが四年生の夏で、それきり言われていない。


 言われていないのに、僕は行かなくなった。


            *


 制服の採寸があった日、家に帰ってから、僕は表を見なかった。


 いつもは三回見る。朝と、帰ってからと、寝る前だ。その日は帰ってからのぶんを見ていない。


 やることは覚えていた。覚えているので、見なくても同じだ。


 九時二十分に寝る前のぶんを見た。見ると、やり残しは無い。無いのに、見なかった時間があることのほうが引っかかった。


 引っかかったまま寝た。次の日の朝には、七時十二分に家を出ている。


 見ないで済んだ日は、その年に一日しかない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。