7. アクシデント
5月10日
その日は移動日だった。
田村たちは東京駅から新幹線に乗り、新大阪へ向かった。到着後はチーム専用の貸し切りバスに乗り換え、大阪市内のホテルへ向かっていた。
窓の外には見慣れない大阪の街並みが流れていく。
バスが走り始めて十五分ほど経った、その時だった。
「キィィッ!」
突然、耳をつんざくような急ブレーキが車内に響いた。
選手たちの体が一斉に前へ揺れる。
前方の席に座っていた田村は、フロントガラス越しに、一人の女性が横断歩道で転倒する瞬間を見た。
自転車に乗ったまま、赤信号を無視して横断しようとしたのだ。
幸い、女性はバスと接触することなく、その場ですぐに立ち上がった。
胸をなで下ろした田村だったが、どこか気になった。
「すみません。近くに停めて、少し待っていていただけますか」
そう運転手に声を掛けると、バスを降り、女性のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません……急いでいて、赤信号なのに渡ろうとしてしまいました」
その表情には、痛みよりも後悔の色が濃く浮かんでいた。
田村は女性の足元へ目を向ける。
歩けてはいるものの、右足をわずかにかばうようにしている。
「足を痛めていますよね。もしよろしければ、近くまでお送りします。」
「いえ、大丈夫です。本当にご迷惑をお掛けしました。」
女性は遠慮がちに微笑み、首を横に振った。
しかし田村は、穏やかな口調のまま言葉を重ねた。
「無理はなさらないでください。少しでも安心できるところまで、ご一緒します。」
女性は小さく息をつき、観念したように微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その言葉を聞くと、田村は彼女にその場で少し待っていてもらうよう伝え、バスの停車場所まで駆け戻った。
「後でタクシーで向かいます。皆さんは先に行ってください。」
運転手にそう告げると、田村は再び女性のもとへ向かおうとした。
その時、不意に車内へ目を向けると、平田コーチと目が合った。
平田コーチは田村より六歳年上で、公私にわたって何かと世話になっている存在だった。
競技のことだけではない。
人生の悩みや迷いも、何度となく相談してきた、兄のような先輩である。
その平田コーチは、何も言わず田村を見つめていた。
その視線には、「本当に大丈夫か」という心配が滲んでいた。
田村は小さく笑みを浮かべると、軽く手を上げ、「大丈夫です」という合図を送った。
それだけで十分だった。
平田コーチも静かにうなずき、バスのドアがゆっくりと閉まった。




