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5.大地の幼稚園にて

 園庭には子どもたちの元気な笑い声が響いていた。


 大地も友達と夢中になってボールを追いかけていた。その時だった。


 突然、大地が足を止め、その場にしゃがみ込んだ。


「大地君、どうしたの?」


 一緒に遊んでいた園児が駆け寄る。


 大地は何も答えない。ただ、鼻に手を当てた次の瞬間、真っ赤な血がぽたりと地面へ落ちた。


「先生! 藤井先生!」


 園児は顔色を変え、園庭の向こうにいた担任へ向かって必死に走り出した。


「大地君が大変! 早く来て!」


 その声に気付いた藤井は、小走りで駆け寄る。


「大地君、大丈夫?」


 膝をついて目線を合わせると、大地は不安そうな顔で鼻を押さえながら言った。


「藤井先生……鼻から血が出たの」


「大丈夫、大丈夫。すぐ止まるからね」


 藤井は優しく微笑み、ポケットからティッシュを取り出して、そっと鼻の血を拭き取った。


 しかし、その瞬間、藤井の胸に小さな違和感がよぎる。


 ――顔色が悪い。


 いつも元気いっぱいの大地とは思えないほど、頬から血の気が引いていた。


「大地君、先生と一緒に医務室で少し休もうか」


 藤井は優しく手を差し出した。


 大地は小さくうなずき、その手を握った。


 二人はゆっくり医務室へ向かう。


 だが、入口まであと数歩というところで、大地は突然笑顔を見せた。


「もう大丈夫!」


 そう言うと藤井の手を離し、園庭へ戻ろうと走り出した。


「あっ、大地君!」


 制止する声も届かない。


 その直後だった。


 入口の小さな段差につまずき、大地の体が前へ倒れ込む。


「きゃっ!」


 近くにいた園児たちが息をのんだ。


 大地は膝を強く擦りむき、じわりと血がにじんでいく。


 藤井はすぐに駆け寄り、大地を抱き起こした。


「痛かったね。でも大丈夫。先生がすぐ治してあげるから。」


 医務室へ戻ると、藤井は手際よく傷を消毒し、絆創膏を貼った。


 泣くのを必死にこらえる大地の頭を優しくなでながら、それでも藤井の胸の不安は消えなかった。


 擦り傷だけなら保護者へ連絡するほどではない。


 だが、あの青白い顔色がどうしても気にかかった。


 藤井は受話器を手に取り、大地の母・ひとみへ電話をかけた。


「村山さんのお電話でよろしいでしょうか。こちら緑山幼稚園、担任の藤井です」


「はい」


「先ほど大地君が鼻血を出されました。幸い大きな怪我ではありませんが、お顔の色が少し優れません。念のため、少し早めにお迎えをお願いできますでしょうか」


 電話の向こうで、ひとみの声が少し震えた。


「……わかりました。すぐに向かいます」


 息子が鼻血を出したことなど一度もなかった。


 胸の奥に広がる不安を振り払うように、ひとみは急いで車へ乗り込み、十分ほど離れた緑山幼稚園へ向かった。


 幼稚園の駐車場へ車を止めると、ちょうど園長が園舎の前を歩いていた。


「こんにちは、園長先生。いつも大地がお世話になっています」


 少し息を切らしながら尋ねる。


「大地はどこにいますか?」


 園長は穏やかに微笑んだ。


「医務室で藤井先生と一緒ですよ。怪我は軽いものでしたので、ご安心ください」


「ありがとうございます」


 ひとみは深く頭を下げ、急ぎ足で医務室へ向かった。


 中では藤井が大地の膝に絆創膏を貼り終えたところだった。


「先生、ありがとうございます」


 礼を言うと、ひとみはしゃがみ込み、大地の目を見つめた。


「大地、心配したじゃない。大丈夫?」


 すると大地は胸を張り、少し得意そうに笑った。


「大丈夫だよ。僕、泣かなかったもん」


「本当に頑張ったよね」


 藤井は優しく微笑んだ。


 そして少し表情を引き締める。


「お母さん、念のため病院で診てもらったほうが安心かと思います」


 その言葉を聞いた瞬間、大地は首を激しく振った。


「病院いやだ!」


 目に涙を浮かべ、ひとみにしがみつく。


「大地は泣き虫さんなの?」


 ひとみは優しく問いかけた。


「強い男の子でしょう?」


 大地は唇を震わせながら首を横に振る。


「強くないもん……だから病院行きたくない…」


 懸命に訴える息子を見つめ、ひとみは胸が締めつけられた。


 それでも母親として迷うわけにはいかなかった。


「先生、お世話になりました」


 藤井へ頭を下げると、大地の小さな手をしっかり握る。


「大地、病院へ行こう。すぐ終わるから」


 大地は涙をこぼしながら何度も首を振ったが、ひとみはその手を優しく、しかし決して離さなかった。


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