42 踏み台は、踏みごたえがなきゃつまらない
表彰を終え、楽屋へ戻る途中。
石造りの裏回廊には、まだ大礼拝堂の歓声が残響していた。
私たちは優勝した。
リュミエは記念品の盾を抱え、さっきから何度も眺めている。リゼリアは私の手を握ったまま、満足そうに寄り添っている。
その向こうから、《Rosary†Chain》の三人が歩いてきた。
ルフェリア。
エリュシア。
セレフィー。
胸の奥が、わずかに縮む。
チート能力まで使って、三点差。
あの舞台を見たあとでは、勝者の笑顔を向けることすら、ひどく厚かましい行為に思えた。
目を逸らしかけた、そのとき。
「あっ、ミリ様!」
私を見つけたエリュシアが、駆け寄ってきた。
「さっきの舞台、すごかった!」
まっすぐ。
何の曇りもない瞳。
「ありがとう。エリュシアたちのステージも、素晴らしかったですわ」
罪悪感のためか、思わず悪役令嬢口調になってしまった。
「本当に? よかった……」
エリュシアは胸元へ手を当て、ほっと息を吐いた。
「でも、ミリ様、あんなに激しく踊っていたのに音程が全然ぶれなかったじゃないですか? どうやったら、あんなふうに歌えるの?」
「あれは……」
「私、まだ踊りながら歌うのに慣れてなくて。声を増幅する魔法に意識を回すと、歌への集中が途切れちゃうの。歌を大事にすると、今度は魔法の制御が遅れて……」
なるほど。
この世界では、魔法も本人の実力だ。
歌唱補助魔法を使って音程を維持することは、不正でも手抜きでもない。むしろ、その出力や制御技術まで含めて歌唱力と評価される。
水泳選手に、肺活量を鍛えるのはズルだと言う者はいない。
そういう話である。
だから、後ろめたく感じる必要などない。
理屈の上では。
「ミリ様は、歌いながらどうやって魔法を制御してるの?」
エリュシアが、一歩近づく。
純粋な尊敬。
教えを請う、真摯な瞳。
やめて。
そんな目で見ないで。
こちとら最初の聖女人生でカンストした能力を、そのまま持ち越しているだけである。
努力して身につけた並列処理技術ではない。
周回特典。
引継ぎデータ。
強くてニューゲーム。
太陽光を浴びた吸血鬼の気持ちが、いまならわかる。
たぶんあれ、熱で灰になってるんじゃない。
後ろめたさで焼かれてる。
「……歌と魔法を、別々に制御しようとしないことですわ」
それでも、笑顔は崩さない。
「別々に?」
「ええ。息を吸って魔力を整え、声を出すのと同時に解放する。歌と魔法を二つの作業として考えず、一つの動作として身体に覚えさせるんですわ」
「呼吸に、魔力を……」
エリュシアが、小さく繰り返す。
「最初は出力を落として構いません。正確に重ねることだけを意識して。身体が覚えてから、少しずつ強くすること」
「そっか……私、最初から両方を完璧にしようとしてた」
ぱっと、エリュシアの顔が明るくなる。
「ありがとう、ミリ様。次の練習でやってみる!」
「ええ。きっと、すぐにできるようになりますわ」
可愛い。
改めて見ると、めちゃくちゃ可愛い。
すらりと細い身体。繊細な肩。触れれば折れそうでいて、芯の強さを感じさせる立ち姿。
私が理想とするスレンダーエルフ、そのものの造形。
エルフとはこうあるべき、という至高のアーキタイプ。
しかも中身まで、真面目で素直で努力家。
何、この完璧な正統派ヒロイン。
欲しい。
いつか必ず、ものにしたい。
「あれー?」
突然、横から声がした。
「あれあれー?」
ルフェリアが、眼鏡の奥から私の顔を覗き込んでいる。
「何でしょう?」
「いやぁ? ミリ様、さっきまで世界の終わりみたいな顔してたのに、エリュシアと話し始めたら元気になったなーって」
「そのような顔はしていませんわ」
「してたしてた。優勝したのに、負けた人みたいな顔」
心臓を、指先で突かれたような感覚。
この女。
リゼリアが、一歩前へ出た。
にこやか。
とても、にこやか。
しかし全身から放たれる圧力は、握手会で推しとの距離を詰めすぎる強火ファンを、一秒でも早く引き剥がそうとする運営スタッフのそれだった。
「お姉さまがお疲れのようですので、あまり近づかないでいただけますか?」
「えー? 同期じゃん。いいでしょ、これくらい」
「よくありません」
「はいはい」
ルフェリアはまるで気にせず、私の首へ腕を回した。
がしっ、と。
急に距離が縮まる。
眼鏡の奥の瞳が、すぐ近くにある。
「うちらには、うちらの目指す場所がある。そこは、うちら以外にはわからない。わかる必要もない場所なんだよ」
耳元で、低い声が囁く。
「だからミリ様が、そんな顔する必要ないよ」
軽い口調。
でも、声の芯は真っ直ぐだった。
「次の月例大礼拝は、同期全員で同じ舞台に立つ。ロザチェも、ミリ様たちのすぐ後ろに立つんだからさ」
セラナイが、センターユニット。
ロザチェが、その両翼を支える準センター。
同期全員を乗せた船の、舳先に立つのは私だ。
「うちらの期のセンターが、下向いてたら困るんだけど?」
ルフェリアが、さらに声を落とす。
「ちゃんと高いところにいてよ。踏み台は、踏みごたえがなきゃつまんないじゃん?」
「ちょっと!お姉さまから離れてください!」
リゼリアの腕が、ルフェリアの手首へ伸びる。
だが、触れる寸前。
ルフェリアは私の首から腕を抜き、リゼリアの横を滑るようにすり抜けた。
二歩。
三歩。
まるで水の中を泳ぐような身のこなし。
センターガチ恋勢による剥がしも華麗に避ける。
「んじゃ、頼んだよ。大将!」
去り際、ルフェリアが振り返る。
片目を閉じて、ウィンク。
ずるい。
惚れそう。
もし私がセンターでなかったら、一生ついていったかもしれない。
何その強キャラ属性。師匠か。
欲しい。
いつか必ず、私のものにしたい。
私の中から漏れ出した邪な波動を察知したのか。
少し離れて立っていたセレフィーの肩が、びくっと震えた。
目が合う。
彼女は一瞬だけ警戒するように私を見て、それから丁寧に会釈した。
「……失礼します」
ルフェリアとエリュシアを追い、足早に去っていく。
なるほど。
あの子は、イベント絵の外側に潜むタイプか。
メインキャラクターが笑い合っている一枚絵。その端。柱の影に、よく見なければ気づかない輪郭だけが描かれている。
何かを隠している人間の匂いがする。
実家の母親と、同じ匂い。
そこにベールがあれば剥がしたくなるのが狩人の本能というものだよね。
大丈夫。
君も、いつか必ずものにするから。
「――お姉さま?」
振り返ると、リゼリアが笑っていた。
「いま、またお気に入りの女の子を増やそうとか考えていませんでした?」




