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自慢の息子  作者: 智珠
第一部 よくできました

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第022話 毎週、一番

 六年生の週テストは、毎週土曜の五時からだった。


 国語と算数が長くて、理科と社会が短い。あいだに休みが入って、終わるのが八時十分になる。


 答案は回収されて、その場では返らない。結果が出るのは火曜だ。順位と、点数と、偏差値と、平均との差が印字してある紙が配られる。


 紙はノートと同じ大きさで、下の三分の一が白い。そこに何も書いていない。書く欄でもない。


 その白いところを、僕はよく見ていた。何が入るはずだったのかを考えたことがある。


 答えは出ない。ただ余っている。


 余っているところが気になるのは、埋めるものを持たされ続けているからかもしれない。そう思ったのは、ずっとあとだ。


            *


 土曜の教室は、平日より人が多い。


 週テストの日は他の校舎からも来る。席は前から順に詰めて座る。成績順ではない。来た順だ。


 僕はいつも早く着くので、前のほうに座る。森下はもっと早い。一列目の左端で、その席が空いているのを見たことがない。


 鉛筆は多めに持っていく。使うのは二本だ。使い切ったことがない。


 国語は、はじめに大問の数と設問の数を数える。数えると、一問にかけられる時間が出る。出してから始める。


            *


 四月十日の第一回で一位だった。


 二回目も一位だった。三回目も。


 四月から七月まで、十四回のうち十一回が一位だ。二位が二回、三位が一回ある。


            *


 一回目のとき、母は紙を両手で持った。


 持って、しばらく見て、それから顔を上げた。


 「よかったね」


 三回目のとき、母は片手だった。手を拭いてから受け取って、片手で持って、それから引き出しに入れた。


 六回目のとき、母は見なかった。台所にいて、そこから、置いておいて、と言った。


            *


 短くなっていくのが分かる。


 一回目は、よかったね、で六文字。三回目が、そう、で二文字。六回目は、置いておいて、だから僕への言葉ではない。


 減っているのは、悪いことが起きたからではない。同じことが続くと、言葉は短くなる。


 母が短くなったのではない。同じ紙が毎週来るからだ。


 母は紙を受け取るとき、必ず手を拭く。濡れていなくても拭く。


 拭いてから受け取って、両手で持つか、片手で持つかが、週によって違う。


 どちらの週も、母はそのあと同じ場所へしまう。持ち方だけが違って、行き先は同じだ。


 紙を渡すときは、こちらの手が先に出る。出してから、母が手を拭き終わるのを待つ。待っているあいだ、腕が少し疲れる。


            *


 土曜の夕飯は八時半になった。


 千尋は六時半に先に食べる。母は千尋と一緒には食べない。僕が帰ってから、二人ぶんを出す。父はたいていいない。


 八時半の食卓には、皿が二つしか出ていない。テレビは消してある。


 家の時刻が、僕の予定に合わせて動く。動いていることを、僕はそのころ何とも思っていない。


            *


 紙は引き出しに入る。


 右の引き出しは前の答案で埋まっていて、この年のぶんは、その上に順に重なる。


 厚さが増えて、閉まりが少し悪くなった。押し込むと閉まる。


            *


 テストのあとの帰り道は、頭の中でまだ問題が動いている。


 解けなかったところが勝手に出てくる。歩きながら解き直して、解けると、そこで止まる。解けないと、家に着いてからも続く。


 母の自転車の横を歩きながら、口が動いていることがあったらしい。母がそれを言った。何を言っているかは聞き取れなかったそうだ。


 解き直しているのだと説明した。母は、そう、とだけ言って、それきり訊かなかった。


 僕は、自分が口を動かしていたことを知らない。


            *


 二位のときは違った。


 五月の第四回で二位になった。算数の最後の問題を落とした。図形で、補助線の位置が違っていた。


 母は紙を両手で持った。しばらく見て、それから訊いた。


 「どこ間違えたの」


 一位のときより長く見ていた。時間で言えば、何倍も長い。


            *


 僕はそれで、一つ覚えた。


 一位を取ると、話が終わる。取らないと、話が続く。


 話を終わらせたいなら、一位を取ればいい。


            *


 覚えたことを、僕は誰にも言っていない。


 言うようなことではないと思った。そういうことを口に出すのは、変だからだ。


 それが普通だと思っていた、というのを、あとから書くのは難しい。普通のことには、そのとき理由がついていない。


            *


 母は一度も、一位を取れとは言わなかった。


 目標を紙に書かせたこともない。何点取りなさいと言われたことも、一度もない。


