40 魂のリフレイン(前前前世と同じ曲)
同期ライブの三日前。
私は旧練習棟の裏回廊で、閉ざされた扉に長い耳を押し当てていた。
エルフ特有の鋭敏な聴覚を、競合ユニットへの盗み聞きに全力活用。
御先祖様、ごめんなさい。
でも、諜報活動も長耳種族の伝統文化ということで許してほしい。
エルフの伝統に盗み聞きなんてあったかは知らんけど。
扉の向こうから、エリュシアの歌声が聞こえてくる。
伴奏はない。
静謐な独唱。
その旋律を耳にした瞬間、私は石壁に手をついた。
知ってる。
めちゃくちゃ知ってる。
前前前世のカラオケで、締切から逃避するために何度も歌った曲だ。
「これ、本当の締め切りですからね?」って何度も念押ししたのに、終電を過ぎても担当作家と連絡がつかない。そんなときに、心を落ち着かせるために駅前のカラオケボックスに行って歌ってた曲だ。
やがて、ルフェリアの剣が風を切る音と、セレフィーが床を踏む音が重なっていく。
ロザチェの決勝用自由曲は――
《魂のリフレイン》。
もちろん、偶然似ているだけではない。
旋律も、構成も、曲名も、前前前世に存在したものと全く同じ。
社会現象となり考察本も何十冊も出た、市場に新たなジャンルそのものを作り出した世界的覇権アニメ。その劇場版主題歌だ。
この世界では、神殿アイドル文化を築いた偉大なる聖導者・楽聖タッカーシが、神より啓示を受けて作詞作曲したことになっている。
せめて曲名くらい変えろ。
盗作に対する恐怖心がなさすぎる。
著作権が次元を越えて追いかけてこないという確信が、クリエイターとしての倫理観を完全に破壊している。
まあ、こんなヒドい神殿アイドル文化そのものを構築した男だ。
楽曲の一つや二つ、誤差の範囲内なのだろう。
私は扉から耳を離した。
ロザチェは、この曲を神事へ戻すつもりだ。
エリュシアの聖唱から始め、剣舞と奉舞を重ねる。現代曲として生まれた旋律を、三つの神前芸能で再構築する。
ならば――
†
「曲、変えた方がよくない?」
私たちの決勝用楽曲を見たリュミエが、もっともな意見を口にした。
各ユニットは、決勝進出に備えて自由曲を事前登録する。
私が提出した曲は、《魂のリフレイン》。
ロザチェと全く同じ曲だった。
「被ったんでしょ? しかも向こう、絶対そういう曲強いじゃん」
「だから、ぶつけるの」
「なんで!?」
「違う曲を選んだら、楽曲そのものの人気の差まで勝敗に影響するでしょう?」
私は楽譜を譜面台へ置いた。
「同じ曲なら、比較されるのは演者と演出だけ。どちらの解釈が観客へ届いたのか、言い訳のできない形で決着をつけられる」
「お姉さま……素敵です」
リゼリアが目を輝かせる。
「正面から、実力だけで勝負するのですね」
「うんうん」
盗み聞きで相手の選曲を把握したうえ、意図的に同じ曲を被せました。
正面(裏口経由)。
「でも、同じ感じにしたら、向こうの方が強くない?」
「同じ感じにはしないよ」
ロザチェが神事へ戻すなら、こちらは逆方向へ振り切る。
祈りを、ライブへ。
静謐を、熱狂へ。
伝統芸能の背骨を見せつけてくるというのなら、こちらは現代エンターテインメントの物量で真正面から殴り返す。
「ゴリゴリのロックナンバーにする」
「神殿で?」
「神殿だから」
大音量は、それだけで正義。
火柱は、高く上がるほど偉い。
理屈を置き去りにした熱狂は、古来より人類が最も得意としてきた宗教儀式の一つである。
こうして私たちの《魂のリフレイン》は、原曲の面影を残しながらも、魔導弦琴と重低音の打楽器が荒れ狂うロックアレンジへと生まれ変わった。
†
そして、決勝。
『先攻――《Seraphic†Night》!』
ユニット名が呼ばれた瞬間、大礼拝堂が揺れた。
祭壇を改装した舞台。その奥には、天井まで届く魔法照明の塔。床には幾重もの魔法陣が仕込まれ、客席から捧げられる奉光が金色の粒子となって渦巻いている。
音響魔法。
照明魔法。
衣装への補助魔法。
教官たちの審査術式。
数百人の巡礼者が放つ祈り。
あらゆる魔力が混線し、舞台全体が巨大な嵐の中心になっていた。
――確認済み。
ここなら使える。
予選と準決勝で、微弱な出力による試験は終えている。舞台上にあふれる魔力に紛れるように使えば、世界の外側から因果に干渉しても、誰にも異常を特定できない。
そもそも、私の能力は魔法ではない。
魔力検知に引っかかる道理もない。
それでも万全を期す。
転生者狩りを逃れながら生きてきたのだ。チート能力の隠蔽に関して、私は無駄に慎重である。
