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41/44

41.Rホテルにて

 オフシーズンを迎えた球場は、不思議なほど静かだった。


 歓声の消えたグラウンドには冷たい風が吹き抜け、スタンドには冬の日差しが淡く差し込んでいる。


 その静けさの中で、田村はぽつりと口を開いた。


「いろいろなことがあった。でも――俺は、大地君のおかげでホームランを打てたんだ」


 その横顔には、優勝を決めた四番打者の誇らしさはなかった。


 一人の青年が、遠い記憶を静かにたどっている。


 そんな表情だった。


 私は思わず息を止めた。


「そんなことがあったなんて……」


 知らず知らずのうちに声が漏れる。


「お前、本当にドラマみたいな人生を歩いてるな」


 少し照れ隠しに笑ってみせる。


「奇跡の人って言われても、不思議じゃない」


 田村は小さく笑うと、ゆっくり首を横へ振った。


「違うよ」


 短く、それだけ言った。


「俺は奇跡なんかじゃない」


 少し間を置き、穏やかな口調で続ける。


「ただ……約束を守りたかっただけなんだ」


 その言葉に、私は返す言葉を失った。


 あの日、病室で交わされた約束。


 少年の願い。


 一本のホームラン。


 そのすべてが、彼の中では一本の線になってつながっているのだろう。


 しばらく沈黙が流れた。


 やがて田村は話題を変えるように顔を上げる。


「頼みがあるんだけど」


「何だ?」


「11月中旬から12月上旬で、宴会場を押さえられる日を調べてもらえないかな」


「祝勝会か?」


「いや」


 田村は少し笑った。


「本当なら球団が手配する予定だった。でも、それじゃ困るんだ」


「どうして?」


「マスコミが集まるから」


 そう言って苦笑する。


「静かにやりたい人がいるんだ」


 その一言で十分だった。


 私は何も聞かなかった。


 聞く必要もなかった。


 あの日の続きを叶えるための席なのだと、自然に分かったからだ。


「分かった」


 私は力強くうなずく。


「必ずいい会場を用意する」


 田村は照れくさそうに笑った。


「ありがとう」


 その笑顔は、グラウンドで見るものとは少し違っていた。


 数日後。


 私は田村へ電話を入れた。


「12月11日、土曜日。正午からなら宴会場を押さえられた」


 受話器の向こうで、小さく安堵の息が聞こえる。


「助かった。本当にありがとう」


 その三日後。


 クイーンズホテルの営業担当・前田がジャガーズ球団事務所を訪れ、当日の打ち合わせが行われた。


 球団からの要望は二つだけだった。


 マスコミには知らせないこと。


 そして、宴席の目的を公表しないこと。


 表向きは、オフシーズンの懇親会。


 それだけで十分だった。


 本当の意味を知る必要があるのは、そこへ集う者たちだけでいい。


 出席者は、ジャガーズの選手と球団関係者、あわせて四十名ほど。


 さらに数名の野球評論家。


 そして――。


 特別な招待客として、大地と両親の名前が名簿に加えられていた。


 総勢およそ五十名。


 12月11日。


 澄み切った冬空の下で、一つの宴が開かれる。


 それは優勝を祝うためだけの席ではない。


 一人の少年と、一人の野球選手が交わした約束に、ようやく終止符を打つための時間だった。


 あの夜、夜空へ舞い上がった白球は、ただ勝利を運んだだけではない。


 誰かを信じる心と、生きたいと願う想いを乗せて、大きな放物線を描いていた。


 だからこそ、そのホームランは今も人々の記憶に残り続ける。


 奇跡ではなく――。


 約束を守り抜いた者たちの、証として。


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