4. 紀子の病室にて
面会室の冷たい空気の中で、田村はじっと医師を待っていた。
静まり返った廊下に足音が響き、白衣姿の医師がゆっくりと部屋へ入ってくる。その表情を見た瞬間、胸の奥に嫌な予感が走った。
「先生……妻は、大丈夫なんでしょうか」
震える声で問いかけると、医師は一度目を伏せ、小さく息をついた。
「奥様の命に別状はありません」
その一言に胸をなで下ろしかけた。しかし、医師は言葉を続けられず、苦しそうに口を閉ざした。
「ただ……お腹の赤ちゃんは……」
田村は首を横に振った。
「冗談はやめてください」
祈るような思いだった。
だが医師は、静かに現実を告げた。
「正直に申し上げます。残念ですが……奥様は流産されました」
その言葉は、まるで鋭い刃のように胸へ突き刺さった。
何かを言おうとしても声にならない。ただ熱いものが頬を伝い、悔しさと無力感だけが涙となってあふれ続けた。
――なぜ、守れなかった。
その思いだけが、頭の中で何度も何度も繰り返された。
田村は重い足取りで病室へ戻った。
ベッドには眠る紀子の姿があった。青白い顔で静かに横たわる妻を見つめながら、田村は何度も言葉を探した。しかし、どんな言葉も見つからない。
三十分ほどして、紀子がゆっくりと目を開けた。
「……あなた?」
かすれた声だった。
「紀子、大丈夫か?」
田村は無理に笑顔を作ろうとした。
「ええ……私は大丈夫。それより……赤ちゃんは?」
その一言に、田村の心臓は締めつけられた。
答えられない。
沈黙だけが病室を包む。
紀子は不安そうに夫の顔を見つめた。
「ねえ……赤ちゃん、元気なのよね?」
田村は唇を噛みしめ、震える声でようやく言葉を絞り出した。
「紀子……許してくれ。俺が旅行へ行こうなんて言ったばかりに……」
その瞬間、紀子の表情から血の気が引いた。
「……嘘」
小さく首を振る。
「嘘よ……そんなはずない」
次の瞬間、悲鳴にも似た叫び声が病室に響いた。
「私の赤ちゃんを返して!」
紀子は声を張り裂けんばかりに泣き叫び、肩を震わせた。
田村は何もできなかった。
ただ妻の手を握り、その涙を見つめることしかできなかった。
一か月後、紀子は退院した。
傷は癒え、日常生活を送れるまでに回復した。しかし、心に負った傷は、目には見えないほど深く残っていた。
以前のように無邪気に笑うことはなくなり、ふとした瞬間に窓の外を見つめては涙をこぼす日々が続いた。




