29. 夢の中で
7月10日
夏の熱気に包まれながら、今年もオールスターゲームの季節がやってきた。
だが、その華やかな舞台に田村の名はなかった。
前半戦の成績は決して悪くない。それでも人気投票では思うように票が伸びず、ファンの声は届かなかった。
もちろん、監督推薦という道は残されていた。
しかし田村は、その申し出を静かに辞退した。
――今の自分には、あの舞台に立つ資格はない。
誰に言うでもなく、そう言い聞かせるように。
その頃、大地の容体は急変していた。
大阪ドームへ移って五日。
高熱は下がらず、小さな身体はベッドから起き上がることさえできなくなっていた。
白い天井をぼんやり見つめ、浅い呼吸を繰り返す日々。
病室には、時計の針が進む音だけが静かに響いていた。
◇
7月16日
試合を終えた田村は、宿舎のホテルへ戻ると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
身体の疲れだけではない。
胸の奥に張りつめていたものが、一気にほどけていく。
いつの間にか、深い眠りへ落ちていた。
――夢を見た。
夕暮れのグラウンド。
西日に染まった芝生の上で、大地が待っていた。
二人は何も言わず、キャッチボールを始める。
ボールが弧を描き、ミットへ吸い込まれる。
乾いた音だけが、静かなグラウンドに心地よく響いた。
「タム」
大地が笑った。
「あの日は、ありがとう」
「誕生日のプレゼント、すごくうれしかった」
田村も自然と笑みを浮かべる。
「それはよかった」
「ねえ。またタムのホームラン、見たいな」
「もちろん」
田村は迷うことなく答えた。
「また打つよ。だから今度も応援に来てくれる?」
その言葉に、大地は少しだけ困ったように笑った。
そして、小さく首を横に振る。
「……もう、行けないんだ」
その一言が、胸の奥へ重く沈んだ。
「どういうこと?」
田村は思わず聞き返した。
大地は空を見上げる。
夕焼けが、その横顔を優しく照らしていた。
「もうすぐ、お別れだから」
穏やかな声だった。
泣いてもいない。
怯えてもいない。
だからこそ、その言葉は痛かった。
「何を言っているの」
田村の声が震える。
「そんなこと、あるわけない」
大地は静かに微笑んだ。
「ぼくね……ママのお腹にいたとき、トラックがパパの車にぶつかったんだ」
田村の呼吸が止まる。
「そのとき、ぼくは死んじゃったの。でも、パパもママも助かったから、それでよかったんだ」
六年前の事故。
誰にも話したことのない出来事。
その記憶を、なぜこの子が知っているのか。
田村には理解できなかった。
「でもね」
大地は少しだけ俯いた。
「ほんとはね……まだ、もっと生きたい」
その小さな本音が、胸を締めつける。
「大地君は死なない!」
田村は叫ぶように言った。
「絶対によくなる。だから、そんなことは言わないで」
大地はゆっくり頷いた。
「うん……」
少し安心したように笑う。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「ああ。何でも言ってくれ」
「約束?」
「約束する」
大地は田村の目をまっすぐ見つめた。
「タムが、一番になって」
「一番?」
「ホームラン王」
その言葉に、田村は息を呑む。
「タムがたくさんホームランを打ってくれたら、ぼく……」
そこから先は聞こえなかった。
風が吹き抜け、声だけをさらっていく。
「大地君!」
呼びかける。
だが、大地は少しずつ後ろへ遠ざかっていた。
夕焼けの中で、小さく手を振る。
その笑顔だけが、いつまでも変わらない。
「大地君!」
もう一度叫ぶ。
しかし、その姿は光の中へ溶けるように消えていった。
田村は夢中で手を伸ばした。
届かなかった。
――その瞬間。
田村は勢いよく目を覚ました。
激しく肩で息をしている。
額には冷たい汗が滲んでいた。
静まり返ったホテルの一室。
耳に聞こえるのは、自分の荒い呼吸だけだった。
枕元の時計に目をやる。
午前三時三十分。
まだ夜は明けていなかった。




