5 廃嫡は自由な明日への第一歩
玉座の間を模して作られた“劇場”――それが、この枢密院の円卓だった。
夜明け前の湖面のように、張り詰めた静寂が空間を覆う。
ステンドグラスには、顔を出したばかりの月明かりが射し込み、揺れる蝋燭の炎が天井に影を描いていた。
蜜蝋が垂れ落ちた跡は、乾いた血痕のように見え、今この場所で読み上げられる“結末”の色を予感させる。
朗読役の老侍従が、羊皮紙を持つ手を小刻みに震わせながら淀みなく宣言した。
「――よって、ミリエリス=アルフェリードの公爵家からの廃嫡を認め、神殿の特別保護下へ送致するものとする」
その声が高く吸い上げられ、天井の天蓋へと飲み込まれる。
次の瞬間、青い錫杖の石突が、審判書の羊皮紙に“コツリ”と落とされる。
その乾いた音は、私の鼓膜をくすぐり、鎖骨の奥で鈍く甘く響いた。
――はい、これで舞台進行は上々。
とはいえ。
本当は――この舞台、最初から安全圏などではなかった。
私が干渉し得ない場所にある歯車がひとつ狂えば、廃嫡では済まず、ここで終わっていた可能性も否定はできなかった。
それでも。
血で幕を引く脚本を選ばずに済んだことに、心から安堵していた。
私は椅子の肘掛を握り締め、白魚のような指をわざと蒼白に浮かび上がらせた。もちろん、演技だ。
「こんなの……あんまりですわ……」
魔封じの銀鎖で繋がれた両手で涙を拭い、嗚咽を漏らす芝居。
演出としての鎖――実際には形式的な拘束にすぎず、抵抗の意志がないことを示すための見せかけ。
そもそも《この世は舞台、人々は|みな役者、そして私は脚本家》は魔術でも魔法でもない以上、封じる術も意味も無い。
ただ、今は使うべきタイミングではない。国の要人がいる前で軽々しく使い、誰かにスキルの存在を気取られるのは大きなリスクだ。
「父上……! どうか、どうか、もう一度だけお考え直しを……!」
「くどい。……どうしてもというなら考えなくもないが、その場合は“死罪”となることも覚悟をせねばなるまいが?」
「……そんな……私は……わたしは……!」
――公爵の顔を立てるセリフも忘れない。公爵の手腕ならば大丈夫だとは思いつつも、多大な迷惑をかけたことへの、せめてもの罪滅ぼしだ。
父――アルフェリード公爵は、それを視界の端で追いながら、ただ一度、浅く頷いた。
その所作ひとつで分かる。廃嫡と神殿送りが、「最も良質な落とし所」であると、この国の権力者達が合意したことを。
その裏で、いくつもの家名と家名が、静かに手打ちを終えていることも――。
扉の外に整列した神殿騎士団の足音が、石畳に規則正しく鳴り響く。
私は、初めて補導された不良少女のようにしゃくりあげ、涙で視界をわざと滲ませて席を立つ。
石の床に滴る水音は嘘。胸の奥で跳ねる鼓動だけが、本物。
その瞬間、視界の端に――アルフェリード公爵の目が映った。
毒蛇のような視線。私が“笑っている”ことを、確かに見抜いているまなざし。
けれど、彼は一切表情を変えず、静かに立ち上がる。
裏切りでも赦しでもない。これは“共犯者”としての黙契――舞台裏で台本を読み合わせる者同士の合図だった。
重厚な扉がきしみ、大理石の間に外気が流れ込む。
蝋燭の炎が震え、舞台の幕が引かれる音が、確かに聞こえた気がした。
泣き腫らした頬に、冷たい鎖が触れる。
その冷たさこそが、私の望んだ“スポットライト”だった。
――次の舞台は、神殿。
「ミリエリス・アルフェリード元公爵令嬢、明朝の引き渡しまで、王都第七区画・公爵邸にて軟禁とする」
……つまり、最後の晩餐を済ませれば、晴れて“公爵令嬢”という肩書きも脱ぎ捨てられる。
その代償として、アルフェリード公爵家と――父には、取り返しのつかないほどの厄介事を残したことも、理解している。
誰かの立場を削り、誰かの期待に背いてまで掴む自由を、罪と呼ぶのなら。
きっと私は、もうとっくに罪人なのだ。
それでも。
それが、悔いのない人生を生きるための十字架だというのなら。
誰かに背負わされたものではなく、
自分で選び取った対価として、私はそれを胸に抱いて歩く。
自由への一歩。栄光ある「追放」。私は睫毛を伏せ、誰にも気づかれぬように、小さく口角を上げた。
†
円卓の間を出ると、あのアホ王太子が腕組みして待ち構えていた。
ニヤニヤしながら、完全に勝者の顔をして立っていた。
「残念だったな。
……せっかく、将来は王妃の座も見えていたというのに」
――はあ。
全部の手続きが終わるまで、ここで腕組みして突っ立ってたんだ?
ご丁寧に厨二ポーズまで取って。
どんだけ暇なの、こいつ。
……ていうか、あれだけ綺麗にぶっ飛ばしてやったのに、もう跡形もなく治ってるじゃん。
最高位の治療魔術師の匠の技なんだろうけど、1日でここまで治るの?
ほんと、物理効かないアホって厄介よね。
……まあ、このタイミングで出くわせたのは重畳だけど。
「……本当に、残念ですわ」
涙を拭って、懸命に背伸びをして、アホ王太子を見上げる。
笑いをこらえながら、唇を震わせて、“名残惜しい演技”を最大出力で仕掛ける。
「なぜわたくしが……殿下の目に留まったご令嬢たちと、次々に懇意になっていったのか……
そのことを、殿下に理解していただけなかったのが……わたくしの、唯一の心残りですわ」
最後の別れのように微笑み、振り向かずに馬車へ乗り込む。
背後から
――カシャン
と、どこかのアホが恋に落ちる音が聞こえた。
人って、自分が“信じたい物語”を真実だと思いたがる生き物だ。
きっと今この瞬間、あの王太子はこう思ってる。
「ミリエルの本命って……俺だった、ってコトぉ!?!?」
……チョロい。
チョロすぎるわ、この王太子。
どうしようもないアホだけど、粉をかけておけばいずれ“使える男”になる可能性は、ゼロじゃない。
まがりなりにも王位継承権一位だし。まあ顔も悪くないし?
どうしようもなく、アホだけど。




