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41 三点差の敗北

 舞台の中央に、エリュシアが一人で立つ。


 照明は、ない。

 派手な魔法演出もない。


 祭壇に残された数本の蝋燭だけが、彼女の細い輪郭を淡く照らしている。


 つい先ほどまでセラナイの舞台に熱狂していた観客たちは、まだ興奮の中にいた。

 あれだけ沸かせた直後だ。

 静かな導入では、その熱に呑まれる。


 少なくとも、私はそう計算していた。


 エリュシアが、息を吸う。

 最初の一音。

 大礼拝堂から、音が消えた。

 歓声が止んだのではない。

 観客全員が、息をすることすら忘れた。


 彼女の声は大きくない。

 祈願魔法による派手な増幅もない。

 ただ、澄んでいた。


 水面へ一滴の雫が落ち、その波紋がどこまでも広がっていくように、歌声が大礼拝堂の隅々へ染み込んでいく。


 原曲よりも、ずっと神事に近い。

 異世界から持ち込まれ、タカシの作品として祭り上げられた歌が、いま初めて、本当に神へ捧げられている。

 そんな錯覚すら覚える。


「……これは、想像以上」


 背中に、冷たい汗が伝った。

 まるで世界そのものを上書きするような、エリュシアの独唱が終わる。


 最後の余韻が消える、その寸前。

 セレフィーの爪先が床を打った。


 転調。


 静寂が、切り裂かれる。

 激しい打楽器とともに、セレフィーの身体が跳ねた。


 長い深緑の髪が弧を描く。

 静止から回転へ。

 祈りから熱狂へ。


 普通なら、別々の演目に見える。

 だが、切れ目がない。


 エリュシアの最後の呼吸を、セレフィーが身体で受け取り、そのまま次の拍へ運んでいる。


 超絶技巧。


 そんな安い言葉で片づけたくはないけれど、他に表現が見つからない。

 セレフィーの身体は、音楽より先に次の音を知っているようだった。


 一歩。

 一歩半。

 急停止。


 常識なら崩れるはずの重心が、見えない糸に吊られたように正確な位置へ戻る。

 その軌道を、ルフェリアの剣が追う。


 抜剣。

 銀色の刃が、闇を薙いだ。


 セレフィーの舞によって生まれた流れを、ルフェリアが剣舞の型へ変換する。


 斬る。

 払う。

 祓う。


 刃が通った場所だけ、空気が清められていく。


 そして、剣の切っ先が示した先へ、エリュシアの歌声が戻ってきた。


 歌唱。

 剣舞。

 奉舞。


 三つの芸が、互いの領域を侵さない。


 誰も、誰かの背景にならない。

 それなのに、一つの祈りとして繋がっている。


 観客が、いや、巡礼者が、踵を浮かせて立ち上がる。


 いま舞台を見ている者たちは、アイドルのライブへ来た観客ではない。

 神の降臨を目の当たりにした信徒だった。


 エリュシアが声を張り上げる。

 セレフィーが回転する。

 ルフェリアの剣が、光を天井へ放つ。


 大礼拝堂のステンドグラスが一斉に輝いた。


 偶然ではない。

 差し込む時刻と光の角度まで計算した演出。


 しかし、その緻密さを感じさせない。

 本当に神が応えたのだと信じたくなる。


 歓声が上がった。


 私たちの舞台とは違う。

 こちらへ押し寄せてくる熱狂ではない。

 腹の底から、抑えきれずに噴き上がった感嘆。


 三人は、観客を煽っていない。

 奉光を求めてもいない。


 ただ、自分たちの芸を信じている。

 それだけで、数百人の心を立ち上がらせた。


 終盤。


 旋律が、再び最初の静謐さを取り戻していく。


 ルフェリアが剣を納める。

 セレフィーの回転が止まる。

 エリュシアの声だけが残る。


 三人が、祭壇の中央へ集まった。


 エリュシアを中心に。

 ルフェリアの剣が、一輪の薔薇を守るように斜めへ置かれる。

 セレフィーの両腕が、二人を繋ぐ鎖の弧を描く。


 指先。

 視線。

 衣装の裾。


 髪が落ちる角度まで、寸分違わない。

 覇権ラノベの口絵に描かれた一枚絵のような、完璧な構図。


 最後の一音が消えた。


 誰も、すぐには動けなかった。

 エリュシアが静かに頭を下げる。


 その瞬間。


 万雷の拍手が、大礼拝堂を揺らした。



 結果が出るまでの時間は、それほど長くなかったはずだ。

 けれど、水晶盤の前に立っていた私には、ひどく長く感じられた。


 技術審査。

 芸術審査。

