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43. 田村が壇上へ

やがて食事も終盤を迎えた。


司会者がマイクを手に取り、朗々とした声を響かせる。


「それでは、本日の主役――ホームラン王・田村選手のご登壇です!」


万雷の拍手が湧き起こる。


無数のフラッシュが白く瞬き、田村は静かに席を立った。


ゆっくりと壇上へ向かうその背中は、堂々としている。


しかし、その歩みには、栄光だけではない何かを背負う者の重みがあった。


壇上では、評論家や記者による質疑応答が始まる。


今季を振り返っての感想。


ホームラン王を獲得した心境。


ファンへの感謝。


田村は一つひとつ丁寧に答え、会場には終始穏やかな笑顔が広がっていた。


その空気を切り裂いたのは、一人の男だった。


久米がマイクを取る。


「田村さん、ホームラン王、おめでとうございます」


形式ばった祝福のあと、口元だけがわずかに笑った。


「最終戦、最後の打席で敬遠球をホームランにしましたね。あれは、やはりタイトルを意識された結果だったのでしょうか」


会場の空気が、音もなく張りつめる。


田村は少しだけ目を伏せ、静かに息をついた。


「……そうですね」


短い沈黙。


「そういう気持ちが、まったくなかったと言えば嘘になります」


久米は間髪入れずに続けた。


「チームの勝利より、個人記録を優先した、と」


その言葉は問いではなく、断罪だった。


田村は反論しない。


「……そう受け取られても、仕方ありません」


その横顔に、一瞬だけ苦い影が差した。


テーブル席では、幸雄の拳が膝の上で固く握り締められていた。


隣では幸二が唇を噛み、今にも血が滲みそうなほど力を込めている。


そして、久米は追い打ちをかけた。


「以前は病気の少年を何度も見舞われていましたね。しかし、今では押しも押されもせぬスター選手です。そうした活動も、もう必要なくなったのではありませんか」


その瞬間だった。


ガタンッ――。


静まり返った会場に、椅子が倒れる音が鋭く響いた。


「違う!」


立ち上がっていたのは幸二だった。


震える拳を握り締め、久米を真っすぐ見据える。


「あんたは……何も知らない」


会場中の視線が、一斉に幸二へ集まる。


「俺が……俺が書いた記事が全部の始まりだった」


言葉を絞り出すたびに、胸の奥の後悔があふれ出す。


「俺は勝手に決めつけた。田村選手はホームラン王しか見ていないって……」


幸二は壇上を見上げた。


田村は黙って彼を見つめていた。


責めるでもなく、止めるでもなく。


ただ、静かに。


その優しい眼差しが、幸二の背中を押した。


「本当は違った」


「田村選手は、記事になる前から、誰にも知らせず病院へ通っていた」


会場から、息をのむ音が漏れる。


「ホームランを打った日も、真っ先に病院へ向かった」


「あの子が、『次も打ってね』って笑ったから」


幸二は一度、大きく息を吸った。


「あの最後の打席も……」


誰も身じろぎひとつしない。


「敬遠だって分かっていた」


「でも、あの子はテレビの前で待っていた」


「だから逃げなかった」


「ホームラン王のためじゃない」


「一人の少年との約束を守るためだった」


壇上の田村は、ゆっくりと目を閉じた。


まぶたの奥に、病室で笑っていた少年の姿が浮かんでいた。


やがて、その目尻に一筋の涙が光る。


長い静寂が流れた。


誰も言葉を発せない。


その沈黙を破ったのは、一人の拍手だった。


パチ……。


小さな音は、二つ、三つと増え、やがて大きな波となって会場を包み込む。


誰も立ち上がれないほど胸を打たれながら、それでも惜しみなく拍手を送り続けた。


田村は深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


震えるその一言に、万感の思いが込められていた。


豪華な祝賀会だったはずの夜は、いつしか一人の野球選手の栄光を称える場ではなく、一人の少年との約束を守り抜いた男の生き様を見届ける時間へと変わっていた。


そして、隅のテーブルで肩を寄せ合っていた五人も、もうこの華やかな会場で居場所を失ってはいなかった。


誇らしげに胸を張りながら、それぞれが静かに涙をぬぐっていた。


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