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自慢の息子  作者: 智珠
第六部 空欄

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103/105

第096話 一日に三通

 母からの連絡は、五月から一日に三通になった。


 四月は一日に一通だった。五月の連休のあとで、二通に増える。


 六月から三通で、そこから四年ほとんど変わらない。


 内訳は朝と昼と夜になる。それぞれ一通ずつだ。


            *


 来る時刻は、だいたい決まっている。


 朝が七時前後になる。昼は十二時半あたりだ。夜は二十二時を過ぎる。


 夜のぶんだけが日によって前後した。早い日は二十一時に来る。


 早い日が何を指すのかは分からない。分かるようになる気配も無かった。


            *


 朝の一通は、たいてい天気のことだった。


 こっちは雨、と書いてある。うちの町の天気で、こちらの町のではない。


 二つの町は、電車で一時間十分離れている。天気は、たいてい違う。


 違うことを、母は書かない。こちらも言っていない。


            *


 昼の一通は、物のことになる。


 洗剤はあるか、米は足りているか、風邪薬の期限は切れていないか。


 九月からは、換気扇のフィルターと、排水口のことも入った。


 どれも、こちらが訊かれるまで考えたことのないものだった。


            *


 夜の一通は、確認だった。


 帰ったか、鍵を掛けたか、明日は何時に出るか。


 三つとも、答えられる。答えられるものだけが訊かれている。


 九年前から、その形が一つも変わっていない。


 ちゃんと返しているつもりだった。しっかり読んでから返している。


 三通来るのが当たり前になっていて、来ない日のほうが落ち着かない。


            *


 こちらの返事は、たいてい二文字だった。


 うん、が多い。はい、と、ある、と、大丈夫、も使う。


 いちばん長い返事は、四月の三日目に送った十四文字になる。


 十四文字の中身は、ゴミの日の紙の場所を訊いたものだった。


            *


 文字数を、こちらは数えている。


 五月から十二月までで、母が送った文字は合わせて三万一千四百ほどになる。


 こちらが返した文字は、二千二百八十だった。


 比でいうと、十三・八対一になる。


            *


 十三・八対一という数を、こちらは十二月に出した。


 出したあと、返事を長くしようとしたことがある。


 二日やって、やめた。長くすると、母の次の一通が短くなるからになる。


 短くなる理由は分からない。分からないまま、元に戻した。


            *


 せっかく来たものに、二文字しか返していない。


 二文字でも、母は同じ数だけ送ってくる。減らしも増やしもしない。


            *


 母は、返事が無くても次の日に送る。


 催促は、四年で一度も来ていない。


 どうしたの、とも、見た?、とも書かれたことが無い。


 書かれないので、返さないでいることが、こちらの側では起きていないことになる。


            *


 返さなかった日は、その年で二十六日ある。


 五月が二日、六月が一日、七月が四日になる。


 八月が九日で、いちばん多い。九月が三日、十月が二日、十一月が一日、十二月が四日だ。


 八月が多いのは、実家に帰っていたからになる。同じ家にいると、連絡が来ない。


            *


 来ない日が、その年に一日だけあった。


 八月十四日で、実家にいた日になる。同じ家にいたので、送る用が無い。


 その日を、こちらは数え方では零に入れている。


 零に入れたのが正しいのかどうかは、いまも決めていない。


            *


 同じ家にいるあいだ、母は何も送ってこない。


 送る用が無いからだと思う。目の前にいれば、口で言えば済む。


 済むのに、口で言われることも少なかった。


 八月に家で交わした言葉を数えると、十日で四十一往復になる。


            *


 四十一往復のうち、こちらから始めたのは三回だ。


 三回とも、持ち物の確認になる。用の無い話を、こちらは一度もしていない。


 連絡だと三通あるものが、同じ家だと一日四往復まで減る。


 離れているほうが、言葉の数は多い。


            *


 その差を、こちらは八月のうちに計算した。


 計算して、どこにも書かなかった。書く先が無いからになる。


 九年、そういう数だけがきちんと出る。


 出るものと、置く場所が、いつまでも合わない。


            *


 実家までは、電車で一時間十分かかる。


 乗り換えが一回ある。運賃は片道で千二百六十円だ。


 その年に帰ったのは、五月の連休と、八月と、十二月になる。


 合わせて三回で、日数は二十八日だ。


 三回とも、母が日程を訊く前に、こちらから言っている。


            *


 洗剤は、言われる前に切らしたことがない。


 きちんと数えて、残りが三割になったところで買う。


 九年やってきたやり方が、ここでも同じに働いた。


 働いているあいだ、こちらは何も決めていない。決める場面が来ないからになる。


