33.三回裏ジャガーズの攻撃
三回表を終えても、スコアボードに刻まれた数字は動かなかった。
0対0。
均衡は、まるで張り詰めた一本の糸のように球場全体を包み込んでいた。四万人を超える観衆が見守るスタンドは静まり返り、聞こえるのはマウンドでロジンバッグを握る音と、時折吹き抜ける夜風だけだった。
三回裏、ジャガーズの攻撃。
先頭打者は四番・クルーズ。
この男に一本出れば、試合は動く――誰もがそう信じていた。
初球。
乾いた快音が夜空へ弾ける。
鋭く放たれた打球は一、二塁間を破り、ライト前へ転がった。
歓声が一気に膨れ上がる。
ノーアウト一塁。
停滞していた流れが、ゆっくりとジャガーズへ傾き始めた。
続く打者は五番・田村。
第一打席は凡退。しかし、その存在感は少しも色褪せてはいない。
今季四十二本塁打。
ホームラン王を争うバークランドとは、わずか一本差だった。
マウンド上の野口が深く息を吐く。
第一球は内角高めへ外れ、ボール。
続く二球目はワンバウンド。捕手が前へ落として体で止める。
カウント、ツーボール。
スタンドのざわめきが、期待へと変わっていく。
――狙うのか。
誰もがそう思った。
三球目。
野口が渾身のストレートを投げ込んだ、その瞬間だった。
田村のバットが迷いなく振り抜かれる。
高々と舞い上がった白球は、レフト方向へ切れていく。
ファールか――。
いや、違う。
打球はぐんぐんと伸び、レフトポールをかすめるように直撃した。
ホームラン。
劇的なツーランホームランだった。
轟音にも似た歓声が球場を揺らす。
田村は感情を爆発させることなく、静かにダイヤモンドを一周した。
四十三号。
ついにバークランドと並び、ホームラン王争いは振り出しへ戻った。
スコアは2対0。
均衡を破ったのは、ジャガーズだった。
その後も福山は落ち着いた投球を続け、試合は五回を終えても2対0。
だが、この夜の主役は、まだ決まっていなかった。
六回表。
パイレーツは三番・石黒が左中間を破るツーベースで反撃の口火を切る。
そして打席には、四番・バークランド。
場内に、緊張が走った。
解説席で江川が静かに口を開く。
「勝負、してきますかね」
隣の川藤は迷わず頷いた。
「ジャガーズのエースは福山ですから。逃げませんよ」
福山が振りかぶる。
第一球。
バークランドの豪快なスイングが夜空を切り裂いた。
高々と舞い上がった打球はレフトスタンドへ向かって伸びていく。
誰もが本塁打を覚悟した。
その瞬間だった。
レフト・早乙女がフェンス際まで一直線に駆ける。
背走。
跳躍。
鈍い衝突音が球場に響いた。
早乙女の身体はフェンスへ激突し、そのままグラウンドへ倒れ込む。
一瞬、球場が静まり返る。
立ち上がれない。
誰もが息をのんだ。
やがて、ゆっくりと右腕が空へ伸びる。
そのグラブの中には、しっかりと白球が収まっていた。
大歓声が爆発する。
魂でもぎ取ったようなファインプレー。
早乙女が、チームのリードを守り抜いた。
しかし――
野球の神は、ときにあまりにも残酷だった。
七回表。
パイレーツは五番・三上、六番・小泉の連打で無死一、二塁。
なおも攻撃の手を緩めない。
打席には七番・青山。
福山が投じた一球を、青山は迷いなく振り抜いた。
乾いた快音。
打球は高く、高く舞い上がり、そのままライトスタンドへ吸い込まれていく。
逆転スリーランホームラン。
一瞬にして球場の空気が反転した。
3対2。
ジャガーズが守り続けたリードは、一振りで消え去った。