 観客からの奉光。


 集計結果を示す光が、少しずつ水晶盤へ満ちていく。

 先に、二位の名が表示された。


 《Rosary†Chain》。


 続いて、一位。


 《Seraphic†Night》。


 差は、三点。

 大礼拝堂が歓声に包まれた。


「やったあああっ!」


 リュミエが私へ抱きつく。


「お姉さま!」


 リゼリアも反対側から腕を回してきた。


 二人の体温。

 歓声。

 無数の奉光。

 優勝ユニットの名を繰り返す司会者の声。


 私は二人を抱き返し、客席へ完璧な笑顔を向けた。


 勝った。


 たしかに、勝った。

 場をライブ感で沸かせたのは、私たちだ。

 観客との距離を縮め、声を引き出し、感情を増幅させ、一緒に舞台を作った。


 いまの神殿アイドル界で何が求められているのかを分析し、そこへ最適化した戦略が奏功した。


 その結果として、私たちは三点差で勝った。

 チート能力まで使って。

 リゼリアとリュミエに、全判定クリティカルを出させて。

 私自身も、二人との調和を崩さない限界まで力を使って。


 それで、三点。


 苦虫を噛み潰したような気分だった。

 私たちは、売れる“商品”を作った。


 Web小説のランキングを分析する。

 上位作品のタグ、タイトルの文字数、主人公の属性、ヒロインの登場時期、第一話の引き、更新間隔。

 数千行の表計算シートを作り、伸びた要素と沈んだ要素を分類する。


 世界観も。

 キャラクターも。

 タイトルも。


 想定読者がいま何を求めているのか、徹底的に市場から逆算する。

 そうして作った、マーケットインの結晶。


 それが、セラナイだ。


 だが、ロザチェは違う。


 ランキングの傾向を無視して。

 流行している属性にも寄せず。

 ただ、自分たちが美しいと信じるものを、自分たちの技量で叩きつけた。


 自分が面白いと思う。

 自分が書きたいと思う。

 どうしても世に出したいと思う。

 その衝動だけを背骨にして、書き上げられた小説。


 そこに、優劣はない。


 市場を分析して書かれた作品が、情熱に欠けているわけではない。

 読者へ届けるために工夫を重ねることも、創作に対する誠実さの一つだ。

 自分の書きたいものだけを書くことが、常に高尚なわけでもない。


 私は、そこで戦うつもりはない。

 売れたものが偽物で、売れなかったものが本物だなんて、そんな安い純文学ごっこを始める気もない。

 むしろ、売れたものが正義なのだ。

 売るための努力は、物語を読者に届けるという正義の追求なのだ。


 それでも。


 今日、この舞台を見た若者の中には、必ずいる。

 ロザチェを見て、巫女になりたいと思った子が。


 エリュシアの歌を聴いて、聖唱を学びたいと思った子。

 ルフェリアの剣を見て、剣舞の家へ弟子入りしたいと思った子。

 セレフィーの舞に憧れて、奉舞を次の時代へ継ぎたいと思った子。


 一定数。

 確実に。


 彼女たちの芸は、再生産される。

 かつて主流だった三つの神前芸能が、保護されるだけの過去ではなく、若者が自ら選ぶ未来として繋がっていく。


 もし、私がチートスキルを使っていなければ。

 ロザチェが、この同期のトップユニットになっていただろう。

 彼女たちが神殿アイドル界の中心へ立ち、この世界に、本来あるべき流れを作っていたのではないか。


 タカシは、異世界の流行を持ち込み、神殿文化を歪めた。

 私は、その歪められた市場を誰より正確に分析し、そこへ適応した。

 さらにチート能力で因果へ干渉し、本来なら届かなかった勝利まで奪い取った。


 私とタカシのやっていることは、本当に違うのだろうか。


 自分は盗作をしていない。

 自分は観客を楽しませている。

 自分には罪悪感がある。


 そんな違いだけで、私はタカシとは別の存在だと言い切れるのか。

 私もまた、この世界をチート能力で歪める、悪しき転生者なのではないか。


 表彰のため、私たちは再び舞台へ呼ばれた。


 笑顔。

 手を振る。

 優勝者らしく、胸を張る。

 すべて、完璧に演じられる。


 リゼリアが、そっと私の手を握った。

 客席からは見えないよう、指先を絡める。


 彼女は私の横顔を見つめ、静かに微笑んだ。


「次は、勝ちましょう。お姉さま」

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