 来ないのを、情けないとも思っていなかった。


            *


 連絡は消していない。


 残っているものを数えると、その年だけで千件を超える。


 開き直したことは一度も無い。開く用が無いからになる。


 用の無いものを、この人は消さない。母のやり方と同じだ。


 同じであることに、そのころは気づいていなかった。


            *


 母の文面は、四年でほとんど変わらない。


 句読点の打ち方も同じで、絵文字は一つも入っていない。


 最後に、じゃあね、が付く日と付かない日がある。


 付く日を数えたら、七割ほどだった。付かない日に何があるのかは、分からない。


            *


 返す文面も毎回同じ形になる。


 考えて書いているわけではない。手が先に出る。


 出たものを、こちらはあとで読み返さなかった。


            *


 母の文面には、こちらの状態を訊く行が一つも入っていなかった。


 元気か、とも書かれない。どうしてる、も来ていなかった。


 訊かれないので、答える必要そのものが立ち上がらない。


 出てこないほうが、こちらには楽だった。楽だ、と書けるのはそこだけになる。


            *


 一度だけ、確認ではない一通が来た。


 六月十一日の昼になる。文面は、そっちの紫陽花、咲いた?、だった。


 紫陽花のことを、母がそれまで書いたことは無い。


 うちの庭には無い。実家の近所にも、こちらは見た覚えが無かった。


            *


 返事に、四分かかった。


 いつもは十秒で返す。十秒で返せないものが来たのは、その一通だけになる。


 まだ、と返した。二文字だ。


 実際には、見ていない。咲いているかどうかを確かめていない。


            *


 嘘ではない。まだ、というのは、見ていない状態でも成り立つ。


 成り立つことを、そのとき考えて選んだ。


 選んだのは、こちらになる。選んだと分かっているのは、その一通だけだ。


 ほかの返事は、選ばずに出ている。


            *


 なんで紫陽花なんですか、と訊こうとした。


            *


 返したあと、部屋を出て、道の左右を見た。


 三軒先の塀の内側に、紫陽花があった。青いほうで、もう咲いている。


 咲いていたことを、母には言っていない。


 言わなかった理由は、いまも書けない。


            *


 紫陽花の一通のあと、母はその話をしなかった。


 次の日の昼は、洗剤のことに戻っている。


 戻り方が速い。速いので、あの一通が何だったのかが分からなくなる。


 分からないものを、こちらは数の中に入れていない。


            *


 連絡が来る相手は、その年で三人しかいない。


 母と、千尋と、学科の連絡係になる。


 千尋からは月に一度か二度だ。中身はたいてい短い。


 普通は、大学に入ると相手が増えるものらしい。


 増えなかったのを、恥ずかしいとは思っていない。思う形をやはり持っていない。


            *


 電話は、四年でほとんど鳴らなかった。


 母からかかってきたのは、その年で二回になる。


 一回目が四月の引っ越しの週で、二回目が十二月の帰省の日程だ。


 どちらも、三分かからずに終わっている。


            *


 鳴るときの音は、机の上の振動になる。


 木の板に当たると、低い音が出る。連続で四回鳴って、止まる。


 四回で止まるのを、こちらは五月のうちに覚えた。


 覚えているので、音の三回目でもう手が伸びる。


            *


 手が伸びるのは、九年やってきた形になる。


 台所からの足音で機嫌を当てていたころと、順番が同じだ。


 音が先に来て、身体が動いて、そのあとで内容が分かる。


 その順番を、こちらは変えられなかった。


            *


 世間では、こういうのは過干渉だと言うらしい。


 大学生の子どもに毎日連絡する親の話が、そういう名前で出てくる。


 名前がついているのを、こちらは二年のときに知った。


 知って、当てはめてみて、少しずれると思った。


            *


 ずれるのは、母が何も指示していないからになる。


 勉強しなさいも、帰ってきなさいも、四年で一度も出ていない。


 来るのは、洗剤と、換気扇と、鍵の三つだ。


 三つとも、指示ではない。確認になる。


            *


 確認だけを四年続けるのは、たぶん立派なことでも、だらしないことでもない。


 どちらでもないものに、世間の名前はついていない。


 ついていないものを、こちらは名前の無いまま持っている。


 持っているものが、そのころにはもう何十個もあった。


            *


 母は一度も、電話に出なさいと言わなかった。


            *


 十二月の帰省は、二十七日から一月三日までにした。


 八日間になる。夏は十日いたので、二日短い。


 短くしたのは、こちらが日程を先に言ったからだ。


 母は、そう、とだけ言って、それ以上は訊かなかった。


            *


 返さなかった日を、こちらは数えている。

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