6 転生者はホラー映画に出てくる悪霊と何が違うのだろう?
転生先の両親に、どう接すればいいのか。
――その答えは、きっと転生者の数だけあるのだろう。
「転生先の両親はとてもいい人たちだった!
自分を何不自由なく愛して育ててくれた!」
そんなふうに、明るく割り切れる人もいるらしい。
けれど……私にはできなかった。
もし、自分の子どもが転生者だったら?
お腹を痛めて産んで、慈しみ育てたはずのわが子の中身が、ある日突然、まったく知らない異世界人の魂に置き換わっていたとしたら?
そのときに親が抱えるはずの喪失と絶望を、想像せずにはいられなかった。
転生者は――ホラー映画に出てくる悪霊と、何が違うのだろう。
子どもの肉体を奪い、本人のふりをして、家庭に入り込む。
そんな存在に、私はなってしまったのだ。
私を抱きしめてくれる両親の腕の中で、私はいつも、かすかな罪悪感と吐き気を覚えていた。
いい子でいることはできなかった。
いい子でいてしまったら、「本物の娘」を演じることになってしまう気がしたから。
だから私は、“悪役令嬢”になった。
ふさわしくない口ぶりで、反抗的な態度で、“評判の良くない学友”を従えて、失望されることを選んだ。
それが、私にできる唯一の、居場所の作り方だった。
三人で囲むには大きすぎる食卓。
そして物理的な距離よりも、ずっと遠い――心の距離。
銀のナイフが白磁の皿に触れるかすかな音と、砂のような味だけが、この家の食卓のすべてだった。
――思えば、最初の人生もこんな食卓を囲っていた。
父は厳格で、母は従順だった。
母は、なれなかった自分の夢を、娘に重ねていた。
息苦しいほどの期待を、押しつけるように。
そんな最初の人生のときと同じように。
私は、早くこの公爵家を出たかった。
今の母に対して、《この世は舞台、人々は|みな役者、そして私は脚本家》を使うことはできなかった。
実の娘の人格を奪った転生者が、娘の姿で感応能力を使い、母を“手懐ける”なんて――
そんな筋書きを書くことは、どうしてもできなかった。
それをした瞬間、自分が本当の簒奪者になってしまう――
そう思うと、手が震えてペンが握れなかった。
父に対しては、そこまでの罪悪感はなかった。
家族を顧みず政争に明け暮れる、王室に半ば公然と反旗を翻す貴族連合の盟主。
正妻やその娘すら、子を産ませる道具、政略結婚の駒にすぎない――
そんな風に、私は勝手に決めつけていたからだ。
けれど、この公爵が、私の脚本どおりに動く姿を、どうしても想像できなかった。
だから舞台の幕は上がらず、能力は発動しなかった。
《脚本》が、成立しなかったのだ。この公爵の背後には、改竄不能なこの国の“物語そのもの”が立ちはだかっているような、そんな錯覚すらあった。
“強キャラ”は、転生者だけではなく、現地人にもいる。
これまでの転生人生で、チートスキルを持った転生者があっけなく殺される瞬間を、私は二度、目の当たりにしている。
どちらも、世界を変えようとした転生者ではなく――
世界を変えてしまう現地人に、だ。
アルフェリード公爵もまた、そういう人間だ。
その予感は確信となり、確信は畏怖となった。
脚本家としての私の腕を、冷たい手が掴んで離さなかった。
――おそらく今回の件も、すべて公爵の想定の範囲内の事象だったのだろう。
私が廃嫡されることすら、何年も前から織り込み済みだったかのような手際の良さだった。
ただ、ひとつだけ。
ひとつだけ、誤算があるとすれば――
私が王太子の顔面に拳を叩き込むとまでは、さすがに想定していなかったのだろうけど。
†
最後の晩餐は、ただ静かに終わった。
一瞬、今世での父親と目が合い、たじろいでしまう。
