第022話 毎週、一番
六年生の週テストは、毎週土曜の五時からだった。
国語と算数が長くて、理科と社会が短い。あいだに休みが入って、終わるのが八時十分になる。
答案は回収されて、その場では返らない。結果が出るのは火曜だ。順位と、点数と、偏差値と、平均との差が印字してある紙が配られる。
紙はノートと同じ大きさで、下の三分の一が白い。そこに何も書いていない。書く欄でもない。
その白いところを、僕はよく見ていた。何が入るはずだったのかを考えたことがある。
答えは出ない。ただ余っている。
余っているところが気になるのは、埋めるものを持たされ続けているからかもしれない。そう思ったのは、ずっとあとだ。
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土曜の教室は、平日より人が多い。
週テストの日は他の校舎からも来る。席は前から順に詰めて座る。成績順ではない。来た順だ。
僕はいつも早く着くので、前のほうに座る。森下はもっと早い。一列目の左端で、その席が空いているのを見たことがない。
鉛筆は多めに持っていく。使うのは二本だ。使い切ったことがない。
国語は、はじめに大問の数と設問の数を数える。数えると、一問にかけられる時間が出る。出してから始める。
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四月十日の第一回で一位だった。
二回目も一位だった。三回目も。
四月から七月まで、十四回のうち十一回が一位だ。二位が二回、三位が一回ある。
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一回目のとき、母は紙を両手で持った。
持って、しばらく見て、それから顔を上げた。
「よかったね」
三回目のとき、母は片手だった。手を拭いてから受け取って、片手で持って、それから引き出しに入れた。
六回目のとき、母は見なかった。台所にいて、そこから、置いておいて、と言った。
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短くなっていくのが分かる。
一回目は、よかったね、で六文字。三回目が、そう、で二文字。六回目は、置いておいて、だから僕への言葉ではない。
減っているのは、悪いことが起きたからではない。同じことが続くと、言葉は短くなる。
母が短くなったのではない。同じ紙が毎週来るからだ。
母は紙を受け取るとき、必ず手を拭く。濡れていなくても拭く。
拭いてから受け取って、両手で持つか、片手で持つかが、週によって違う。
どちらの週も、母はそのあと同じ場所へしまう。持ち方だけが違って、行き先は同じだ。
紙を渡すときは、こちらの手が先に出る。出してから、母が手を拭き終わるのを待つ。待っているあいだ、腕が少し疲れる。
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土曜の夕飯は八時半になった。
千尋は六時半に先に食べる。母は千尋と一緒には食べない。僕が帰ってから、二人ぶんを出す。父はたいていいない。
八時半の食卓には、皿が二つしか出ていない。テレビは消してある。
家の時刻が、僕の予定に合わせて動く。動いていることを、僕はそのころ何とも思っていない。
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紙は引き出しに入る。
右の引き出しは前の答案で埋まっていて、この年のぶんは、その上に順に重なる。
厚さが増えて、閉まりが少し悪くなった。押し込むと閉まる。
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テストのあとの帰り道は、頭の中でまだ問題が動いている。
解けなかったところが勝手に出てくる。歩きながら解き直して、解けると、そこで止まる。解けないと、家に着いてからも続く。
母の自転車の横を歩きながら、口が動いていることがあったらしい。母がそれを言った。何を言っているかは聞き取れなかったそうだ。
解き直しているのだと説明した。母は、そう、とだけ言って、それきり訊かなかった。
僕は、自分が口を動かしていたことを知らない。
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二位のときは違った。
五月の第四回で二位になった。算数の最後の問題を落とした。図形で、補助線の位置が違っていた。
母は紙を両手で持った。しばらく見て、それから訊いた。
「どこ間違えたの」
一位のときより長く見ていた。時間で言えば、何倍も長い。
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僕はそれで、一つ覚えた。
一位を取ると、話が終わる。取らないと、話が続く。
話を終わらせたいなら、一位を取ればいい。
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覚えたことを、僕は誰にも言っていない。
言うようなことではないと思った。そういうことを口に出すのは、変だからだ。
それが普通だと思っていた、というのを、あとから書くのは難しい。普通のことには、そのとき理由がついていない。
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母は一度も、一位を取れとは言わなかった。
目標を紙に書かせたこともない。何点取りなさいと言われたことも、一度もない。
言われないので、僕は自分で決めた。