 言われないので、僕は自分で決めた。


 自分で決めた、というのが正しいのかどうかは、いまも分からない。


            *


 森下は二位か三位だった。


 一位を三回取っている。取った週の森下は、いつもと変わらない。掲示を見ないし、名前を探さない。


 僕は掲示を見る。見なくても順位は紙で分かるのに、見に行く。


 見に行って、自分の名前の下にどれだけ名前が並んでいるかを、上から順に数える。四十七人いる週と、四十八人いる週があった。


 紙は上から貼ってある。名前を上から下へ追うと、指が下がりきる。下がりきったところで一度止めて、それからポケットに入れる。


            *


 六月に、森下がこう言った。


 「お前、一番とっても顔変わんないな」


 変わるものなのか、と訊いた。


 森下は少し笑って、それから、変わるやつは変わる、と言った。


 誰が変わるのかは言わない。教室のほうも見なかった。


 そのあと、こう続けた。


 「学校でもそうなんだ」


 なにが、と訊いた。


 「ぜんぶ」


 森下は僕の学校を知らない。行ったこともない。


            *


 その日、僕はトイレの鏡を見た。


 塾のビルのトイレには鏡がある。学校の廊下の手洗い場には無い。


 顔は、いつもの顔だった。何が変わらないのかが分からない。


            *


 その学期に、学校でも学級委員になった。


 推薦だ。手を挙げたのではない。名前が出て、拍手があって、それで決まった。


 仕事は、朝の会と帰りの会の司会と、授業の号令だ。


 号令の言い方は決まっている。起立、礼、着席。声の大きさも、間の取り方も、前の委員のを聞いて覚えた。


 自分で決めるところが無い。無いほうがやりやすい。


 やりやすい、という言葉を、僕はその年に何度か使っている。使うたびに、意味が少しずつ広がっていった。


 航がこちらを見て、一度だけ手をたたく真似をした。音は出していない。


 そのあと、航は僕を委員長と呼ぶようになった。


 しゅうちゃん、とは呼ばなくなった。呼ばれなくなった日がいつかは分からない。気づいたときには、委員長になっていた。


 やめてくれ、とは言わなかった。


            *


 千尋が一度、その紙を見た。


 机の上にあったやつだ。数字がたくさん並んでいるほうを、逆さのまま見ていた。


 「これ、いちばん?」


 そうだ、と答えた。


 「まいしゅう?」


 たいてい、と答えた。千尋は、へえ、と言って、それきり見なかった。


 千尋は二年生になっている。去年と同じで、机の前の壁には何も貼っていない。


            *


 七月十七日の第十四回で、また二位になった。


 その日、母は紙を見て、どこ間違えたの、とは訊かなかった。


 「まあ、こういうこともあるわよ」


 そう言って、引き出しに入れた。


            *


 僕はその言い方を、しばらく考えた。


 訊かれなかったほうが、訊かれたときより残った。


 残った理由が分からない。分からないまま、次の週に一位を取った。


 取ったとき、母は、そう、と言った。二文字だ。


            *


 夏期講習の前の週に、成績表がまとめて配られた。


 四か月ぶんの折れ線がついている。縦軸が偏差値で、横軸が回数だ。


 線はほとんど平らだった。上のほうで平らになっている。


 下がった週が三回ある。三回とも、次の週に戻っている。戻り方が同じ角度だ。


 上がる余地は、線の上に少ししか残っていない。紙の端までの距離で言えば、そのくらいだ。


 平らな線を見て、僕は自分の位置を確かめた。


 位置は動いていない。動いていないということは、上がってもいないということだ。


            *


 その紙を、僕は母に見せなかった。


 見せなかったのではなく、鞄に入れたまま出さなかった。出すのを忘れたわけでもない。


 三日たってから出した。母は見て、いいじゃない、と言った。


 三日のあいだ、僕がその紙をどうしていたのかを、僕は覚えていない。鞄から出して机に置いた記憶があるが、置いた場所が出てこない。


            *


 二学期からは、週テストが日曜になった。


 時間割が変わって、五時が一時になる。終わりが四時十分だ。


 土曜のその枠が空いた。


 その枠には、翌週から「弱点補強」と入った。母の字だ。升目に一字ずつ書いてある。


 何をやるかは母が決めた。前の週に落としたところを、もう一度やる。


 落としたところが無い週は、その前の週のをやる。落とさない週は無い。教科がいくつもあれば、どこかは落ちる。


            *


 空いた時間に何も入らないということは、この家では起きない。


 起きないということを、僕はそのころには知っていた。


 知っていたので、表を見る前から、何かが入っていることは分かっていた。


 何が入るかだけが、分からなかった。

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