波打つように柔らかく光を返す銀髪は、いつものように背中で一房に束ねられていた。
目元は涼やかで切れ長。睨まれているわけでもないのに、視線が交わっただけで、肺の温度が下がる。
髪と同じ色の短髭が整えられた口元には、否応なく目を引く色気と、深淵めいた謀略の気配が同居していた。
……ぶっちゃけ、イケオジ。しかもかなりのイケメン寄りの。
「知略98・カリスマ100・家柄S・料理スキルE」――そんな隙があるように見えて隙が無い。
もしも“イケオジの就活用エントリーシート”があったら、迷いなく模範解答に選ばれるタイプの壮年の貴族ハイエルフ。
つい最近まで伝説のNo.1ホストとして夜の世界を支配していたが、現場は後進に譲り、今は圧倒的カリスマ性で癖の強い幹部ホストたちを束ねている……みたいな。
そう例えれば、現代を生きる日本人にはわかりやすいだろう。
公爵はワイングラスを置き、視線を一度も合わせることなく言った。地獄の大侯爵のような、妖艶で重く、低い声で。
「……お前がなぜ、そこまで私たちを拒むのかは、私にはわからぬ。
だが、それは、お前がそう信じたいだけの、数ある“筋書き”の一つに過ぎぬことは肝に銘じておくがいい。」
冷たい手に撫でられたような感触が背筋を走る。
……“筋書き”って、それ、偶然の言い回しだよね?
誰にも話したことのない私の《ワールド・イズ・マイン》の能力を――この人が、知ってるなんてこと、ない……よね?
「たとえ、お前がアルフェリード家を血族だとは思わずとも、お前が家名を失い、地位を失おうと――お前は、私の娘だ。」
そして、まるで式典の締めくくりのように、淡々と告げた。
「アルフェリードの人間らしく。
その責務を果たせ。
今回の件で、お前が我が家に負った借りは少なくあるまい。」
無慈悲な突き放しに見せかけた言葉は、細く残された娘との絆を、断ち切らぬようにしているようにも、全ては私がそう受け取るように計算済みであるかのようにも、私には聞こえた。
いつもの癖で、顎の短髭にそっと指を這わせる。そんな仕草すら、相手の反応を観察するための“演出”にすら見えてしまう。
振り返らずに立ち去る背中には、娘を失った一人の父親としてのほんの少しの孤独、そして――王室に反旗を翻す貴族連合の盟主たる大貴族の威厳と矜持が残光のように煌めいていた。
たぶんあの人は、今日の会話のひとつひとつすら、何手も先まで計算して口にしているのだろう。
私がこうして、勝手に罪悪感と矛盾に潰れそうになっていることすら、織り込み済みなのかもしれない。
そんなアルフェリード公爵の背中を見て、私は思わず、心の奥で呟いてしまった。
――こんなイケオジになら、抱かれても良い。
視界の端で、金髪碧眼のエルフの淑女が、小さく「ヒィッ」と喉を鳴らすのが見えた。人間目線だと私の姉くらいにしか見えない、幸の薄そうな今世の母親が。
この人、正直あまり頭はよろしくないけれど、こういうところだけ妙に勘がいいんだよな。
ノベルゲーでいうと、立ち絵も少なくて、イベントCGにもめったに出てこないモブ枠なのに、こういうときだけ、謎の存在感を出してくる。
そんな母親が夫の後を追うようにスッと去っていった。乙女ゲーでイベントCGが出るシーン、どう見ても現場にいたはずなのに、気づけば立ち絵ごと消えてる“あの枠外モブ”みたいな動きで。
――きっと、あの人は気づいているのだ。
娘の中身が、もう娘ではないことに。
でも、それを言葉にした瞬間、もう二度と手が届かなくなると知っているから――
だから、あの人は、ただ静かに枠の外へと消えていくのだ。
イベントCGの片隅にすら映らないまま。
……ごめんなさい、と言えればよかった。
でも、それを言える資格が、私にはなかった。