自分で決めた、というのが正しいのかどうかは、いまも分からない。
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森下は二位か三位だった。
一位を三回取っている。取った週の森下は、いつもと変わらない。掲示を見ないし、名前を探さない。
僕は掲示を見る。見なくても順位は紙で分かるのに、見に行く。
見に行って、自分の名前の下にどれだけ名前が並んでいるかを、上から順に数える。四十七人いる週と、四十八人いる週があった。
紙は上から貼ってある。名前を上から下へ追うと、指が下がりきる。下がりきったところで一度止めて、それからポケットに入れる。
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六月に、森下がこう言った。
「お前、一番とっても顔変わんないな」
変わるものなのか、と訊いた。
森下は少し笑って、それから、変わるやつは変わる、と言った。
誰が変わるのかは言わない。教室のほうも見なかった。
そのあと、こう続けた。
「学校でもそうなんだ」
なにが、と訊いた。
「ぜんぶ」
森下は僕の学校を知らない。行ったこともない。
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その日、僕はトイレの鏡を見た。
塾のビルのトイレには鏡がある。学校の廊下の手洗い場には無い。
顔は、いつもの顔だった。何が変わらないのかが分からない。
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その学期に、学校でも学級委員になった。
推薦だ。手を挙げたのではない。名前が出て、拍手があって、それで決まった。
仕事は、朝の会と帰りの会の司会と、授業の号令だ。
号令の言い方は決まっている。起立、礼、着席。声の大きさも、間の取り方も、前の委員のを聞いて覚えた。
自分で決めるところが無い。無いほうがやりやすい。
やりやすい、という言葉を、僕はその年に何度か使っている。使うたびに、意味が少しずつ広がっていった。
航がこちらを見て、一度だけ手をたたく真似をした。音は出していない。
そのあと、航は僕を委員長と呼ぶようになった。
しゅうちゃん、とは呼ばなくなった。呼ばれなくなった日がいつかは分からない。気づいたときには、委員長になっていた。
やめてくれ、とは言わなかった。
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千尋が一度、その紙を見た。
机の上にあったやつだ。数字がたくさん並んでいるほうを、逆さのまま見ていた。
「これ、いちばん?」
そうだ、と答えた。
「まいしゅう?」
たいてい、と答えた。千尋は、へえ、と言って、それきり見なかった。
千尋は二年生になっている。去年と同じで、机の前の壁には何も貼っていない。
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七月十七日の第十四回で、また二位になった。
その日、母は紙を見て、どこ間違えたの、とは訊かなかった。
「まあ、こういうこともあるわよ」
そう言って、引き出しに入れた。
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僕はその言い方を、しばらく考えた。
訊かれなかったほうが、訊かれたときより残った。
残った理由が分からない。分からないまま、次の週に一位を取った。
取ったとき、母は、そう、と言った。二文字だ。
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夏期講習の前の週に、成績表がまとめて配られた。
四か月ぶんの折れ線がついている。縦軸が偏差値で、横軸が回数だ。
線はほとんど平らだった。上のほうで平らになっている。
下がった週が三回ある。三回とも、次の週に戻っている。戻り方が同じ角度だ。
上がる余地は、線の上に少ししか残っていない。紙の端までの距離で言えば、そのくらいだ。
平らな線を見て、僕は自分の位置を確かめた。
位置は動いていない。動いていないということは、上がってもいないということだ。
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その紙を、僕は母に見せなかった。
見せなかったのではなく、鞄に入れたまま出さなかった。出すのを忘れたわけでもない。
三日たってから出した。母は見て、いいじゃない、と言った。
三日のあいだ、僕がその紙をどうしていたのかを、僕は覚えていない。鞄から出して机に置いた記憶があるが、置いた場所が出てこない。
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二学期からは、週テストが日曜になった。
時間割が変わって、五時が一時になる。終わりが四時十分だ。
土曜のその枠が空いた。
その枠には、翌週から「弱点補強」と入った。母の字だ。升目に一字ずつ書いてある。
何をやるかは母が決めた。前の週に落としたところを、もう一度やる。
落としたところが無い週は、その前の週のをやる。落とさない週は無い。教科がいくつもあれば、どこかは落ちる。
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空いた時間に何も入らないということは、この家では起きない。
起きないということを、僕はそのころには知っていた。
知っていたので、表を見る前から、何かが入っていることは分かっていた。
何が入るかだけが、分からなかった。




