18.幸二の誤解
幸二は一瞬だけ表情をこわばらせたが、すぐに作り笑いを浮かべた。
「いや……深い意味はないよ」
そう言うと、ひとみと大地に軽く手を振った。
「それじゃあ、また来るよ」
病室を出かけた幸二は、ふと思い出したように足を止める。
「兄貴、少し話せる?」
幸雄は小さくうなずき、病室を後にした。
二人は人通りの少ない廊下まで歩き、窓際で立ち止まる。
しばらく黙っていた幸二が、静かに口を開いた。
「……さっきの田村の話だけどさ。少し気になることがあるんだ」
幸雄は黙って先を促した。
「二週間くらい前かな。この病院のロビーで田村を見かけたんだ」
幸二は記憶をたどるように視線を落とした。
「サングラスも帽子もなくてさ。背が高いから、すぐ分かった。他にも気づいてる人が結構いたよ」
一呼吸置き、続ける。
「近くにいた女性が俺に話しかけてきたんだ。
『あの人、ジャガーズの田村選手ですよね?』って」
幸雄は黙って耳を傾けている。
「俺が『そうですよ』って答えたら、その人が言ったんだ。
『最近、小児病棟によく来ているらしいですよ』って」
「それで俺は聞いたんだ。
『知り合いでもいるんですか?』って」
幸二は苦笑にもならない笑みを浮かべた。
「すると、その人はこう言った。
『最近は成績も人気も落ちていますからね。サインボールでも配って人気取りでもしているんじゃないですか』って」
幸二は言葉を切り、深く息を吐いた。
「……だから、さっき『ここにも』なんて言ってしまった」
廊下に沈黙が落ちる。
やがて幸雄が静かに口を開いた。
「田村選手は、そんな人じゃない」
その声には、迷いがなかった。
「どうして、そこまで言い切れる?」
「大地に会いに来た時の彼を見れば分かる」
幸雄はまっすぐ幸二を見つめた。
「あの人は、大地を励ますためだけに来てくれた。打算なんて一つも感じなかった」
幸二は視線を逸らした。
「……でも、どうして大地くんだけなんだ?」
幸雄は静かに息をつき、大地と田村が出会った日から今日までの出来事を、ゆっくりと話し始めた。
幸二は一言も口を挟まなかった。
話が終わる頃には、その顔から血の気が引いていた。
「……兄貴」
かすれた声だった。
「俺……とんでもない勘違いをしてた」
「勘違い?」
幸二は震える手でバッグを開いた。
「兄貴……本当に、ごめん」
中から一冊の写真週刊誌を取り出し、開いたページを幸雄へ差し出す。
幸雄は誌面を見た瞬間、息をのんだ。
そこには病院から出てくる田村の写真と、悪意に満ちた見出しが大きく載っていた。
幸二はうつむいたまま、小さく言う。
「……この記事を書いたのは、俺なんだ」
幸雄はゆっくりと誌面から目を離した。
「何も知らなかった」
幸二の声は震えていた。
「聞いた話を、そのまま信じた。本当のことを確かめもしないで……俺が書いた」
その瞬間、幸雄の表情が変わった。
「お前……!」
低く押し殺した声が廊下に響く。
「自分が何をしたのか、分かっているのか!」
幸二は何も言えなかった。
「田村選手が試合に出ていなかった理由が、やっと分かった」
幸雄は誌面を握る手に力を込める。
「あの人は、大地を励ますためだけに病院へ来てくれたんだ。それをお前は、売名行為だと決めつけて世間にさらした」
一歩、幸二へ近づく。
「人の人生はな、一つの記事で簡単に変わるんだ」
幸二は唇を強くかみしめる。
「……本当に、申し訳ない」
その謝罪に、幸雄は静かに首を振った。
「俺に謝っても意味はない」
しばらく沈黙が流れた。
そして幸雄は、弟の目をまっすぐ見据えて言った。
「謝る相手は、田村選手だ」
その一言が、幸二の胸に重く突き刺さった。




