32. 最終戦
9月16日――。
すべては、この日のためにあった。
長く険しいペナントレース。
歓喜も、挫折も、悔し涙も、数え切れない勝負の積み重ねも――そのすべてが、この一日に集約されようとしていた。
ジャガーズにとって、それは単なる最終戦ではない。
十六年という歳月を越え、もう一度栄冠をつかむための最後の戦いだった。
首位パイレーツとの差は、わずか〇・五ゲーム。
勝てば優勝。
引き分けでも優勝。
数字だけを見れば、ジャガーズが圧倒的に有利だった。
だが、誰一人として安堵している者はいない。
最後の一歩ほど、遠いものはない。
栄光は、あと一歩届かずに消えていった者たちを、これまで何人も見てきた。
だからこそ、誰も運命を甘く見てはいなかった。
そして、この日の見どころは優勝争いだけではない。
もう一つの熱き戦い――ホームラン王争い。
パイレーツのバークランドが四十三本。
ジャガーズの田村が四十二本。
その差は、わずか一本。
たった一本。
しかし、その一本は、打者としての誇りを左右する一本でもあった。
大阪ドームは、試合開始を前に異様な熱気に包まれていた。
スタンドを埋め尽くす無数のファン。
視界に映るユニフォームのほとんどが、ジャガーズのチームカラーだった。
九割――いや、それ以上。
球場全体が、まるで一つの巨大な生命となって鼓動しているかのようだった。
歓声はまだ始まっていない。
それでも、人々の期待と祈りは熱となり、ドームの天井を揺らしていた。
やがて、中継が始まる。
「本日は、ジャガーズ対パイレーツ、運命の最終戦を全国の皆さまにお送りいたします」
実況席から響く江川の声には、普段にはない緊張が滲んでいた。
「正直に申し上げます。私はシーズン途中、このジャガーズがここまで巻き返すとは思っていませんでした。もし優勝となれば、実に十六年ぶりのリーグ制覇です。この大阪ドームをご覧ください。まさにジャガーズファン一色です。川籐さん、この光景をご覧になって、どう思われますか」
川籐は、ゆっくりとスタンドを見渡した。
その瞳には、どこか感慨深い光が宿っている。
「ええ……本当に見事な景色です」
一度言葉を切ると、静かに続けた。
「ですが、一番驚かされたのは田村ですよ。今年限りで引退するんじゃないか――そんな声まであった選手が、今ではチームを優勝目前まで引っ張ってきた。これはもう、成績だけでは語れません。執念ですよ」
その言葉に応えるように、スタンドから大きな拍手が湧き上がった。
江川はゆっくりとうなずき、静かに問いかける。
「果たして……ジャガーズに奇跡は起こるのでしょうか」
川籐は一瞬も迷わなかった。
「奇跡じゃありません」
そう言って、小さく笑みを浮かべる。
「ここまで積み重ねてきた努力が、今日という日に形になるだけです。」
そして、力強く言い切った。
「私は、田村が――そしてジャガーズが、その瞬間を必ずつくると信じています。」
その言葉が球場全体に響いたかのように、スタンドの歓声が一段と大きくなる。
歓声は波となり、選手たちを包み込んでいく。
ベンチで静かに目を閉じていた田村は、ゆっくりと立ち上がった。
脳裏に浮かぶのは、白い病室で眠り続ける一人の少年。
――大地。
「約束は、必ず守る」
誰にも聞こえないほど小さくつぶやき、田村はグラウンドへ足を踏み出した。
その瞬間、球審がゆっくりと右手を上げる。
運命の一球が、今まさに投じられようとしていた。




