26.プレーボール
――午後一時。
大阪ドームに、プレーボールのサイレンが鳴り響いた。
超満員のスタンドから大きな歓声が湧き上がり、選手たちが守備位置へ散っていく。
テレビ中継の実況席では、江川が落ち着いた口調で語り始めた。
「本日は、ジャガーズ対パイレーツの首位攻防戦をお送りします。
現在、ジャガーズは十五勝十五敗の五分。首位パイレーツとは八ゲーム差。この二連戦を落とせば、優勝争いは一気に苦しくなるでしょう」
画面には、ウォーミングアップを終えた田村の姿が映し出される。
その姿を見つめながら、解説席のジャガーズOB・川籐が静かに口を開いた。
「去年までのジャガーズなら、その通りでしょう。」
江川が視線を向ける。
「今年は違う、と?」
川籐はゆっくりとうなずいた。
「皆さんはご存じないでしょうが……田村は毎試合後も一人でバットを振り続けているんです。何百回も、毎日のようにね。」
「何百回もですか?」
江川も思わず驚いた声を漏らす。
「私も最初は理由が分からなかった。でも今は知っています」
川籐は少し笑い、意味深に続けた。
「その理由は……今年ジャガーズが優勝したら、お話ししましょう」
江川は苦笑しながら頷いた。
「なるほど。それは優勝のお楽しみ、というわけですね。」
その頃、別チャンネルの副音声では、辛口解説で知られる久米が相変わらず歯に衣着せぬ口調を続けていた。
「今日、明日とパイレーツが連勝すれば、そろそろ優勝へのマジックが見えてきますよ。田村ですか?
オールスター前後で引退でしょう。病院訪問なんてしなければ、話題にもならなかった選手です。余計なことをしましたね」
冷たく言い放つ声が、淡々と球場へ流れていく。
しかし、その言葉とは裏腹に、スタンドの視線は一人の男へと集まっていた。
二回裏。
ワンアウト、走者なし。
バッターボックスには、田村。
場内アナウンスが名前を告げると、スタンドから大きな拍手が巻き起こる。
「カウント、ツーボール・ツーストライク」
江川の声が静かに響く。
投手が振りかぶる。
渾身のストレート。
田村のバットが鋭く振り抜かれた。
――カキーン!
乾いた打球音がドームに響く。
「打ち上げた!」
レフトが懸命にファウルゾーンを追う。
観客が一斉に立ち上がる。
「捕った!レフト、ファインキャッチ!
これでツーアウトです!」
スタンドから「ああ……」というため息が漏れた。
あと少しで長打だった。
大地も思わず肩を落とす。
そして、幸雄の袖をそっと引いた。
「ねえ、パパ……」
「うん?」
「タム……今日はホームラン、打てるかな?」
幸雄はグラウンドを見つめたまま、静かに笑った。
「ああ、きっと打ってくれる」
その声には、不思議なほど迷いがなかった。
「田村選手はな。一度交わした約束は、必ず守る人なんだ。」
大地は小さくうなずく。
その瞳は、ただ一人の背番号を追い続けていた。
田村にも、まだ誰にも明かしていない"約束"がある。
その約束を果たす瞬間は、少しずつ、確実に近づいていた。