舞台袖で、私は二人の手を握った。
「リゼリア。リュミエ」
「はい、お姉さま」
「うん!」
「全部、出してきて」
今日まで積み重ねてきたもの。
練習で一度でも成功した動き。
本人たちの中に存在する、最高到達点。
新しい才能を与える必要はない。
持っているものを、一度も取りこぼさせなければいい。
私は目を閉じた。
空間を舞台として認識する。
光。
音。
観客。
そして、二人の演者。
因果の糸が、無数の選択肢となって指先へ集まってくる。
――《この世は舞台、人々はみな役者、そして私は脚本家》。
脚本は、単純。
リゼリアとリュミエが、現在の実力で到達可能な最高のパフォーマンスを、最初から最後まで一度も失敗せずに遂行する。
音程判定。
動作判定。
呼吸。
視線。
立ち位置。
あらゆる判定で、クリティカルを出す。
それ以上は不自然だ。
技量そのものを飛躍させれば、本人たちも周囲も異常に気づく。
だから、理論値まで。
そして私は、二人との調和を保てるギリギリまで、自分の出力を引き上げる。
私だけが突出しない。
でも、誰にも負けない。
三人全員で、ひとつの最高到達点を作る。
「行くよ」
三人で、舞台へ踏み出した。
暗転。
静寂。
次の瞬間、魔導弦琴が雷鳴のように鳴り響いた。
青白い光が舞台を切り裂く。
重低音が床を震わせ、客席の奥まで一直線に突き抜けていく。
原曲の荘厳な旋律はそのままに、速度と圧力を極限まで引き上げたロックアレンジ。
私は舞台中央で銀髪を振り払い、最初のソロパートを歌い上げる。
声量を抑える必要はない。
祈りの波動を歌声に重ね、天井近くのステンドグラスまで震わせる。
リゼリアが、私の背後から現れた。
純白の衣装。胸元に灯る祈りの光。
一歩。
回転。
視線。
すべてが完璧な位置に収まる。
偶然ではない。
百回やって、一度だけ成功する動き。
それを今日、この舞台で、百発百中にしている。
リュミエが反対側から飛び込んだ。
客席へ手を伸ばし、挑発するように八重歯を見せる。彼女の動きに合わせ、金色の光が波となって観客席へ走った。
「もっと声、聞かせて!」
歓声が爆発した。
強い。
二人とも、強い。
普段のレッスンでは最後まで完璧には揃わなかった呼吸が、今日は寸分の狂いもなく噛み合っている。
私が前へ出れば、リゼリアが光を足す。
リゼリアが私へ手を伸ばせば、リュミエがその想いを客席へと繋ぐ。
リュミエが観客を煽れば、私が熱狂を歌で回収する。
三人の個性が、互いを食わない。
互いを増幅している。
サビ。
打楽器が加速する。
舞台奥から火柱が上がり、魔法照明が赤と金の光を撒き散らす。
私は限界ぎりぎりまで歌唱補正を引き上げた。
リゼリアの高音が、ぴたりと重なる。
リュミエが床を蹴り、光の粒子をまとって跳ぶ。
着地。
成功。
ターン。
成功。
三人が交差し、入れ替わり、再び中央へ集まる。
すべて、成功。
全判定、クリティカル。
観客の歓声が、音楽そのものを飲み込もうとしている。
最後の一音。
私は両腕を広げ、銀色の翼を模した光を背後へ展開した。
その左右に、リゼリアとリュミエ。
三人分の光が重なり、大礼拝堂を白く染め上げる。
演奏が止まった。
一瞬の静寂。
そして――爆発。
歓声。
拍手。
床を踏み鳴らす音。
無数の奉光が舞台へ降り注ぎ、視界を金色に埋め尽くす。
リュミエが、信じられないものを見るように客席を見渡していた。
リゼリアは目に涙を浮かべ、それでも完璧な笑顔を崩さない。
私は二人の手を取り、高く掲げた。
「ありがとうございました!」
さらに大きな歓声が返ってくる。
やった。
これ以上はない。
今の私たちが出せる、理論上の最高点。
チートを使った私が言うのもアレだけど。
舞台を降りる途中、ミーナと目が合った。
教官席に座った彼女は驚きを隠せず、それでも最後には、小さく笑って頷いた。
お願い一個。
忘れないでね。
私は胸を張り、後攻のユニットと入れ替わる。
ルフェリア。
エリュシア。
セレフィー。
三人とすれ違う。
ルフェリアが眼鏡の奥から私を見て、わずかに笑った。
「すごかったよ、ミリ様」
「ありがとう。次はあなたたちね」
「うん」
短い会話。
余裕を装っているようには見えなかった。
焦っているようにも。
三人は、ただ静かに舞台へ向かっていく。
『後攻――《Rosary†Chain》!』
私たちは、最高の舞台を作った。
これ以上なんて、あるはずがない。
――この時点では、本気でそう思っていた。




